4
次の日から真琴は自転車通学を控えることにした
由紀子には医者に止められていたのに忘れていたと嘘までついて。
正確に言うと嘘ではない、と思う。
中野先生には九月中くらいは激しい運動はしないように言われていた。
それは部活や体育の授業のことを指していたのだけれど、ちょっと解釈を拡大して自転車もだめなことにしてしまった。
わざわざそんなことをした目的は、徒歩通学をしていた神田に合わせるため。
休部届けを出していた真琴は、部活に出ている美希や二学期になって急に忙しくなった生徒会の仕事をしている由紀子を待たずに帰宅部だった神田と帰るつもりだった。
さらに、毎日作ってもらっていたお弁当もやめてしまった。
神田が毎日学食で昼食を食べていたから。
その日のお昼休み、真琴は神田の後を追って学食へ向かおうとした。
真琴が席を立った所で由紀子と美希がお弁当を持って集まってきた。
「あれ? マコちゃん、お弁当は?」
「あ、うん。何となく飽きちゃったから、今日から学食で食べようと思って……」
「ふーん」
「だから、一緒に学食行かない?」
由紀子と美希は顔を見合わせ、同時に頷いた。
「いいわよ」
「っていうか、急いだ方がいいかもしれないわ。私、学食ってまだ使ったことないんだけど、割と席が埋まるの早いらしいのよね」
由紀子の返事に被せるように美希が腕時計を見ながら言った。
「へぇ、そうなの?」
「感心するのは後よ」
美希はそう言ってさっさと教室を出てしまった。
真琴と由紀子も美希に遅れまいと後に続いた。
学食は図書館と同じで校舎の中にはない。
図書館の真向かいにあるファミレスのような建物が学食だった。
中に入ると、出遅れたせいかもう結構席は埋まっていた。
でもたぶん、理由はそれだけじゃないと思う。
学食は内装までファミレスと同じ作りをしていたため、一つ一つのボックス席がゆったりと作られていた。
だから建物全体の広さにしては席の数が少ないと思う。
真琴は素早く学食内を見渡す。
果たしてあいつは一番端のボックス席に一人で座っていた。
急いでそこに行きたかったことと、学食をファミレスと錯覚していたことが相まって、真琴は一番端の席に直行しようとしてしまった。
「ちょっと!」
と言い、美希が真琴の腕をつかんで引き止めた。
「え? 何?」
「私たちはお弁当持ってきてるからいいけど、マコちゃんは買うんでしょ?」
「あ、そっか」
ここはファミレスのようであってそうではない。
席に着いたらウェイトレスさんがメニューを持ってきて注文を取ってくれるようなサービスはもちろんない。
そして、付け加えておくとファミレスと違いお弁当を持ち込むことができた。
真琴はA定食(メンチカツセット)を買って、入り口近くにいた二人の所へ戻った。
「ねぇ、マコちゃん。ちょうどあの席開いたよ」
そう言って美希が指したのは、あいつが座っている席から一番遠く離れた場所だった。
真琴は聞こえなかったふりをして、あいつの座っている席へ向かった。
「って、マコちゃん。そっちじゃないわよっ」
美希は一度呼び止めようとしたが、無視して先へ進んだ。
二人とも脇目も振らずズンズン進む真琴に圧倒されてか、黙って付いてきた。
あいつの席の前まで行くと、真琴たちの気配に気づいたのか、食べていた天ぷらうどんから顔を上げた。
「ねえ、神田。三つも席が空いてるんだから相席でもいいわよね?」
咀嚼していて返事がなかったが、強引に神田の隣に座った。
「お、おい……」
「仕方ないでしょ、他に空いてる席ないんだから」
この席からだとさっき美希が言っていた席は見えない。
神田は少しだけ辺りを見回して、舌打ちをした。
「何なんだよ、ったく……」
表面的には拒絶しているように見えるが、本心を知っているのであまり気にはならなかった。
仏頂面の裏では喜んでいるに違いない。
真琴は食べ始めようとしたら目の前の席が二つ空いていることに気がついた。
視線を横にズラすと、そこには何か言いたげな顔をして由紀子と美希が立っていた。
「どうしたの? 座りなよ」
真琴に何気なく促されて、二人は渋々席に着いた。
「お邪魔しまーす」
「失礼します」
二人そろって神田に断りを入れたが見事なまでに無視された。
真琴たちがおしゃべりをしながら食べている間も、無視し続けていた。
まるで、真琴たちの隣だけ隔絶された空間にでもなっているかのようだった。
