第42話 真実


「……いかにも」


 しばらくの沈黙ののちに、ハイネは唇をしならせて答えた。


「三百年前に、私ははらわたと大切な人を魔物に食べられました。復讐のために狩人サルタリスとなり、運命の相手コンキリオを倒したあとは、神父として各地を転々として……そして百年前に、この地──フォルモンド王国のシグリの村に帰属したのです」


 さまざまな武器のかたちをとっていた彼の腹部が縮まり、歪んで、もとの人の肉へと戻る。おぞましい筋繊維の動きから、リィリエは瞳を逸らさない。


「神父さまは狩人サルタリスだから長い時を生きている。けれど、わたしは目覚めてから狩人サルタリスになった。……どうしてわたしは、百年のあいだ眠り続けていたのですか」


 それはずっと、リィリエの心臓を縫いとめて苦しめているくさび

 ──わたしは誰なのか。どうして生きているのか。


「答えてください……!」


 ハイネの薄紅色の瞳が細められる。彼はリィリエに歩み寄り、長年そうしてきたように、そっとリィリエの頭を撫でた。


「……ああ、あなたをそんな風に悩ませたくなかった。だから記憶を消したのに」


 リィリエの虹彩が引き絞られる。

 堂内に打音が響いた。リィリエがハイネの手を打って振り払ったのだ。息を乱す彼女を守るように、ラウレンツがかいなでリィリエのほそい肩を支える。


「……どういうことだ、神父」


 ラウレンツがリィリエの代わりに問うと、ハイネはさげすむまなざしを彼に向けた。


「あなたに語るべき話はありません、魔物。その薄汚い手で彼女に触る資格があるとでも? 二度も私から彼女を……ドロテアを奪うつもりなのですか」


 神父のののしりを聞いて、リィリエは呼吸を止める。

 ばらばらだった破片が、彼の言葉をきっかけに寄り集まって、ひとつのを描いていく。


 ──二度にわたって神父から彼女、、を奪うという魔物。はらわたとともに大切な人を失ったハイネ。ハイネの自室に下がっていた肖像画。そこに描かれた、白金の髪を持つ少女ドロテア。覚えた既視感。


「ハイネ神父さま」


 ラウレンツの腕から離れて、リィリエはハイネに呼びかける。

 どこか遠いところで、もうひとりのリィリエが拒絶している。この推測を口にしてはいけないと、必死に訴えている。リィリエはその声にあらがう。──真実を確かめないと、この先どこへも行けない。


「わたしは……わたしのからだは……ドロテアのものなのですか」


 リィリエの震える声を耳にして、ハイネはやわらかく微笑んだ。

 それが、答えだった。


「──ドロテアは私にとって、ただひとりの大切な女の子でした」


 ハイネが懐かしむように瞳を細める。


「アルビノである私は幼少期から、神に愛された不具のものとして、神父になるための勉学にいそしんできました。それしか生きる道がありませんでしたから。同じ年ごろの子どものように遊べずに、大人たちからいわれのない差別や侮蔑を浴びせられる日々。これからの人生もずっとそうなのだろうと諦めることは、案外たやすかったんです。期待しなければ、傷つきませんから。──でも、そんな諦念を抱えた私に、ドロテアだけは親しく笑いかけてくれた……。美しい白金の髪と、琥珀の瞳を持つ女の子……」


 ハイネの瞳がリィリエへと向いた。その瞳に映りこんでいるのは、今ここに立っているリィリエなのか、彼の過去に寄り添っていたドロテアなのか、分からない。


「……私が神父として認められたころ、突然ドロテアが私に〝一緒に逃げて〟と泣きながら訴えました。聞けば、街の裕福な商人に見初められたのだと。このままでは、望まない結婚をしなくてはならないと」


 穏やかだったハイネの表情に、苦いものが混じりはじめる。

 彼は拳を握った。音も立てず、皮膚を突き破らんばかりの強さで、手を震わせながら。


「私は彼女の願いを聞かなかった。ドロテアの手を握り〝おしあわせに〟と祝福した。私ではドロテアをしあわせにできない。私と逃げたところで、彼女は不幸になるだけだと分かっていましたから。……でも、もしあの時、ドロテアの手を取って、二人で遠くに逃げていたら……」


