冬(3) 人身御供
人なのか異型の存在なのか解らない教授は、ハタリと広げた腕を閉じて私へ目線を落とし、何かの理解を求めるように言い聞かせた。
「人は感情に双対性がなくなると人間性や共感、道徳観念を重んじることができず狂気に走る。愛情、優しや、思いやり、同情、慈しむ心、慈愛、慈悲……全て人と人の間に相互関係がある双対性だ。君の周りには人はいなかった。いつも孤独だった。誰も君を理解できる双対性を持った存在がいなかったのだよ。孤独でひたすら薄弱な命の首を撥ねていたことで、心は腐り果て命への敬服を無くしてしまった。君は恐ろしい怪物だ」
「私が……怪物?」
「フランツ・カフカの小説に『変身』という作品がある。ある家族の長男が突如、巨大な虫に化けてしまう。家族は虫となった長男を恐れ最終的にその虫を排除してしまう。そして家族は平穏な日常を取り戻し幸せに暮らしたわけだ。肉親である長男のことなど、初めから存在しなかったように」
教授を拒む為に耳を塞ぎたいのに、身体は以前としてベッドに縫い付けられてように金縛りで動けない。
「マリさん。この作品が伝えたいことの裏に真理が眠っている。人の心は変幻自在、環境により
「心が、変態を遂げる?」
「君は優秀な姉に劣ることで両親の愛情から遠ざけられ、全てから自信をなくしたことで他人と友人関係が気付けず孤立。疎外感と孤独感から心はサナギのように閉じこもり、病も相まって心のサナギは殻の中で腐っていった。腐ったサナギで育ち誕生したのが、君の怪物の正体だ」
「違う……違う、違う、違うっ! 私は人間よ!」
「人間……人間とは、なんだい? ある者は理性よりも感情を優先させて自分の利益を考えず他者へ尽くす。ある者は己の欲望と虚栄心を満たす為、才能と想像力を駆使して万事を尽くす。感情が人を聖人にもケダモノにも変え、才能と想像力が人格を作りもするし狂気にも走らせる。常に双対性だ。コインの表と裏」
教授は手を後ろで結び散歩するように、私の横たわる冷たいベッドを歩き回りながら言った。
「安心したまえ、君だけが怪物ではない。孤独になれば誰しも怪物にもなりえる。人間は孤独に耐えられるような進化はしていないからね」
教授の足音がやけに大きく聞こえる。
彼の足音を遮る雑音や騒音がない分、その音に耳をそばたててしまうからだ。
身体は何も拘束されていないのに、脳から伝達されるパルスを拒絶して、手足は尚も金縛りに見舞われ逃げることができない。
「けどね、人間は不思議な生き物だ。孤独も度が過ぎれば苦痛すら愛おしいと思ってしまう。他人の暴力性を愛情だと錯覚してしまうんだよ。そこに双対性を見出してしまうからね。だから、神が与える理不尽も愛ゆえに与えられた試練だと受け入れる。苦痛を現実的な愛だと感じてしまうわけだ」
教授は私の頭の位置まで回ると、こちらの顔色を伺うように私の怯えた表情を覗き込む。
足音が反響しない空間。
無限の虚無が広がる世界。
この空間に逃げ場もなければ金縛りにより、身体を動かす力もない。
逃げることが叶わないことを解っている教授は、私から目を離し、あたかも虚無の暗闇に地平線があるかのように眺めた。
「古代マヤ文明からの習わしだ。万物の調整を行う為、神はより多くの人の血を求める。
彼は視線を再び落とし、怯える私の瞳を見つめた。
井戸の穴のように暗い闇を見せる教授の目を見て、恐怖の臨界点は境を越えた。
「い、いやぁっ!」
「君は神に無視されていると思っているが、むしろ逆だよ。誰より君は神に愛されている。己の狂気を受け入れ殺人を繰り返し、宇宙が望む摂理に貢献してきた。君のして来たことは褒め称えるべきだ。もっと神の側に行きなさい」
私の手を教授は掴むと、魔法をかけたように硬直した腕が動き持ち上げる。
どこからともなく取り出した、手のサイズよりも大きいペンチで、私の人差し指の第三関節を挟み台詞を吐いた。
「メアリー。君は真紅の赤を見た時、どんな反応をしてくれるのかな?」
「やめ――――」
教授はペンチの柄を握ると私の指の根元に、二枚の刃が噛みつき紙のように薄い皮膚を引裂いて、肉まで切り込み骨へと到達させた。
指の関節を押しつぶされる感覚と焼印を押し当てられるよな刺激が、手から腕へ電流を走らせ、脳髄を突き上げるような激痛が伝う。
心臓が喉から吐き出そうなほど叫び狂った。
痛みに身体も思考も支配される。
涙でボヤける視線を掴まれた手に向けると、手の付け根から人差し指が切り落とされ、赤々とした血液が滴る。
「痛い……イタい……」
教授はなんの罪悪感も見せず冷たく言い放った。
「人間の暴力性や残虐性は進化する以前にあった野生の名残ではない。神が人間に与えた使命だ。その命題はただ一つ。耐えず苦痛で現実を作り続けること。1人1人の人生は神によって
「お願い、です……やめて、下さい」
「何を恐れる? 君はマウスの首を散々切り落としてきただろう? それと同じで首と胴の接合を解くだけのことだよ」
「いやっ――――」
人差し指に続き中指の付け根も、紙を切るように簡単に切り落とす。
私の首から上は激痛でのたうち回ってるのに、身体は寝ているように無反応。
教授は二本目の中指を切り落とした後に不満のため息を漏らし、ペンチを放り捨てた。
「あぁ……ダメだ、ダメだ! もっと刺激が必要だ。でなければ宇宙を揺さぶるほどの現実は生み出せない」
教授はベッドの下から片手で扱える程度の斧を取り出した。
指を切り落とした手を持ち上げ腕を伸ばさせると、片手持つ斧を振り上げる。
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