秘密のコエ
1
「……ハァ……」
勇壱とケンカ別れした(正確には真琴が一方的に罵倒した)日から数日後、この日も真琴は何十回目かのため息をついた。
「ねぇ、マコちゃん。いいかげん、それやめてくれない?」
「は?」
何を、という前に間髪を入れず美希は答えた。
「ため息に決まってるでしょ。っていうか最近マコちゃん変だよ。急に神田君と一緒にお昼食べたり帰ったりしたかと思ったら、今度は急に避けだしたりして。何かあったの?」
「そりゃあ……」
いろいろあったけれど、今ここで話すのは無理だった。
お昼休みの教室には、お弁当を食べている真琴たち以外にも半分以上の生徒が残っていたから。
さすがにこの中で話せる内容ではない。
「あ! もしかして落雷の後遺症で頭がおかしくなっちゃったとか?」
「あのねぇ、そんなことあるわけないでしょ」
真琴は額に青筋を立てて言った。
しかし、美希の言ったこともあながち見当外れではないかなとも思った。
落雷のせいでこの能力に目覚め、能力のせいで勇壱の本心を知り、そのせいでややこしいことになってしまったのだから。
今さら後悔しても遅いということはわかってる。
本当は一日でも早く謝りたかったのだが、中々そうはいかなかった。
さっき美希は「真琴が勇壱を避けている」というようなことを言っていたが、実際にはその逆だった。
ケンカ別れのような形になった次の日から、完璧なまでに勇壱の方が真琴を避けていた。
真琴に一瞬の隙も見せないその身のこなしには思わず「忍者かお前はっ」とツッコミを入れたくなるほどのものだった。
ここ数日、真琴はまだ勇壱に挨拶すら交わせていなかった。
このままじゃよくないと思ってはいる。でも強引に話を聞かせるようなことはしたくなかった。
そんなかたちで話しても、きっとひねくれた性格の勇壱は素直に聞いてくれないだろうと予想できた。
だから、勇壱が話を聞く態勢になるまで待つつもりでいた。
その間、ただ漫然と過ごしたくなかった真琴は、由紀子に指摘されたことを自分なりに考えていた。
『真琴は自分の心がわかっていない』
由紀子に言われたそれは、もっともだと思い自分の心に向き合っていたのだ。
それが、つい一日に何十回ものため息をつく原因になってしまっていた。
――答えは、まだ出せない。
真琴は美希にそっと耳打ちした。
「ごめん、結論が出たらその時ちゃんと話すから。しばらく放っておいて。あ、でもとりあえずため息はやめるようにするわ。確かに、あまりいいものじゃないしね」
それを聞いていた美希の顔には、明らかに不審だと書かれていた。
だけど、硬い表情のままでも一応うなずいてくれたので、ある程度は納得してくれたみたい。
由紀子はその様子を見ながら、一人黙々とお弁当を食べていた。
(私以外じゃ一番事情を知ってるのに、そんなそぶり全然見せないなんて……。少しはその冷静さ分けて欲しいよ)
真琴が羨ましそうな視線を送っていることに由紀子は気づいた。
「何?」
「ううん。何でもないわ」
素っ気なく言って、真琴はお弁当を食べた。
(自分の心か……。私は勇壱のことをどう思ってるんだろう……?)
((好き、勇壱君のことが大好きっ))
「なわけないじゃない!!」
真琴は思いっきり椅子を蹴って立ち上がった。
教室中の注目が真琴に集まる。
「あ……」
冷や汗一つ落としながら、真琴はすごすごと席に着いた。
「……やっぱり、後遺症あるんじゃないの?」
美希は真顔で心配そうに言った。
「ちょ、ちょっと考え事してただけよ。だ、大丈夫だから……」
(もう、何なのよ今のは……って、心のコエよね)
((……でもボクには勇壱君を好きになる資格なんてない。どうしたらいいの? 誰か、誰か助けてよっ!))
