第40話 信念に殉じよ


 風に舞う雪が、視界を白く煙らせる。リィリエが彼女の向かいに立つ四人──アンゼルムとジゼル、ルカとリヒトを見つめている。

 張りつめた空気が場を支配するなか、重い沈黙を破ったのは、アンゼルムだった。


「……ひとつ、君に聞かせてほしい」


 アンゼルムが積雪を踏んで、リィリエに一歩近づく。


「君にとって、隣にいる魔物……運命の相手コンキリオはどんな存在なんだい?」


 動揺が場に広がる。ルカが舌打ちをして、アンゼルムに文句を言おうとしたが、ジゼルは彼女の外套を握ってそれを止めた。

 ジゼルは、リィリエをまっすぐに見つめる。

 ジゼルも知りたかった。今のリィリエの胸のうちを。


「ラウは……ラウレンツは、わたしの大切な魔物です」


 そこでリィリエは一度言葉を切り、身を乗りだした。


「魔物には飢餓期があります。それは森の草花や木の実、魚や小動物を糧としている魔物が、どうしても人を食べたくなる呪い。わたしはハイネ神父にそう教わりました。でも、ラウは人を食べたくないと苦しんでいた……」


 皆の視線が、リィリエの隣に立つ魔物に集まる。

 人とは違う、黒く硬い毛に覆われた、異形の魔物。


「ラウはわたしを攫ったけれど、わたしを食べようとはしなかった。ラウはわたしにかみさまの話をった。洗礼を受けて、名前を貰い、字を学び、聖書をひもといて、わたしとともに祈った。わたしが身を捧げるまで、ラウは自分の腕を噛んでまで、飢餓にあらがった」


「魔物が……信仰を……?」


 リヒトが戸惑いをあらわにした。その声に応じるように、魔物は首に手をやり、そこに掛かった小さな銀の鎖をたぐった。

 鎖の先端に下がった十字架が、雪の白を反射してきらめく。


「……ラウ、だったかな。君は人の言葉が分かるのかい?」


「──ああ」


 アンゼルムの淡々とした問いかけに、今までずっと黙っていた魔物が応えた。

 ルカとリヒトが驚いて、身を硬くするさまが伝わってくる。反面、アンゼルムとジゼルの表情は動かなかった。ジゼルの脳裏に、マルギットの面影がよみがえる。


 ──そうか。ジゼルは唐突に理解した。狩人サルタリスになって数年の自分ですら、マルギットのような魔物に出会ったのだ。アンゼルムはきっと……。


「人の言葉を話したり、人のすがたになれる魔物を、お前は俺以外にも知っているんだな」


 ジゼルの想いを代弁するように、魔物がつぶやいた。

 アンゼルムはうなずく。


「……うん。遠い昔に会ったんだ。もっとも彼女が何を考えていたのか、僕はあのとき聞けなかったけど」


「……ふざけるな」


 突然、地を這うような声が空気を裂いた。

 ルカが肩を震わせて、魔物に向かって牙をく。


「ふざけるな! 魔物が信仰を持ってるだと!? どうせ小賢しい知恵を持った大型の魔物が、私たちをあざむくためにかたった作り話だろう!」


「嘘じゃないわ!」


 リィリエが声を上げる。ルカの鋭い視線がリィリエへと移った。


「魔物をかばうのかリィリエ! お前は狩人サルタリスだろう!? 狩人サルタリスは魔物を狩るための存在だ! 私たち魔導騎士ホスティアと同じ……! 魔物は呪われた存在だ。私たち人間が、どれだけ魔物に苦しめられてきたと思ってる……!」


 ルカの叫びに、ジゼルの左肢が痛みを訴えた。

 食いちぎられた左足。狩人サルタリスになったジゼルが狩り殺すまで人を襲っていた、ジゼルの醜悪な運命の相手コンキリオ──


「……そうよ。ルカの言う通り、魔物は人を襲う存在だわ」


 リィリエが静かなつぶやきを落とす。


「──でも。魔物とわたしたち人と、どこが違うの?」


 彼女は顔を上げてルカを見据えた。透き通る琥珀色のまなざしで。


「魔物も人も、食べなければ生きられない。わたしたちは家畜を、魔物は人を。大きな種族のくくりのなかには、いろんな性質のものがいて、そのなかには愚かなものも、尊いものもいる。魔物とわたしたちは同じなのよ。魔物も人も、ひとしくかみさまが創られた生き物だわ」