それでも、真琴たちが席を立つまでずっと座っていた。
もうとっくに天ぷらうどんの器は空になっていたのに。
教室に戻る途中、やはりというか当然のように美希が質問してきた。
「ねぇ、さっきのあれは何なの? 席なら他にも空いてたのに、よりによって神田君の席に座るなんて……」
「ごめん、上手く説明できそうにないわ」
「何か理由があるのよね」
さすがに由紀子は鋭い。十年以上付き合ってるだけのことはある。
「……何ていうか、当てつけ……かな」
「はあ?」
「人の心を傷つけたことに対する……ね」
「それって、真琴のこと……?」
真琴は答えずにほほ笑みだけを返して、頭の上にクエスチョンマークをいくつも飛ばしている二人を置き去りにして、校舎の中に入った。
放課後、考えていた計画通りに噴水広場の片隅にある、木陰に隠れてあまり目立たないベンチに座っていると、校舎から神田が一人で出てくるのが見えた。
校門へと続く並木道に入ろうかというところで真琴は話しかけた。
「ねぇ、一緒に帰らない?」
神田は一瞬だけ立ち止まったが、振り返りもせずにまた歩き出してしまった。
それくらいのことは予想していたので、小走りに追いかけて勝手に隣に並んだ。
無視しても無駄だと悟ったのか、今度こそ立ち止まって真琴の方へ向いた。
「……お前さぁ、何のつもりなんだよっ」
語気を強めて神田は言った。
顔だけ見れば不愉快だってことが思いっきり伝わってくる。
普通の女の子だったら、この時点で挫けて逃げてるところだろうけど、気持ちの上ですでに勝っている真琴には、神田の態度はただの虚勢にしか見えなかった。
澄まし顔で、冷たく言葉を返す。
「話があるんだったら歩きながらして、こんなところでケンカなんかしたらせっかく終わった噂がまた復活しちゃうわよ」
「ん……それも、そうだな……」
神田は真琴の提案に同意して歩き始めた。
がしかし、一向に話そうとしない。
校門の所まで来て、神田はようやく口を開いた。
「あれ? お前、自転車は?」
そのあまりに的外れな質問に思わずコケそうになった。
「部活と同じよっ。ドクターストップ!」
真琴の声の勢いに神田は少しだけたじろいだ。
(まったく、何を考えているのよ)
その自問はすぐに愚問だと気づいた。
何を考えているのかは、真琴だってよくわかっていた。
今だって聞こうと思えばすぐにでも聞こえる。
((どうしてもっと素直になれないんだ? こんなに近くに好きな子がいるのにっ))
神田の心のコエは悲痛なまでに強かった。
「何で、俺に関わろうとするんだ?」
心のコエを聞いていたせいで、現実の声とのあまりのギャップに真琴は少し戸惑った。
真琴たちはもうだいぶ学校から離れ、辺りには自分たち以外の生徒はいなかった。
神田が黙っていたのはたぶん、頃合を伺っていたからだろう。
二人っきりになれるのを待っていたのだと思う。
それは真琴にとっても願ったり叶ったりだ。
今回はギャラリーなんかいたら邪魔になって仕様がない。
「関わるって、ちょっと大げさじゃない。たまたまお昼と帰宅が重なっただけじゃない。自意識過剰なんじゃないの?」
「……わかった、今回はそういうことにしとく。明日からはなるべくかち合わないように気をつけるよ」
「そう」
「嫌いな奴とはあんまり関わりたくないからさ」
「……私たち、もしかしたら気が合うかもね」
「お前、俺の言ったこと聞いてたか?」
「聞いてたわよ、だからそう思ったの。だって……私も神田のこと嫌いだから」
口の端だけ上げて笑い、不敵に言った。
さすがの神田も驚いている。
こういうことを言われたのは初めてなんだろうなと真琴は思った。
神田の姿は、あの事件の時の自分にちょっとだけ重なった。
人に心を傷つけられるということがどれほどの痛みなのか、これで少しはわかってくれればいいのだけれど。
真琴は神田に背を向け静かに、ゆっくりと歩き出した。
それはまるで、あの日の再現のようだった。
配役は逆になってしまったが――。
なぜだか胸の奥が少しだけ痛んだ。
早く神田から離れたかったのに、走り出すようなまねはできなかった。
それじゃまるで逃げてるみたいだから。
「お前ってやっぱり普通の女子たちとは違うよな」
「――――!?」
あまりに唐突な声にびっくりして、真琴は飛び退くように隣を見た。