悲痛な叫び声のような心のコエがまた真琴に聞こえてきた。
こんな心のコエは初めてだった。
誰かを好きだという人の心のコエは大抵温かい想いなのに、このコエは痛々しいほど悲しい想いで満たされていた。
「ごめん、私ちょっと用事できちゃった」
ぶしつけにそう言って、真琴はまだ残っていたお弁当を片づけた。
「え、ちょ、ちょっと……」
戸惑う二人を置いて、真琴は教室を出る。
意識を集中させれば、どこから心のコエが聞こえてくるのかはわかる。
あまりに印象的なその想いに惹かれるように真琴は屋上へ向かった。
息を切らせて校舎の最上階、屋上へ出る扉の前まで来たが、取っ手を握ったまま動けなくなってしまった。
この先には苦い思い出が詰まっていたから。
そして、それと同時に迷っていた。
わざわざこんな場所で強く悩んでいるということは、決して軽く扱えるような想いではない。
真琴は今の自分に、それを受け止めるだけの覚悟がないと思っていた。
しかし、強く助けを求めているのに放って置いていいのだろうかとも思っていた。
本来、このコエは誰も気づかれない。
このコエの主がどんなに心で助けを求めても、それで誰かが現れるなんてことはないはずなのだ。
そこに真琴が介入すれば、あるべき他人の運命が一つ変わってしまうかもしれないということ。
関われば、傷つくかもしれないし、傷つけてしまうかもしれない。
それは勇壱とのことで嫌というほど思い知らされた。
ここでの答えは考えればすぐに出る。
関わらない方がいいのだろう。
――でも。
聞こえてしまったことは今さら無視なんてできない。
やっぱり、困ってる人を放ってはおけない。
真琴は勢いに任せて扉を開けた。
強い日差しが真琴を襲った。
二学期とはいっても九月上旬。
まだまだ残暑の厳しい季節だった。
真琴はそんなことなど気にも留めず、きょろきょろと辺りを見た。
案の定、金網のフェンスに寄りかかり、一人の男子生徒が佇んでいた。
(――って、え? 男子?)
近づいてみて、真琴はさらに仰天した。
そこにいたのは真琴のクラスメイトにして、勇壱と校内の女子の人気を二分する藤代君だった。
少女のような顔立ちで、肩の辺りまで伸ばしたふわふわの茶髪に華奢な体つきの彼は、制服を着ていなければ性別を判断するのは難しいだろう。
彼は真琴に気づき目を細めた。
屋上には他に誰もいなかった。
聞こえてくる心のコエは一つ。
それに、これだけ近づけば聞き違えたりはしない。
(藤代君は、勇壱のことが好きなんだ……)
悩んでいた心のコエの意味があっさりわかってしまった。
同姓を好きになってしまったら、悩むのも当然だと真琴は思った。
どう切り出したらいいものかと考えていたら、藤代君の方から話しかけてきた。
「どうしたの? 大崎さん、ボクに何か用?」
((勇壱君のことが好きなの。誰か、ボクの想いに気づいてっ))
重なって聞こえる実際の声と心のコエ。
真琴は混乱しそうになる自分の頭を何とか制御して答えた。
「いや、別に、用ってほどのことはないんだけど……」
「だったら、どうしてこんな所に?」
「……何となく、かな。藤代君は?」
藤代君は金網の向こう側に目をやり、言った。
「ここなら一人で考え事ができると思ったから」
「あ、もしかして私、邪魔しちゃった?」
「え? いや、そんなことはないよ。ちょうど誰かと話したいなと思ってたところだったから」
優しくほほ笑みを向けて藤代君が答えてくれたので、真琴はちょっと安心した。
「そういえば、ボクと大崎さんてあまり話したことないよね?」
「あ、うん。そうね。……私人見知り激しいし集団って苦手だから、どうしてもいつも決まった友達としか話さないのよね」
「へぇ……。じゃあ神田君のファンってわけじゃないんだ」
「は? 何よそれ」
「何って……知らないの?」
藤代君は驚いたような感心したような声で言った。
