3

 退院してから数日は残っていた夏休みの宿題やら何やらでバタバタと忙しく、由紀子や美希には会えなかった。

 電話やメールやラインをしようにも、新しく買ってもらったスマホには二人の番号やアドレスは当然登録されてはいない、突然の事故だったからラインの引き継ぎも出来なかった。

 そんなわけで、二学期の始業式の今日、久しぶりに二人に会える。

 いつもなら低血圧で寝起きの悪い真琴を由紀子がせかすのだが、今日は逆になった。

 クリーニングに出してパリッとした制服を着こなし、真新しい自転車を引いて歩いた。

 落雷の被害はスマホだけじゃなかった。

 中学に入学した時に買ってもらったものだからまだたった三年と数ヶ月しか乗っていなかったのに、自転車も廃車になってしまったのだった。

 まだ一度も走らせていない自転車を隣の家の門に止めて、インターホンを押した。

『はい、どちらさまで……真琴!?』

 ガチャンとインターホンから聞こえてきた由紀子の声が消える。

 家の中からドタバタと音がして、勢いよくドアが開けられた。

「おはよう由紀子。……っていうか、その格好……何?」

 由紀子は細く少しウェーブのかかった髪がボサボサで、眼鏡がずり落ちていた。

 おまけに上はセーラー服を着ているのに下はパジャマのままだった。

「真琴……本当に、無事だったのね……」

 震える声で由紀子は言った。

 見ると目に涙まで溜めている。

 真琴は自分のために泣いてくれる親友に感動させられた。

 しかし、その雰囲気にあまりに不釣合いな格好をしていたせいで笑いの方が込み上げてきた。

「……あのさ、とりあえず話は後にしようよ。早く髪梳かして制服に着替えてきてよ。一緒に登校したいんだからさ」

「え? ……うん、そうね。ちょっと待ってて、すぐ用意するから」

 由紀子は静かにドアを閉めた。

 壁に寄りかかり、待つこと十分。

「おはよう」

 先ほどとは打って変わって車庫から自転車を引いて、由紀子が優雅に現れた。

「おはよう」

 改めて挨拶をし、二人並んで歩き始めた。

 自転車を漕ぎながらでは話しづらいし、普段登校している時よりだいぶ早かったので歩いて行っても遅刻はしないと思ったから。

「ねぇ、真琴。……雷に打たれて、入院してたのよね?」

「……うん、そうなんだけど……」

「だけど……って。何だか歯切れ悪いみたいね」

「正直言って今でもさ、自分がそんな大変な目に遭ったなんて実感ないのよ」

「でも、入院していたのは事実じゃない?」

 真琴は広く晴れ渡った空を仰いだ。

「そう、なのよね。……それにスマホも自転車も壊れちゃったところを見ると、先生に言われたことを信じるしかないんだけど、それは実感とは別じゃない?」

 視線を落とし、由紀子に顔を向ける。

「私、何か変わったように見える?」

「……いいえ、どこも変わったようには見えないわ」

「私もよ。無傷で後遺症もない。これで事故があったなんて言われても実感なんかわかないわよ。……でもね、その半面納得してるところもあるのよね……」

 真琴は言いながらため息をついた。

 そんな真琴の心を包み込むように由紀子は言った。

「事故のこと変に意識しなくてもいいんじゃない。私は、真琴にケガがなくて本当によかったと思ったのよ。……三日も昏睡状態だって真琴のお母様に聞いた時、もう会えなくなるのかもしれないと思ったわ。でも、今こうして元気に生きてるならそれでいいじゃない」

「……うん、ありがと……」

 それから真琴は学校に着くまでの間、入院生活がいかに退屈でつまらなかったかを脚色をたっぷり付け加えて話した。

 二人が学校の駐輪場に自転車を止めた時、まだ時計は八時を回っていなかった。

 真琴は校舎までの道すがら気になっていることを聞いた。

「美希は、事故のこと知ってるの?」

「うん、知ってるわよ。真琴が入院してちょうど一週間くらい経った時に私に連絡があったのよ。旅行のお土産を渡したいのに真琴にラインを送っても既読にならないって。それで、その時に話したわ」

