秋(3) 生きるべきか死ぬべきか
熱帯魚ショップの店員の口角が上がり、語ることへの喜びを、ひたすら噛み締めているように見えた。
「思考してエネルギーを使い切ると休眠状態に陥る。僕達は忘れているだけで熟睡中も脳は夢を見ている。水槽の脳は覚醒する寸前までくるとレム睡眠となり夢を見た後、目を覚ます。再び思考を始めるも外界との接触がないので、現実を現実として認識する術がない。現実と夢の境がないんですよ」
まただ、どこかで聞いた現実と夢の話。
でも何故か思い出せない。
頭の中をホウキで掃いたように思考がさらわれる。
「それを繰り返す内に、やがて水槽の脳は細胞の代謝が限界に達して表皮が破壊され、脳は緩やかに腐って死んでいく。痛覚があれば血管の根詰まりで神経を過敏に刺激されて、痛みを感じ現実の死として感じ取れればいいが、無痛症のように全く痛みを感じなければ、思考している内に死ぬか夢を見ている内に死ぬ」
店員の気味の悪い話に吐き気を催してきた。
怒鳴りつけて無理にでも講説を遮ってしまおうとしたが、声が出ない。
金縛りのように発しようとして出せない訳じゃない。
あたかも自身の脳が”彼の言葉を聞きなさい”と、命じているように声を奪われた。
「思考、夢、死。全てが一つに融合を果たした、まどろみになる。死の概念すら夢心地かもしれないですよ。『生きるべきか死ぬべきか』そんなことを自問することなく朽ち果てるし、僕達も生きてるのか死んでるのか知る前に活動を停止するんです」
あまりにも不気味な話で精神的な負荷が重くのしかかる。
口は砂のように乾き指先が小さく痙攣を起こした。
ジワリと目が回り始め、水槽で並んだ店内の背景が歪んだように見えると、うねりの中へ呑まれそうな錯覚を起こす。
「これって、【哲学的ゾンビ】にも似ていますよね?」
私は震える手で腕掴み、力いっぱいつねって気を保たせる。
「よく、小説とか映画でリアリティが大事だなんて話を聞きますけど、
もう現実とか夢の話はたくさん!
痛みで意識を刺激さするとスイッチが入ったように、小走りで逃げた。
店の外に出ると鬼のような形相でこちらを見る中年の男がいた。
私は驚き裏返った声で聞く。
「な、何ですか!?」
「あのね、何ですか? じゃ、ないよ。こっちはずっと声かけてたのに。アンタ、無視してたでしょ?」
わけもわからず困惑と嫌悪の入り交じる不快な表情を見せると、男は語気を強めて言った。
「ここは
「はぁ?」
私は振り向いた。
さっきまで居たはずの熱帯魚店は影も形も無く、コンクリートの土台だけが広がっていた。
男は私を工事現場から遠ざかるよう早仕立てると、一人で文句を並べる。
「たくっ最近の若い奴は、ボーッとしやがって。ウチの若い連中も何考えてんだかわかりゃしねぇ。どいつもこいつも心ここにあらずというか、なんと言うか……」
§§§
家から一歩外へ出れば頬を冷たい風が撫でる。
季節は秋だけど冬の到来を予期させた。
世の中では春に起きた首切り殺人が解決せず、怯えた秋となる。
夏の晩、観劇の後に遭遇した
暗闇がかすめとるように歳の近い女子大生の首を撥ねた光景と、人を殺害した後に悠然と迫りくる足音が脳裏から離れない。
あんなおぞましい現場を目の当たりにして、内心は外を歩くことすら恐怖を覚えるけど、一人暮らしの身の上ではバイトで学費や生活費を稼がないと、干上がってしまう。
次の日は研究所のスタッフ達へ休んだことを謝り倒して、いつものように作業に取り掛かると、ふと休んだ日の奇妙な出来事が浮かび上がる。
この前の熱帯魚ショップ……アレは夢だったのかな?
やっぱり夢遊病のせいなんだ。
無心で切り落としたマウスの頭部を乗せたトレーの両端を持ち上げる。
何故かボーリングの玉を持ち上げているのかと思えるほど、異様に重い。
引力で地へ引き寄せられるリンゴのように視線を落とすと、トレーには黒髪の長い女性の生首が乗せられ、焦点の定まらない瞳と目が合ったのだ。
口からは泡が溢れるように吹き出ていた。
青白い顔が何かを訴えかけるように、紫の唇が震える。
――――生きてる!?
「いやぁっ!?」
私は悲鳴上げてトレーを落とし、壁際まで後退った。
悲鳴を聞いた先輩の女性研究員が室内に入り、様子を見に来た。
「ちょっと、どうしたの?」
「ひ、人の……首が……く、首がトレーに乗って……」
「はぁ? 何言ってるのよ。マウスの頭部じゃない?」
「え?」
血がシミのように点在する床を見ると、親指くらいのマウスの顔が転がっていた。
「い、今、確かに首が……」
先輩はたいそう面倒くさそうに顔をしかめて、叱りつける。
「ちょっと集中してよ! まったく、マウスだって安くないんだから無駄にしないでよね? 床に落ちた頭部、廃棄しといて」
そう厳しく叱咤すると私一人を残し部屋を去った。
錯覚?
トレーを持ち上げた時のあの重さが嘘だったの?
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