冬(2) ホログラフィック宇宙論

 横たわる私を外周するように歩く教授は、熱弁をふるう。


「喜劇王チャップリンの名言にこうある。『人生はクローズアップすると悲劇だがロングショットで見ると喜劇だ』それをホログラフィック宇宙論に当てはめるなら、人というミクロな視点で見れば三次元の現実だが、神によるマクロな視点から見れば二次元のゆめまぼろしに過ぎない」


 教授は足を止めて宙を仰ぎ、言霊が口から抜けていくように呟く。


「これが、この世界が夢だと言う論理だ。ホログラムで出来た現実。幻は殺しても幻」


 身体は動かないが反論だけは出来る。


「殺人事件が起きても、それは夢を見ているだけ? おかしいわよ!」


「おかしい? 全ての人間は神が作った想像の産物だ。人の命が潰えるわけじゃない。幻が夢として消えるだけだ。我々が存在する宇宙は神が見ている夢だ。人間は夢という現実の中で尊厳を許された存在なんだよ」


「夢? 私達が必死で勉強して将来の為に苦労して身に着けた成果や結果も、他人との出会いと別れから得た経験と成長も、全てが夢だというの?」


「夢じゃないなら何だというんだい? 人間がレム睡眠から目覚めたらどうなる?」


「レム睡眠は眠りが浅く、脳の活動は夢を見ている状態……覚醒すれば夢から覚める?」


「神の眠りは思いのほか浅いようなんだよ。ちょっとでも目覚めの兆しがあったら夢から覚めてしまう。世界の全ての人間が今の現実を、この宇宙が見ている夢だと知ったらどうなる?」


「意識が宇宙の原子粒子に干渉して作り変わる……量子力学における観測者問題」


「君のようにこの現実が夢だと気付いた人間が増えればどうなる? 宇宙もいずれこの世界が夢のだと気付いてしまう。神の目覚めは、それはさぞ強烈な覚醒に違いない。天地創造にあたるビッグバンは、まさしく神が目を覚ました証拠だ」


「人間と宇宙が繋がってると言いたいの? 理解出来ない」


「例えるなら胎盤の中で育つ胎児はヘソの尾で母体とつながり栄養を得ているように、この地球を子宮とみなせば人間は、この惑星と繋がってると考えられる。地球の自然が育む酸素や作物は栄養を与えるヘソの尾だ。地球が胎盤なら宇宙は母体そのものだよ」


「カルト的な見地だわ。地球を通して人間が宇宙と繋がってるなんて、異常な妄想よ!」


「渡り鳥やイルカやクジラなどは地球の地軸を読み取り方角を決め群れで移動する。電磁気を通して生物と繋がってるのだ。なにより知性を持つ生物は脳波を発している。一人ならまだしも七十億人が絶えず脳波を撒き散らしているのだよ」


 教授の解説は気分が悪くなる一方。

なのに、到底理解できない話を更に続ける。


「この地球の地軸に影響を及ぼしていると考察できるだろう? 脳波と地軸で人と地球は繋がり地球は地軸や電離層で宇宙の電磁帯と繋がる。この連鎖により人間の魂は宇宙と繋がっている。人間の覚醒は宇宙の覚醒に突起するのだ」


「狂ってる……」


「残念だな。君のようにセンスのある人でも、この話の真理が読み解けないなんて。考えたことはあるかい? 何故、人は憎み合い他人を傷つけて果ては殺し合うのか」


「そんな話はしたくない! お願いだから助けて!?」


「現実を現実たらしめるものはなんだろうね? 人間のニューロンの配列と自立思考型コンピュータの回路図、そして宇宙に介在する電磁帯の流動。これら全ての構築の仕方は限りなく似ている。なのに人間だけ自我を持ち現実を認識できる。この違いは何だい?」


 理系のさがなのか思わず考えさせられて、この男の口調に乗せられる。


「感覚……物を触った感触、舌に味が伝わる現象、空気の震動で鼓膜が震えて音に変換し、目が粒子に射抜かれて光を捉える……痛みも同じ?」


「素晴らしい! 卒論だったら即満点だよ。人間の感覚の中でも痛みは格別刺激が強い。より現象を現象として認識できる。だから"現実を感じる"為に人は他人に害を与える。そうして苦痛を共有し時に殺す」


「ありえない!」


「ありえるさ。他人が苦痛を味わっている時、自身が苦痛を受けている訳ではないのに、痛々しいと共感してしまう。そうやって人と人とで感覚を共有し、現実として互いに認識しているんだ」


双対そうつい……痛みには双対性があると?」


「双対性! 一方の性質が増すと距離を通じてもう一方の性質が助長される。そうだよ! 痛みは比例関係だ。人が痛みを感じれば他者はそれを痛々しいと見る。逆に人によっては苦痛を見て喜び快楽を得られる。人類の苦しみが宇宙の現実味を加速させるのだよ」


「おかしい、おかしいおかしいおかしい! 人と宇宙を無理矢理結びつけようとしてる。そんなの現実じゃない!」


「痛みは自分の物だけではない。自身の痛みが他者に伝わらないと、現実を認識出来ず夢だと捉え、自我の存在があやふやになり生きていると感じられない。やがて自ら命を断つ。心ここにあらず、夢遊病のようじゃないか」


「自殺までも現実を認識する為の事象だと言うの? 生を実感する為に死を目指すなんて矛盾してる」


「そうだ、矛盾だ! 子孫繁栄が種の保存に必要な生存戦略なら、共食いや同族間で殺し合うなんて理屈に合わない! 殺人も戦争も現実を現実たらしめる崇高な行為だ! そうしなければ生物は生きていけず夢となって消えてしまう。ホログラフィック宇宙論に照らし合わせて導き出した解だよ!!」


 教授は拍手喝采を浴びる指揮者のように手を広げ、暗闇の中にスポットライトがあるかのように天へ叫ぶ。


「だから苦痛と恐怖が必要なんだ! 現実を現実として認識し夢を誤魔化す為。無限の広さである宇宙からすれば地球なんて砂粒よりも微細な存在だ。自殺、殺人、貫姦、全て地球という原子核の中で起きる一瞬の振動現象と同じ。人の生き死になんぞ羽よりも軽い話だ! 人間は生を実感し魂があると振る舞っているに過ぎない!」

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