「そっか、知ってるんだ……」

 そういえば、確か落雷事故に遭ったあの日、美希は海外旅行に行くって話していたことを思い出した。

「あ、もしかして言わない方がよかった?」

 複雑な表情をして由紀子は聞いてきた。

「ううん。事故のこと一から話さなきゃならないのかなって思ってたから。ちょっと拍子抜けしただけよ」

 あっけらかんと答えた真琴を見て、ほっと由紀子は胸を撫で下ろしていた。

「美希さんにも伝言があったじゃない? だから、話してもいいと思っていて確認も取らずに言っちゃったのよ。……でも、よかったのよね?」

「うん。私としては大助かりよ」

 二人が並木道を抜けると急に視界が開ける。

 校舎の前にある噴水広場も久しぶりだった。

 あの日は駆け抜けてしまったから。

 後二、三十分もすれば登校する生徒たちで賑わうこの場所も、今は水の音だけが静かに支配していた。

 世界がたった二人だけになってしまったような感覚を覚えつつ校舎に入った。

 下駄箱に靴をしまい、鞄から持ってきた洗濯済みの上履きに履き替える。

 誰もいない廊下を歩くのは新鮮だった。

 人のいない校舎ってどうしても夜を連想してしまうから怖いイメージしかなかったけど、朝はそのイメージとは全く違った。

 穏やかな雰囲気とピーンと張り詰めて緊張している空気が程よく混ざっていて気持ちよかった。

 真琴は教室の扉を開けると、その場に立ち尽くしてしまった。

 絶対に誰も来ていないと思っていたのに、自分たちより早く来ている生徒がいた。

(……あれ? あの席は確か……)