「だから何を?」
「この学校の女子って、今ボクと神田君で派閥みたいなもの作っちゃってて、神田君の派閥の子はボクとあんまり話をしてくれないから、大崎さんもそうなのかなって」
「わ……私が勇壱のファン?」
ただでさえ暑い屋上の温度が真琴の中で急激に上がっていくのがわかった。
「うん。ほら、最近よく一緒にお昼食べたり帰ってたりしたじゃない? だからてっきりそう思ってたんだけど」
真琴は心の沸点を超えて体感温度がさらに上昇し、ヤカンの鳴らす音のように甲高い声でまくし立てた。
「や、やめてよね。たかだかそれだけのことで勝手に私を勇壱のファンなんかにしないで。誤解よ、誤解してるわ。覚えておいてね、勇壱はただの友達だから。二度とあいつのファンだなんて呼ばないで」
「ご、ごめんなさい」
真琴の迫力に怯えてか面食らって藤代君は謝った。
((よ、よかった。勇壱君は大崎さんと付き合ってるわけじゃないんだ。フリーなら告白くらいしても……。いや、だからボクにはその資格なんてないんだってわかってるのに……))
ああ、そうか。と真琴は藤代君の心のコエを聞いて納得し、落ち着きを取り戻した。
藤代君が真琴にカマをかけたのだとわかったから。
彼の想いは本気だ。
遊びや冗談ではない、真剣な気持ちなのだと感じた。
「――――」
真琴は藤代君に勇壱のことをどう思ってるのか聞こうとしたが、なぜか声が出なかった。
「ねぇ、神田君とはいつもどんなこと話してるの?」
無邪気な笑顔で藤代君は質問してきた。
「どんなって聞かれても……。別にクラスの皆が話してるようなことと変わりないわよ。好きな音楽のこととか、テレビのこととか、漫画のこととか……」
「そうなんだ……。ちょっと、意外」
「どうして?」
「神田君って誰に対しても心を閉ざしてるようなところがあるでしょ? 男子とだって必要最低限のことしか話さないし。だから、そんな普通のこと話してるなんて想像できなかったから」
藤代君はそう言って寂しげな苦笑いを浮かべた。
((痛いよ、苦しいよ。誰か、誰かボクの想いを解放してっ!!))
「――――!?」
真琴は、さっきなぜ勇壱のことを聞こうとした時に声が出せなかったのは気づかされた。
ここまで関わっておいてまだ迷っているのだ。
困っている人は助けたいと思ってるけど、勝手に人の心を明かしていいのだろうか。
藤代君がそれを望んでいなければ、きっとでしゃばることになる。
それは最悪の結果だ。
しかし、彼は心を解放されることを望んでいるのだ。なら、そうしてあげるべきなのだろうか。
真琴が迷っていることに気づくはずがない藤代君は、何だか楽しそうに話していたが、何も耳には入ってこない。
聞こえてくるのは心のコエだけ。
そのあまりに純粋で痛々しい心に感化されて、真琴は溢れてくる涙を止めることができなかった。
藤代君にしてみれば、楽しそうにおしゃべりをしていたはずなのに、急に目の前の女子が泣き出してしまっては、わけがわからないだろう。
「な、何? 何で……。ボク、何か嫌なこと言った?」
思ったとおり、気を動転させて事情を聞いてきた。
ここで引くなら、屋上の扉は開けるべきじゃなかったのだ。
でも、あの時助けたいと思った気持ちは本当だから。
自分に何ができるのかは、わからない。
けれど、今一つだけ藤代君の望みを叶えることができる。
彼の心を解放する。
それは、そのことを知ってしまった真琴がしてあげるべきなのだと考えたから。
真琴は涙を拭いて、すでに答えがわかっている質問をした。
「藤代君、……勇壱のことが好きなの?」
「え――――」
藤代君は顔を強張らせたまま固まってしまった。
沈黙が、再び屋上を支配した。
嫌な予感が頭を過ぎる。
しかし、長いとも短いともいえる間を破って藤代君は破顔させて言った。
「うん。好きだよ、大好き」
真琴にはすがすがしいほどはっきり言った藤代君が、キラキラ輝いて見えた。