「……リィリエ、撤回して。それは神を侮辱する言葉だ」


「かみさまはすべてのものに、ゆるしを与えてくださるはずよ……!」


 リヒトの静かな怒りに、リィリエは悲痛な声で応じた。


「わたしはわたしの目で見てきたことを信じる。魔物は呪われた生き物なんかじゃない」


「……もういい。そこをどけ、リィリエ」


 ルカが右腕を三日月斧バルディッシュに変える。

 リィリエはかぶりを振って、大鎌ファルクスを構えた。


「君がいくら御託ごたくを並べたところで、魔物と人間は共に生きられない存在だよ。魔物は呪われている。使徒が人間に種子を授けて、狩人サルタリスへと変えるのがその証拠さ」


 リヒトも鎚矛メイスを具現化させた。

 ルカはリィリエに三日月斧バルディッシュを向ける。


「魔物狩りをさだめられた狩人サルタリスが、敵である魔物をかばうなら、それはもう狩人サルタリスじゃない。……ただ力を持って、人間を傷つけるものだ!」


 白い光が散った。

 リィリエの大鎌ファルクスが、二人の魔導騎士ホスティアの武器を受け止める。二人分の力で押さえつけられ、膝を震わせるリィリエの前に、魔物が躍り出た。鋭い爪で、魔導騎士ホスティアの武器をすくい上げるように跳ね返す。

 魔導騎士ホスティアたちがよろめき、たたらを踏んだ。魔物は追撃しなかった。


「魔物と人が殺しあうほかにも、道はあるはずよ。わたしはそれを探したい……!」


 リィリエは再び大鎌ファルクスを構えた。

 体勢を立て直したルカが「綺麗ごとを」と嘲笑ちょうしょうする。


「そこをどけ、リィリエ。お前を惑わせた魔物を殺して、目を覚ましてやる」


「ラウはわたしにとって、大切な魔物なの。傷つけさせない。もう二度と、ラウの手を離さないわ」


 ルカとリィリエは互いの間合いに踏みこみ、武器を振りかざした。しかしその間際、リヒトの鎚矛メイスが一足早く、リィリエの脇腹めがけて繰り出される。

 攻撃を避けたリィリエの身体がかしぐ。ルカの三日月斧バルディッシュがリィリエめがけて落ちる。魔物がその手で三日月斧バルディッシュの柄を握って、ルカの攻撃を受け止めた。リヒトの鎚矛メイスの二撃目が、魔物に襲いかかる──


 高い金属音が鳴り響いた。

 ルカとリヒトが弾き飛ばされて、後方に跳ぶ。


「……いいんですか? アンゼルムさま」


 騎槍ランスを具現化させて、魔導騎士ホスティアたちの武器を薙ぎ払ったジゼルは、隣に立つ男に尋ねた。まるで束ねた髪を操るように、くびからしなるウィップで、魔導騎士ホスティアの手首を拘束したアンゼルムが、普段と変わらない涼やかな声で応える。


「それはこっちの台詞だよ、ジゼル。そもそも君は養生中のはずじゃなかったっけ?」


一番の踊り手プリンシパルはたとえ足を痛めても、最高の踊りを見せるものですから」


 そううそぶいて、継ぎ接ぎだらけの騎槍ランスを指で撫で上げる。

 身体の内側からミシミシと骨がきしむような音がして、神経が痛みを訴えて、鋭く脳を突き刺す。また肢が砕けて激痛に襲われる予感に、冷や汗が流れる。けれど、膝を折るのはこの戦いの幕が閉じてから──ジゼルは今、そう決めた。


「ジゼル、アンゼルム……どういうつもりだ」


 ルカが手首を拘束されてなお、三日月斧バルディッシュとなった右腕を構えながら尋ねた。リヒトも同じように臨戦体勢をとっている。

 ……狩人サルタリスの持っていた種子を、人工的に植えられた魔導騎士ホスティアたち。彼らは自ら望んで、魔物を狩る武器になることを選んだ。魔物狩りが、彼らの存在意義なのだ。けれど。