そこにはしたり顔の神田が立っていた。
「か……神田!? どうしてここにいるのよっ!?」
「そりゃ、俺の家がこっちにあるからに決まってるだろ」
「あ……そ、そう……」
何だか、一気に腰が砕けた。
「お前さぁ、俺のことが嫌いだったからあんなこと聞いたのか?」
「え……?」
真琴と神田にとって「あんなこと」は、つまり夏休み前の噂話のことしかない。
正確にはあの話を持ち出した時はどうでもいい男子の一人に過ぎなかった。
嫌いになったのは、話した直後だ。
でも、一々説明するのは面倒だったし、理解してもらえるのかも不明だったので肯定してしまうことにした。
「まあね、そうよ」
「そうか……俺は勘違いしていたのか……」
小さくつぶやいた神田の言葉を真琴は聞き逃さなかった。
「勘違いって……?」
「あ、いや……こっちの話。お前には関係ないよ」
神田は軽い口調で言ってはいたが、これ以上深く聞くなという想いがありありと込められていた。
真琴には関係ないとはっきり言われてしまった上に、あまり話したくないことのようだったので、話題を変えた。
「あのさ、さっきから一つ気になってることがあるんだけど」
「何がだ?」
「付き合ってるわけでもないのに『お前』ってなれなれしく呼ぶのやめて欲しいのよね」
「じゃ、どう呼べばいいんだよ」
「そうね、これからは『大崎様』もしくは『真琴様』でいいわよ」
「馬鹿かお前は?」
「あ、ほらまた」
「一々細かいことで揚げ足を取るなよ」
神田は文句を言いながらも楽しそうに笑っていた。
(……あっ)
その笑顔を見て急に思い出した。
あの事件の時呼び出してから神田の顔はずっと険しいままだった。
その印象があまりに強すぎて、ずっときつい態度を取られていたような気になっていたけど、違う。そうじゃない。
あの事件より前、神田は楽しそうにしていたのだ。
今、こうして笑っているように。
真琴が接したことのあるその他大勢の男子も同じような顔をしていたから気に留めたことはなかった。
なので、意識してみるとちょっとだけステキだなと思った。
神田を好きになる人の気持ちが、少し理解できた。
ついでに神田への漠然と抱えていた嫌悪感も薄れていた。
「それならせめて『大崎さん』って呼びなさいよ」
「今さらそんな他人行儀な呼び方できるかよ」
「あのね、いくらなんでも文句が多すぎるわよ。……って逃げる気?」
文句を言い返そうと隣を見たら、神田はそこにいなかった。
真琴が立っていた十字路を神田はいつの間にか曲がっていたのだ。
「馬鹿か? 逃げるわけないだろ。俺の家はこっちなんだよ」
「あっそう」
「またな、真琴」
真琴は名前を呼び捨てにされたことにムカついて、つい同じ様に返してしまった。
「またねっ、勇壱」
言葉を投げっぱなしにして、勇壱の反応も見ずにその場から走って帰った。
その日から真琴は勇壱のことを気に掛けるようになった。
全く違う二つの顔を見せた勇壱の本性はどちらなのだろうか。
改めて、勇壱のことを追っているといろいろなことに気づかされる。
校内の女子を二分するほどの人気があるにもかかわらず、意外にも一人でいることが多かった。
よく見ていればその原因は明白。
自己中心的で他人を小馬鹿にしたような態度を取っていれば友達なんてできるわけがない。
特に、女子と関わることを完全に拒絶していた。
男子とは普通に接していたが、女子に対する厳しい態度のせいかあまり親しくしている人はいないみたいだった。
以前例の噂話が出た時に、由紀子と美希が言っていたことは本当だった。
なのにどういうわけか、真琴にだけは普通に接していた。
いや、この場合「普通」という言葉は適切でないだろう。
真琴にだけ特別だったのだ。
そして、その理由もすでにはっきりしている。
――好きだから、だ。
噂が流れた理由がやっとわかった。
真琴はこれ以上勇壱には関わらない方がいいのだろうなと、なぜか思っていた。
しかし、それはもうできない。
自分を誤魔化すのも限界だった。
もう、あの事件の真相なんてどうでもよかった。
そんなものは、ただ勇壱に関わるための口実でしかない。
勇壱は放っておけない。
だって、真琴のよく知る人――そう、自分に、自分自身に重なるほど似ていたから。
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