秋(5) 新種の悪魔

 髪の長い女には生気は感じられず、異様な歩き方をしていた。

 足を踏み出す度に膝が折れた割り箸のように曲がり、か細い身体を大きく左右へ揺らす。

 朽ち果てた人間が紐で吊るされ、無理を強いられ歩いてる印象を受ける。

 女が顎をわずかに上げると、こちらと視線が合った。


 その目は白目まで黒く染まり光の反射すら起きない、ケダモノよりも邪悪な目をしていた。

 部屋を出る前、冷蔵庫に置かれた生首と同じ目。


 その時に確信した。

 もはやそれは生者ではない。

 死を受け入れられず未練の残る現世へ執着するゾンビだ。

 その顔はあたかも怨みにより苦悩しているかのように、歪んだ表情を見せつける。

 殺されたことへの激しい怒りなのか、

 間違いなく私は殺される。


 どうしてこんなことになったの?

 

 私は神様がいるなんて信じなかった。

 神を語る人達は各々、その偉大さや寛大さを説いていたけど、私が辛い時や寂しい時も手を差し伸べなかった。


 優秀な姉へのコンプレックス。

 姉へ構う両親からの愛情も気迫で、学校では暗くて不気味とクラスで遠ざけられ無視されて、まるで自分が空気のようだった。


 寛大な神すら私に差し伸べる手を持たず無視してきた。

 私は神に愛されていない。

 誰からも愛されていない。

 他人の痛みなんて私が感じた痛みに比べれば、軽薄以外のなにものでもない。


 だから人を殺しても何も感じない。

 この世界ごと全てを殺したい。


 私は右手に持つ裁断機の刃に付いた柄を握り直して、大きく振り上げると、近寄って来た血まみれの女の頭部に叩きこむ。

 

 頭蓋が砕ける鈍い音と、腕に伝わる肉の弾力と骨の抵抗。

 手応えは充分にあった。

 裁断機の刃は女の頭部へ五センチほどめり込み陥没させる。

 ゆっくりと刃を持ち上げると血が粘菌のように、粘り気を持ちながら垂れていく。

 女は仰向けに倒れた。


 頭を潰されたカエルの死体のような女を見て、私は実生活では感じたことのない爽快感を得た。

 満足すると手から力が抜けて裁断機の刃を離す。


 高揚感に浸っていると本当に命潰えたのか気になり、近づいて様子を伺う。

 生命反応の有無を疑うのは、理系を専攻する人間の向上心に似ている。

 

 ――――息使いは聞こえてこない。


 肉体の活動停止を確認すると身体の熱が冷めて、急激に現実がこの身を襲う。

 血で汚れ震える自身の手を見て改めて認識した。


 私がニュースで言っていた殺人犯。

 

 おかしなもので自分のありのままを受け入れると、これまで酷く霞みかかった感情が消え、憂鬱な気分が反転するように晴れた。


 夢遊病で道を徘徊する私が無意識に殺人を繰り返した。

 妄想で作り上げた彼氏は、私の殺人鬼としての姿を投影した、鏡のような存在だったてこと?


 女が息継ぎをするように呼吸を取り戻す。

 私はまだ自分の手を持て余していた。

 もっと、命を奪う瞬間を楽しみたい。


 仰向けで倒れる女の腹にまたがり、その首に両手をかけた。

 自然と顔の筋肉が和らぎ自分で今、笑っているのが解る。


 あぁ――――――――楽しい。

 人の命を私の手で操作できる。

 この時だけは私は神なんだ。

 

 虫の息となった小汚い女は激しくおえつを繰り返す。

 首を絞められたことで、魂が最後の悪あがきをしているのだと考えた。


 でも違った。

 女は断末魔のような叫びを上げると、口から赤い吐瀉物を吹き出し、こちらへ飛ばした。


 吐瀉物は何か一繋ひとつなぎの固形で蛇の頭のように暴れると、くの字に折れ曲がった。

 その尖端は五本に細かく細切れにされている。


 ―――――――人の手。


 驚き又がる女から手を離し飛び退こうとしたが、女の口から出た手は私の首を鷲掴みにして逃さない。

 赤黒い腕は骨のように細いのに万力で締め付けるような握力で、意識が遠退きそうになる。

 私は赤い腕の手首を掴みもがくと、拘束を振り払った。


 地べたを這いずり離れて女の姿を確認。

 口から出た手は喉元へ引っ込むと、血まみれの女は生きのいい魚のようにのたうち、腰を浮かせた。

 直後、その胸が引き裂かれ血液を噴水のようにぶちまける。


 まるでサナギから割って出た蝶のように、胸から鮮血の塊が出てきた。


 ――――それは脳だ。

 脳の下には真っ赤な女の裸身が付属している。

 それだけではない。

 人の四肢をなす形態に背中やクビレた腰にも、手足が生えていた。

 大まかな外見は昆虫に類似する。

 

 サナギのような人の身体から無理矢理這い出ようとするので、女のあばら骨が砕けて飛散した血と共に、弾け飛ぶ。

 女の胴体は胸と腹が紙のように千切れて離れ離れになり、引き裂かれた断面から肺や胃、膵臓などの肉の袋が散らばり、はみ出した血管は枝分かれした八放珊瑚のように伸びる。


 家畜の解体よりも醜怪な光景は、地獄の悪魔が食い散らかしたようだ。

 生命の神秘とは程遠い、奈落の底から使者を呼び起こしたとも言うべき有り様。


 脳をむき出しにする異型の存在は、アスファルトへ脳をもたげて震え出した。

 

 外気に触れて温度が低下したのか、寒さに震えているようにも捉えるられる。

 しかし、それは違った。


 脳の割れ目が分裂し右脳と左脳が2つに剥がれ、虫の口のように開口すると野良犬か狼のような無数の牙が映え揃っていた。


 ヒュウッ――――と、呼吸の出だしが聞こえた後に、開口された脳の奥から激しい赤ん坊の鳴き声が聞こえた。


 大気を震わす程の音域に私は両耳を手で抑えるが、いくら耳を抑えこんでも泣き声がねじ込まれたように鼓膜を付く。


 しばらくして脳をむき出しにした多足の怪物は、落ち着いたように泣き止み、まるでこちらを観察するように乱杭歯らんぐいはの先を向けていた。


 牙を向き出しにした脳は、背中や腰から生える手足を蜘蛛のようにくねらせ、開口した脳を接近させた。


 ――――剥き出しの脳が襲い来る。


 私も怪物と同じように地面を這いつくばり逃げようもするが、手足の数ですでに逃げ切れない。

 脳の怪物はあっという間に背中へ被さり、私の手首足首を抑え込んだ。


 首をひねると脂肪のシワで出来た口がゆっくり顔へ近づく。

 その奥からドブか生ゴミのような腐った臭いを吹きかけてきた。


 歯並びの悪い牙から赤い血が糸を引きながら垂れ、私の頬を汚す。

 怪物の深淵のような口の中へ視界が飲み込まれていった――――。

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