春(2) 思考実験

 教授は二の句を継いだ。


「それは"インターネット"だ。中国どころか地球全土を回線や電波で繋げていて、光回線を使い高速の情報網を構築している。しかしながら、人と同じような自我が芽生えた痕跡は見られない」


 教授が何を言いたいのか解らなくなってきた。

 これは何? 昔自身が読んだSF小説の話でもしてるの?


「宇宙には星以外存在しないように見えて、実は何も無い空間には様々な事象が存在する。ブラックホールは勿論だが、電磁波や強い力や弱い力が波のように漂っている。特に電磁波は宇宙全体を結びつける超自然のネットワークだ」


「ネットワーク? インターネットのように宇宙も繋がっているんですか?」


「さぁ、それは解らない。ただ生物の脳神経ニューロン、インターネットの回路、宇宙の電磁帯。これら全て信号パルスのみを図式として起こした時、ほぼ同じような網目状の姿になるのだよ」


「脳もネットも宇宙も同じ構図で作られているということですか?」


「面白いだろぉ? なのに何故この星に住む我々、人間だけが自我を持ち現実を現実として認識できるのだろうね。いや、現実だと思いこんでいるだけかもしれない」


 私が眉間にシワを寄せて顔を曇らしても教授の話は、流れる川のように進む。


「マリさんは【ホログラフィック宇宙論】というのは知っているかい?」


 理系を専攻する者なら少なからず、小耳に挟む程度で聞いたことがある。

 私は数十秒を記憶の引き出しを開ける時間に使う。


「例えば、この実験室を一つの立方体とした場合、この空間内に存在する重力は計算状で現した時、とても少ない力となり理に叶っていないもので、月面のように浮遊するはずです。ですがこの部屋の重力は適切に作用している。それ故に本当は私達が存在する次元は、数式だけのプログラムを記載したフィルムのような二次元の薄い世界で、そのフィルムを何らかの方法で三次元、つまり3Dに起こしている。私達はプロジェクターで投影した幻という考え方ですよね」


 教授は机の端に置かれたガラスケースに手を入れる。

 ガラスケースには立派な角と黒い真珠のような光沢を持つ、オスのカブトムシが飼われていた。

 そこから教授は、エサとなる三日月型に切られたリンゴを取り出し、話を付け足す。


「そうだ。ここにあるリンゴはリンゴのプログラムを投影させた、幻のリンゴかもしれない。そのリンゴを人間が掴む時、人の手を構成する原子とリンゴの表面の原子が反発して互いに物体として振る舞った結果、人はリンゴを掴むことが出来る」


「はぁ……振る舞い、ですか?」


「手の原子がリンゴに反発しなければ手はリンゴをすり抜けてしまう訳だよ」


「なんと言うか、科学と言うよりファンタジーですね」


「おかしな理論だ。だが的を得ている。ネットも宇宙も一種の脳の形状なら、ホログラムという夢を構築しているのかもしれない。これらは我々と何が違うだろうか? 宇宙は夢を見ているのかなぁ……」


 教授は両手を蛍光にかざし、シェイクスピアのモノマネをするように続けるので、驚いて身を引いた。


「第十六第ローマ帝王マルクス・アウレリウスの名言『宇宙とは変化そのものだ! 我々、人の世は思考によって作られる!』古代の王も宇宙の多いなる意思を信じ、思考が現実を作り変えていくと考えていたのかもね」


 手を下ろした教授は満足そうに笑みを見せた。

 話が宇宙レベルまで飛躍すると苦笑いすら忘れてしまう。

 教授の思考が現実に戻って来た。


「夢を見る条件を簡素に言うとなんだい?」


「基本的に熟睡している時も夢を見ますが記憶に残りません。目を覚ました時、記憶に焼き付くのは浅い眠りで見た夢。REM《レム》睡眠の時です」


「そうだよ。レム睡眠は浅い眠りだからね。ネム睡眠でもあるんだよ」


 それを言いたい為に今までの話題を持ち出したの?

 それならこっちもイジワるしたくなるわ。


「やだ教授。オヤジギャグ、寒いですよ?」


「ははは! こりゃ失敬」


 あらかた仕事を終えると、日が暮れ始めた頃に定時を迎えた。

 今日のバイトはこれで終了。

 私は更衣室で白衣をロッカーにしまうと、小さなリュックを背中背負い研究所を出た。


 それにしても研究所の机でカブトムシを飼って、その側で首をはねたマウスの脳を解剖してるって、どういう神経してるのかしら?


 と、疑問が過るが帰りの駅につく頃には忘れて、次の予定が頭の中に差し込まれると、私の思考は浮ついた。


 夜の予定はデート。

 流行る気持ちが待ち合わせ場所までの距離を長く感じさせ、電車に乗ってても遅延を起こしているような感覚だった。


§§§


 春の涼しい夜などかき消してしまうほど、燦々と降りしきる雪のイメージが湧く。

 急に冷え込み寒さで身体の震えが止まらない。

 そんな情景が自然と浮かぶほど、優れた曲目だった。


 会場内の誰しもが聴き入る演奏。

 アントニオ・ヴィヴァルディ作曲の【四季】その中の一つ、協奏曲第四番へ短調。

 俗にいう『冬』という題名だ。


 素晴らしい曲目なのは解るけど、順々に春夏秋冬とかなり長い時間演奏を聞いているせいか、疲労感の積もる身体には堪える。

 大学の課題と研究所のバイトで疲れが溜まっていたのか、私は口を手の甲で押さえて、できる限り小さなあくびをした。

 隠したつもりが隣に座る彼にはハッキリ解ってしまったようだ。


「マリ。コンサートは退屈?」


「ううん。ちょっと今週、いろいろ重なって疲れが溜まってたから」


「そう、もうじき終わるから」


 私の彼、シュウジ君。

 長身の彼は有名な音楽大学に通い、ウィーンでも実績のある楽団に属している芸術エリートだ。

 私の理想的な彼氏そのもの。


 段々とまぶたが落ち始め、頭が沈む夕日のように傾き始めると、シュウジ君は声を潜めて私の耳元でささやく。


「この楽曲はそれぞれの季節の情景を楽曲で表現していて、春は小鳥や犬、全ての動物達が季節の到来を喜ぶ様を。夏は照りつける熱射と夜は日が沈み、急な冷え込みによる寒暖差を。秋は作物が実り収穫と、盛んに走り回る野生動物を狩猟する様を描いているんだ」


 彼のささやく声に耳をなでられた気分になり、余計に眠気を誘う。

 まどろむ私に構わず彼はささやき続ける。


「今流れている冬は、厳しい寒さからくる身体の震えと歯ぎしりをしながら耐えて、新たな春の到来を待ちわびる。この『四季』という楽曲は四つの季節が『起承転結』と結びついているんだよ」


 ゼンマイの回り終わったオルゴールが止まるように私は眠りに落ちた――――。

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