「どうして――」
「それは、ボクにもわからないよ。気がついたら神田君のことを目で追ってて、いつの間にか好きになってたんだもん」
はにかみながらそう言った藤代君はとてもかわいらしかった。
「いや、あの……そうじゃなくて。何で私がそのことを知ってたか、どうして聞かないの?」
聞かれても答えられない質問を真琴は自分から振っていた。
どうしても知りたかった。
藤代君が隠してきた気持ちの核心を突くような質問をしたのに、なぜそのことを追求せずに素直に答えてくれたのか。
「それはきっと、ボクがずっと誰かにこの気持ちを気づいてもらいたいって願っていたからだと思う。大崎さんにはそれが通じたんだよ。だから、そのことで不思議に思うことはないよ」
さらりと答えた藤代君の言葉に一瞬ドキリとさせられた。
それは、ある意味藤代君の言ったとおりだったから。
正に、彼の想いは真琴に届いていたのだった。
藤代君のどこかほっとしたような顔を見ていると、自分のしたことは間違いじゃなかったのだと思えた。
しかし、彼の表情はすぐに曇ってしまった。
「でもね、ボクは神田君を好きになっちゃいけないんだ」
まるで自分自身に言い聞かせる決意のように藤代君はきっぱりと言った。
「……男子、だから?」
「それもあるけど、ボクにはもう一つ重大な問題があるんだ」
「…………」
藤代君が悩みを抱えているのは知っていたが、真琴には詳しい事情までは聞こえなかったので知らなかった。
その上「重大」なんて言われてしまってら聞いていいことなのかどうか、ためらっていると、藤代君は勝手に話を進めてしまった。
「ボクはね、生まれつき心に病を抱えているんだ」
「心の、病……」
「そう。大崎さんは自分のことを男だと思ったことはある?」
「え? そんなことあるわけないじゃない」
あまりにも馬鹿な質問だと思い、真琴は吹き出しながら答えた。
「ボクもだよ。ボクも一度だって自分を男だと思ったことなんかない」
「えぇ? どういうこと……?」
「この顔のお蔭で、小学生くらいのときは女子の格好をしてても違和感なかったんだ。でも、中学になるとそうもいかないでしょ? 制服はあるし、声変わりとかもするし。それで医者に診てもらったんだ」
何だか予想もしえない展開になってきた。
真琴が聞いても聞かなくても続きを話すだろうと感じられたので、あえて聞いた。
「医者は、何て言ったの?」
「軽度の性同一性障害だって」
その病名は、テレビのニュースか何かで聞いたことがあった。
確か、性自認と身体の性が食い違った状態って言われていたような気がする。
詳しいことはわからないけど、おそらく藤代君の場合は、身体が男なのに自分の性別を女だと認識しているのだろう。
「でも。それが何で勇壱を好きになっちゃいけない重大な問題なの? 女の子が男の子に恋をするなんて自然なことじゃない」
「それはボクには許されない。これ以上女であることを意識するわけにはいかないんだ。……ボクは自分を男だと思い込むことですべて丸く収めようとしていたのにっ」
藤代君の慟哭にも似た叫び声を聞いて、真琴は申し訳ない気持ちで一杯になった。
ちょっと心のコエを聞いたくらいで何もかもわかっていたような気になっていた。
何もわかってはいなかったというのに。
真琴は謝ろうと思い口を開こうとした時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「……ボクはね、本当はずっと誰かに気づいて欲しかったんだ。ずっと誰かに話したかった。だから、大崎さんに聞いてもらえて嬉しかったよ」
藤代君は自分の秘密を話したことで真琴の負担にならないように配慮してくれたのか、そう言って屋上を後にした。
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