秋(4) ブラッディ・マリー

 家路に着くと疲れてすぐにでもベッドへ横になりたいが、何かを食べて空腹を満たしたい。

 簡単な料理を作ろうと冷蔵庫へ足を運び、取っ手にかける。


 ふと横目でキッチンに置いたリンゴが目につく。

 しばらく放置していたからか、赤い表面に茶色いシミのような酸化が見られる。

 果実が腐りかけているという警告だ。


 あ、置きっぱなしにしてた。

 何で私、冷蔵庫にしまうの忘れてたんだろう?

 中に入れたくない理由でもある訳ないし。


 取っ手を引きドアを開けると、中のライトが着いて貯蔵された物が見えた。

 そこには本来、冷蔵庫にあってはならないモノが、食材のスペースを奪い貯蔵されている。


 ――――――――若い女の生首。


 顔は白粉おしろいを分厚く塗ったように白く、普通なら淡いピンク色でもいい唇は、紫を通り越して顔面と同じ白色で染まる。

 恐ろしく異様なのはその目。

 雪のような肌に白目まで真っ黒になった目が際立った。


 おそらく首から上を圧迫され眼球内の毛細血管が破裂し、内出血を起こして血で満たされ、その血が変色して白目をドブのように濁らせ黒くした。


「いやぁぁぁああああ‼?」


 部屋の四隅へ逃げ込みうずくまる。

 必死で思考を使い理性を保たせようと、自身の精神をなだめた。

 ありえない、ありえない、ありえない、ありえないありえないありえない、絶対にありえない!


 昼間、研究所でマウスの頭部と人の生首首を白昼夢のように見間違えた。

 きっとこれも見間違い。

 そう言い聞かせ私は前足を出すトカゲのように、手をフローリングへつけて四つん這いでアメーバよりも遅い進みで冷蔵庫を覗く。


 開いたままの冷蔵庫の扉から徐々に視界が中へ移って行くと、黒い髪に覆われた真っ白な頬が視界に入りそうだってので、亀のように身体をすぐ様引っ込めた。


 夢じゃない……本物。

 本物の生首。


 手足の震えが内蔵へ伝わったように、臓物を吐き出してしまいそうなほど気分が悪くなる。

 熱が逃げたように身体が急激に冷えた。

 冷静になんてなれる状況じゃない。

 今にも頭の中の色が消えて気を失いそうだった。

 何故、生首があるのか必死で考えを巡らすが、答えなんか出るはずがない。


 誰か教えて!?


 夏季に通院した精神科医の言葉が鮮明に蘇る。


《あなたの手はすでに血で汚れてませんか?》


 やっぱり――――私が連続殺人鬼なの? 

 夜、睡眠におちいっている間に外を歩き夜道を歩く女性を襲い、首を締めて殺して首を切断する。

 自分でも知らない時間に、意識が無い内に私は罪の無い人達の命を奪っていた。


 恐怖の総和が私を狂わす。


 嘘、嘘、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘、ウソッ!!

 悪夢なら早く覚めて!


 頭を押さえ脳をかき回すように髪をくしゃくしゃにかきむしると、冷蔵庫が瞬間的に揺れ衝撃音と共に、リンゴが落ちるような物音がした。


「ひっ!?」

 

 こんな微々たる物音でも惨事に見舞われたような声を上げるが、現にこの部屋で起きてることは煉獄のように恐怖と精神への苦痛が続く。

 懺悔ざんげするように伏せる私の側へ、ボールのように生首が転がり墨のように黒々とした眼球と視線が合った。


 恐怖の臨界を越えた私は、発狂して立ち上がりドアまで走った。


 ドアに体当たりしてノブを掴むが、チェーンとドアのロックが外せない。

 いつも日常的に鍵の開け締めはしているはずなのに、指が蝋で出来た人形ように固まり、上手く解除ができない。

 指や手を鍵の隙間に挟みスリ傷を作りながら、ようやく解除に至った。


 靴を履くことも忘れ裸足でアパートの外へ出て、宛もなく夜の街へ逃げた。

 とにかく遠くへ。

 全てを忘れる為に少しでも遠くへ行きたい。


 夜の住宅街は静まりかえっていた。

 普段なら駅の方角から仕事帰りで家路に着くであろう、通行人すら歩いてる気配がない。

 まだ晩酌には早すぎる時間だというのに家族団欒だんらんの声すらも聞こえず、まるで寝静まった深夜のような静けさだ。 

 

 だけど今は恐怖でそんなことを気にする余裕はない。

 とにかく逃げたい。

 

 すると、視界の先に浮かぶ高層ビルやマンションの明かりが、黒いペンキの付いたハケで塗りつぶしたように消えた。

 街の消灯はビルから始まりドミノ倒しで夜景を黒く染めて行く。

 あっという間に暗闇が風のように駆け抜け、私の周辺の住宅地までをも飲み込んだ。


 街が――――消えた?


 今、私が走る景色は真っ直ぐ続く夜道だけしかない。

 不意な出来事に順応てきず、工事を終えたであろう凹凸だらけのアスファルトでつまずき、地面に転んだ。


 くじいた足を押さえて立ち上がろうとすると、街頭の光が電柱から射した。

 スポットライトのように照らす光の中に紙人形かと思える人影が、暗闇からゆらゆらと現れ光の中へと入って来る。


 それは髪の長い女だった。

 髪は影で見えづらく黒にも見えるし茶髪にも見える。

 もしかしたら金髪を影越しに見て茶髪に見えるのかもしれない。


 処女を表現したような純白のドレスは、半身が赤い液体に染められている。

 薄暗い明かりからでも、血で汚されているのが一目でわかった。

 蒼白した顔は頭部から血が流れている。


「い、いやぁ……」


 私は立ち上がって後退ろうとすると、右手が鉄のように重くなった。

 理由を知るため視線を向けると、自身の片手に物騒な長物を掴んでいた。

 長方形の刃の先は小さな穴が空いており、これが何に使っている物の付属品なのか理解できる。


 裁断機の刃。

 ネジとナットを外し台と解体した物だ。

 まるでナタのようだ。

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