「この二百年で、不毛ないたちごっこに飽き飽きしてたんだ。連綿と続く不幸を断ち切る可能性をリィリエが握っているなら、僕はそれを助けたい」


 アンゼルムの言葉にジゼルはうなずいた。


「ハイネ神父という方に、あなたの出自を問うのでしょう? 行きなさい、リィリエ。そうしてすべてが終わったら……またこの箱庭に戻ってきて、あなたと魔物の話を聞かせて頂戴」


 そう言い切って、騎槍ランスを構える。

 リィリエが息を飲む音が、ジゼルの耳に届いた。


「でも……ジゼル……あなた、左肢を負傷しているのに」


 ──ああ、そういうところは変わっていないのね、リィリエ。

 ジゼルの唇が自然とほころぶ。箱庭で共に過ごしたあたたかな思い出がよみがえる。


「……私なら、心配なくてよ? この箱庭で、アンゼルムさまに次いで優秀な狩人サルタリスだもの」


 ジゼルはいつか彼女と交わした台詞をなぞらえた。


「行きなさい、リィリエ」


 アンゼルムもリィリエに呼びかけた。


「これは庭長としてではなく、ただのアンゼルムとして言わせてもらう。ハイネ神父に会って真実を明らかにしておいで。それが、この箱庭で君と暮らした僕とジゼルの願いだ。それと、君が百年前に滅びたシグリの村から来たという記憶が正しいなら……ハイネ神父はおそらく──」


 続けて彼の口から出た言葉に、リィリエは目を見張った。

 彼女はしばらく動揺していたが、やがて唇を噛んで深くうなずいた。リィリエはアンゼルムに青い輝石を託して、迷いを振り切るように、その場を飛び立つ。


「リィリエをよろしくね? きちんと守ってさしあげて」


「……ああ。命に代えても」


 そうジゼルに言い残して、魔物もリィリエのあとを追った。


 塀に備えつけられた門扉を押しあけて、リィリエたちが箱庭を去る。そのすがたを見ていた魔導騎士ホスティア二人が、彼女らを追いかけようと身をよじった。

 アンゼルムはウィップを巧みに操り、二人の動きを封じ込める。


「……流石さすがですわね。現役を退しりぞいた今も、武器の扱いに衰えがない」


「うーん……。とはいえ、ずっと二人を拘束しておくのは無理がある」


「私が武器を無効化しましょう」


「あまり手荒なことはしないでくれよ。特にルカには」


「アンゼルムさまったら、本当にルカがお気に召してらっしゃるのね?」


「ああ、面差しがよく似ているからね。僕の姉に」


 突然の告白に面食らい、ジゼルは状況を忘れてアンゼルムの顔を見る。彼はいつもと同じ、飄々ひょうひょうとしたまなざしを魔導騎士ホスティア二人に投げていた。

 思わず笑みがこぼれる。笑い声を立てるジゼルに、アンゼルムは視線を向けた。


「……君はいいのかい? 僕がいくらサリカに良い報告をしたとしても、このできごとは魔導騎士ホスティアたちの口からみんなに広がるだろう。噂はやがて君の母上のもとにも届く。君を認めて、屋敷に戻るよう声を掛けるどころか……」


「アンゼルムさま、リィリエの凛々しいすがたをごらんになって? 謙虚で引っ込み思案で、自分の考えをなかなか表せなかったあの子が、自分の意志を貫いたすがたを」


 彼の言葉をさえぎって、ジゼルが尋ねる。

 ややあって、アンゼルムはうなずいた。感慨にふけるような表情で。

 アンゼルムの顔を見て、ジゼルは満足げに吐息をこぼし、魔導騎士ホスティアたちに向きなおる。アンゼルムのウィップくびきから逃れようともがく、ルカとリヒトを双眼に映して、高らかに騎槍ランスを振り上げて、飛翔の体勢をとる。


「──いつまでもうずくまって母の迎えを待つような、臆病な子どもでいたくないと思ったんです。私もリィリエにならって羽ばたかないと。私の足で、私が望むところへ」


 ふたつくくりの黒髪が風にひるがえった。彼女の唇に気高い微笑みが宿る。

 ひびだらけの騎槍ランスが、燃える炎を照らし返して、輝いた。

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