 真琴が答えを導き出すより先に、教室にいた人物は真琴たちの方へ振り返った。

 そして、ガタンと音を立てて座っていた椅子を大きく倒して立ち上がった。

「マ、マコちゃん……?」

 目を大きく見開いてそうつぶやいたのは、真琴のもう一人の友達。

 美希だった。

「マコちゃん!」

 置かれた机の間を素早く縫って、美希は真琴に抱きついた。

「ちょっと。美希、どうしたのよ?」

「ずっと……ずっと心配してたのよ? 私……」

 目を潤ませて、訴えるように見つめられた。

「ごめ……いや、ありがとう。だよね。……とにかくさ、教室に入りたいんだけど、いい?」

 ちょっとだけ決まりが悪そうに真琴は言った。

「あ、うん」

 手で目を擦りながら残念そうに美希は体を離した。

 真琴が自分の席に着くと、その前の席に美希が座る。

 由紀子も自分の席に鞄を置くと、真琴の所へやって来た。

 二人とも、話を聞く態勢は整ったって感じだ。

「それで、マコちゃん体の方は大丈夫なの? ケガとかはしてないって聞いてたけど……後遺症とかは?」

「見ての通り、健康そのものよ」

 けろりと言った真琴の状態を確かめるように、美希はまじまじと見ていた。

「……見た目には、大丈夫そうだけど……」

 消え入るような声で美希はつぶやく。

 納得がいかないとその表情が物語っていた。

「三日も昏睡状態だったんでしょ?」

「うん。まあ、あいにく私は覚えていないんだけど」

「精密検査の結果は?」

「いたって良好よ。どこにも異常は見つからなかったわ」

 矢継ぎ早に質問を浴びせる美希に、真琴は滞りなく答えた。

 だが、最後に聞かれた質問には、答えに窮した。

「……ねぇ、マコちゃん。本当に落雷に遭ったの?」

「…………」

 一度は納得したことだったけれど、実は真琴自身だって疑問に思っていたことだったから。

「……由紀子にはさっき言ったけどさ、それは正直に言うとよくわからないのよ。でも、あの日私に何かが起こったことは確かよ。スマホも自転車も壊れちゃったし……」

 何より今の真琴には確実に一つ変わってしまったことがある。

 どんなに意識しないように装っても、やはり無視できるものではない。

 不思議な能力を手に入れてしまったことと落雷がどんな関係にあるのかはわからない。

 けれど、とても無関係とは思えない。いや、それどころか落雷に遭った一番の証拠なのではないかと思っていた。

 事故のことを考えれば考えるほど、自分が胸の内に封じた能力を呼び覚ましてしまうような気がした。

 これ以上は考えたくない。そう思った真琴はわざと話題を変えた。

「そうよ、スマホ。新しいの買ってもらったのよね。番号交換しようよ。ラインも登録し直さないとだし」

「あ、うん。そうね」

 思い出したように由紀子と美希はスマホを取り出し、真琴と番号を教え合った。

「何だか、心配して損しちゃったかな。私」

 スマホを弄びながら美希はじろっと見た。

「そうでもないんじゃない。二人が心配してくれたってことがわかって私はうれしかったわよ」

「な……や、やめてよね。そういうこと真顔で言うの」

 赤面してプイッと目を逸らした。

 その仕草がかわいらしくて真琴はつい笑ってしまった。

 つられてか、由紀子も声を殺して肩を震わせている。

 そんな真琴と由紀子の様子を見て、ほんのり赤かった美希の顔がみるみる色合いを強めていった。

「ちょっ……なんなのよもうー!」

 美希の叫び声に大きな雑音が混ざった。

 雑音のした方に振り返ると、教室の扉の所に神田勇壱が立っていた。

 あいつは真琴たちを一瞥するとズカズカと教室に入り、窓際にある自分の席に向かうと思いきや、途中で急に方向を変えた。

 真琴は最も嫌いなあいつのことなんか顔も見たくなかったので、わざとあさっての方向に目をやった。

 だから、どこに向かっていたのか気づけなかった。

 ……声をかけられるまで。

「落雷に遭って死にかけたって割には元気そうじゃん。性格悪い人間がしぶといってのは本当だったんだな」

 不意に投げかけられた言葉に驚き、声のした方を向いた。

 すると、そこには三人の輪を破って神田が割り込んでいた。

「……どうして、そのことを知ってるの?」

 つぶやいてから由紀子と美希の顔を交互に見る。

「こいつらに教えてもらったわけじゃないぜ。聞いても答えてくれなかったしな」

「じゃ、誰が……?」

「誰だと思う?」

 人を小馬鹿にしたような言い回しを聞いてるとムカムカしてくるのがわかる。

 でも、本当の理由はそこじゃない。話してる内容も喋り方も気にするようなことではない。

 ただ、嫌いなやつが近くで言葉を発しているということが真琴の心をイラつかせていた。

「言いたくないならいいわ。別に知る必要のないことだし」

 できる限り感情を出さないように目を閉じて真琴は言った。

「だったら聞くなよな」

 ブチッ。

 何かが頭の中で切れたような気がした。

 この怒りに任せて文句の一つでも言ってやろうかとも思ったけど、やめた。

 これ以上神田とはどんな会話もしたくなかったから。

「テニス部の顧問に教えてもらったんだよ」

「は?」

 真琴は黙って無視しようとしてたところで急に答えが聞こえてきたので、つい聞き返してしまった。

「お前、夏休みの後半ずっと部活に出てなかっただろ? だから、顧問に聞いたんだよ」

「あ、そう」

 答えがわかって、わだかまりのようなものはなくなった。

 それでもあえて不機嫌な顔で言い放った。

 神田は真琴たちに背を向け自分の席へ行こうとした。

((馬鹿か俺は!? 言いたいことはそんなことじゃないだろ! どうして素直に元気そうでよかったって言ってやれないんだ!? あの時だって素直になれればこんなことにはならなかったのに!))

「え!?」

 真琴は無意識の内に立ち上がっていた。

「……何だよ」

 神田はそれを自分を呼び止めたものなのかと思ったらしく、振り返った。

((……真琴のことが、大好きなのに……!))

 真琴が目を白黒させて、口をポカーンと開けていると、

「変な女」

 ぼそっとつぶやいて神田は自分の席へ向かった。

(ど、どういうこと……?)

 今のコエは間違いなく神田の心のコエだった。

 言葉の意味はわかるはずなのに全く理解できない。

 なぜ、そんなことを想っているのか。

 なぜ、夏休み前のあの日嫌いだなんて言ったのか。

 心に嘘をつける人なんているわけがない。

 だとしたら嫌いだと言ったことは嘘になる。

 そんなはずはない。

 今思い出しても胸が痛む。

 あの日罵声を浴びせた神田の目はとても嘘をついているようには見えなかったのに。

 真琴は放心状態のまま腰を落とした。

 由紀子と美希が何か話していたが、全然耳に入らなかった。

 意識的に能力を抑えて、心のコエを遮断していたのに聞こえてしまった。

 それはつまり、神田の抱えている想いがとても強いことを示している。

(神田は、私のことが好きなんだ……)

 心のコエは決して聞き間違えたりしない。

 だからはっきりしていることは唯一つ、神田の本当の想い。

 それは、真琴が自ら終結させた例の噂が、真実だということを今さら証明していた。

 真琴は神田をじっと見つめた。

 表現しようのない嫌悪感のようなものはなくなっていた。

 あんなに、逃げ出したくなるほど嫌いだったのに。

 話したくないほど嫌いだったのに。

 顔も見たくないほど嫌いだったのに。

 今、冷静になって考えてみると、神田に好かれているということは不思議とそんなに嫌ではなかった。

 それでもやはりどうしても一つ疑問が残る。

 例の夏休み前の「事件」。

 矛盾した行動を取ったことの真相が知りたくなった。

 真正面から聞けばきっと「事件」の時と同じようにばっさりやられるだろうと予想できた。

 それは、真琴にとって最悪な想像のはずなのに、なぜだか心がウキウキしていた。

 神田の本心を知ったことで真琴は完全に心理的優位に立っていた。

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