 ハイネの言葉じりが細くなり、立ち消える。

 次に彼が顔を上げた時、一切の感情がない、冷えた表情が現れた。


「婚姻前夜、ドロテアは魔物に襲われて、右腕を喰いちぎられました。止血が間に合わず、彼女はそのまま息を引き取った」


 ……そうして、彼女を助けようと駆けつけたハイネもまた、はらわたを喰われた。

 彼は復讐に駆られて狩人サルタリスとなり、運命の相手コンキリオを屠った。ドロテアの仇討ちのために。


「すべてが終わったあと、私はドロテアのひつぎを暴きました。彼女の遺体を持ち出し、彼女をよみがえらせるための研究を進めた。……あなたは知っていますか? 錬金術が全盛だったころ、国は王ではなく、教皇によっておさめられていたことを。錬金術は神に仕えるものたちのわざであり、神父である私も錬金術を習得してました」


 人を不完全に甦らせる錬金術は、神を真似る冒涜ぼうとくとして闇に葬られ、王に固く禁じられた。──それはごく最近の話。ハイネとドロテアが暮らした三百年前の世界では、錬金術は、神への冒涜ぼうとくは、聖職者たちのものだった……。

 リィリエの身体が震える。ついにその場にくずおれた彼女を、ラウレンツが抱きとめる。


「喰いちぎられた右腕を除いて、ドロテアはもとの身体によみがえりました。ただ、魂だけはどうしてもたぐり寄せられなかった。私は彼女の心を取り戻すために、長い年月を研究に捧げました。そのうち錬金術が禁忌となり、私は錬金術とドロテアを秘匿するために、私を狩人サルタリスだと気づかせないために、ドロテアとともに、さまざまな街や村に移り住んだ。そうして私はシグリの村の神父となり、あなたと……リィリエと出会った」


「……わたしたちをあざむいていたのですか…………」


 ハイネは神の教えを説きながら、神にそむく錬金術を行なっていたのだ。

 こらえきれずに漏らしたうったえに、ハイネは寂しそうに微笑んだ。


「そうとも言えるかもしれません。誰にも理解されないと思ったから、私は黙っていたんです。……私は、どうしても大切な人を失いたくなかった」


 ハイネの台詞を耳にして、リィリエは思わずラウレンツを見た。命に代えても失いたくなかった魔物……。

 彼女の視線を受けて、ラウレンツはゆっくりと首を横に振る。


「目を逸らしてはいけない、リィリエ。……シグリの村は、なぜ百年前に焼失した?」


 はっとしてハイネに視線を戻す。リィリエに目で問われて、彼は苦笑した。


「仕方なかったんです。……百年前、魔物に襲われたリィリエが教会に運ばれてきたとき、すでに手遅れなほど失血していると悟りました。けれど魂はまだ肉体に残っていた。事切れかけたリィリエと、魂を持たないドロテア。同じ白金の髪と、琥珀の瞳を持つ少女たち。二人をり合せれば、足りないところをおぎないあえると、私は天啓を得ました。私は二人に錬金術をほどこして、リィリエの魂をドロテアへと移した。そののちに、私は空になったリィリエの肉体の葬儀を執り行って、あなたの目覚めの日を静かに待っていたのです。……それなのにリィリエの死を不審に思った村人たちが、教会をあばいて、あなたを見つけて、これは異端だと私を糾弾きゅうだんしたから……」


「……それで、村人たちを殺して、火を?」


「火は、村人たちが。私は異端の錬金術師と呼ばれて、火刑に処されるところでした。私が死んでしまったら、誰があなたを守るのですか?」


「……お父さんとお母さん、妹と弟は…………」


「……気の毒なことをしたと思っています」


 最後の謝罪を耳にして、リィリエの肩が震えた。彼女の喉から嗚咽が漏れる。


「どうして……どうして、何も知らない小さな子どもまで……! お父さんとお母さんは、神父さまを糾弾したのですか!? わたしの家族はみんな、神父さまを慕っていた! なのに、どうしてそんなむごいことを……!」


「火は燃え広がります。人の悪意も。たとえ私を異端だと責める気持ちがないとしても、村人や家族を殺した私を、彼らはゆるしはしないでしょう。それに、錬金術のことを誰にも知られる訳にはいきませんでした。すべてはあなたのために──ドロテア」


 リィリエは顔を上げた。涙をこぼしながらハイネをにらみつける。

 彼女の右腕の大鎌ファルクスが、憎しみを吸って大きくなった。


 使徒に〝肉体と魂の天秤が不均等だ〟と言わしめた、三百年前の肉体と、百年前の魂。だから使徒の種子も、本来ありえないような巨大な武器へと変貌するのだろう。

 ほかの狩人サルタリスと違うことがずっと不安だったけれど、今はもうそんなことはどうでもよかった。今ここで刃が振るえれば、それで。

 リィリエはハイネに大鎌ファルクスの切っ先を向ける。


「わたしはリィリエです。シグリの村に生まれて、ラウに命を救われた少女です」

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