第2話『偶然は作るもの』

 あの喫茶店デートから二度目はまだ訪れていない。

 休日の買い出しを終えた凛子は、散歩がてらあの喫茶店へ足を向けていた。もしかしたら居たりして、なんて。柄にもない程の乙女心を抱いてしまっている。


 ──私、紘人さんのことが気になってるんだと思う。


 初日を終えたあと、凛子は「機会があったらまたお会いしましょう」と一旦打ち込んだ社交辞令を削除し、代わりに「紘人さんの都合の良い日がありましたらお知らせください」と脈ありの返事を送った。この一文が緊張した。彼がそこまで気づいているかどうかは分からないけれど。


 凛子はスマホを取り出してそのやり取りをまた眺めた。もう何度目かと、自分でも気味が悪いくらい。

 最後は「都合を見て、また改めて連絡しますね」と終えられていた。何度見ても返事は変わらないのに。見ては落ち込んで、見ては落ち込んで。

 女が送ったのなら次はない、完全なる社交辞令だ。まさか自分がこんな気持ちになるだなんて、これまでの男性たちもこんな心持ちだったのだろうか。ああ、申し訳ない。


 向こうは好印象だったかな、物静かそうだから押したら引いちゃうかな。お店まで歩いている間、紘人と過ごした時間ばかりを振り返っていた。


 アラサーという括りになってからいうもの、めっきり恋愛と疎遠になっていた凛子にとって、相手を知りたい、と欲するのはご無沙汰だった。

 がっつきたくない。単純に、昔のような家族がほしい。凛子の願いはそれだけなのに、適切な距離の縮め方がわからない。


「はあ……」空を見上げては溜め息が舞う。

 うじうじしている間にアンティーク調の喫茶店の前まで来てしまった。

 小さな四つ窓から店内を覗く。

 暗がりでよく見えない。でも客はちらほら。

 一杯だけいただいてから帰ろう。意を決して木製の重厚な扉を開けると、カラン、と鐘が鳴った。


 ◆


 なにか読み物でも持ってくれば良かった。

 買い出しついでにふらっと寄るには雰囲気が良すぎてなんかそわそわする。スマホで今日の出来事や記事に目を通しながらコーヒーを味わった。

 不思議と、家で過ごすより記事の内容が頭に入ってくるような気がする。リラックス効果なのだろうか、それともこれはプラシーボ効果? まあ自分が満足できているからいっか。


 ──へえ、今って犬派よりも猫派が上回ったんだあ。


 現在の飼い猫事情を知ると、ふと脳裏に紘人を浮かべてしまう。彼も猫好きで良かった、なんて勝手にリンクさせてる。だからまだ一回しか会ってないんだってば、もう。


「こんにちは、相席、いいですか?」


 聞き覚えのある声に凛子がスマホから顔を上げると、驚いた。


「えっ、あ、もちろん、もちろんです。こ、こんにちは、紘人さん」


 慌てふためいて噛んだ。後ろめたいことなんて何もないのにスマホを隠すように鞄へしまう。

 こんなことってあるのか、あっていいのか。

 乙女心を加速させるにはこの上ないシチュエーションに、凛子は今までにないくらい心臓が跳ね上がった。まだ気になっている段階の感情に、逐一小躍りする心臓。どうやらアラサーは場数を踏むにつれて経験値が上がるわけではなく、異性への免疫力が下がっていくらしい。知らなかった。


 彼が居たりして、なんて乙女の妄想は普段であれば妄想のまま終わるのに。こんなことなら安易な格好で来なきゃよかった。いや来て良かったんだけど、──。ただもっと化粧くらいちゃんとしたかった。


「ひょっとして、僕のこと待ってました?」

「へ、いや、そんなことは、──」

「……なんて、冗談です。僕もたまたま寄ったら凛子さんがいたので驚きました」

「ああ、そうですよね。びっくり、偶然、」


 なんだか印象が違う。気がする。冗談を言う間柄ではなかったように思う。色白であっさりとした端正な顔立ちではあるけれど、初日に比べて表情が柔らかい。

 

「買い物の帰りにコーヒーが飲みたくなって、つい寄っちゃいました」


 凛子はここへ来た経緯を言い訳のように告げた。

 あなたに気はないんですよ、下心なんて持ってるわけないじゃないですか、なんて裏腹な内情を誤魔化すように。こんな風に接してしまう自分が大学生みたいで情けなくなった。いい歳なのだから、「紘人さんが居るかもと思って来ました」とか言って冗談にすればいいのに。言えるわけないし、もう何が正解かわからない。


 次第に額や手のひらに変な汗をかいてきた。

 鞄からハンカチを取り出してから、気づかれないようにぎゅっと握る。


「あ、ハンカチも猫なんですね」

「……はい。私が持ってるの、ほとんど猫柄のハンカチで」


 しっかりばっちり見られていた。

 

「凛子さんは、猫が大好きなんですね」


 紘人は感心というよりは羨ましそうに呟いた。


 彼は気づいていないのだろうか、前回の第一声と同じ感想ということに。猫好きに呆れているようには見えない。ということは、単に猫と触れ合いたいのだろうか。


「紘人さん、今度猫カフェでもどうですか?」

「猫カフェ、ですか」

「ええ。行ったことあります?」

「いえ、一度もないです。でも行ってみたいです」

「じゃあ今度は私に行きつけを紹介させてください」

「ありがとうございます、ぜひお願いします」

「猫と触れ合ったことは?」

「あー、うーん。野良猫と、ぐらいですかね」

「ではいろんな猫ちゃんに囲まれて過ごしてみましょう」

「心配ですが、楽しみにしています」


 紘人の言う心配が一体なんの心配なのかよくわからなかったが、きっと爪で引っかかれないか、嫌われたりしないか、という意味なんだと察し「大丈夫ですよ」と、特に聞き返すことはしなかった。


 いつだったか、助言を受けたことがある。

 共通の趣味を持つといいらしいよ、と。

 猫を愛でること、喫茶店巡りをすることが共通の趣味になればいいなあ、なんて。凛子はまだ見ぬ未来へ期待を寄せていた。

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