第五章 換羽

第39話 雪降る箱庭にて


 昨夜から降りはじめた雪は、アンゼルムの箱庭に静けさを被せていた。


 館の二階、火の気のない廊下を、ジゼルが松葉杖をついて歩いていく。

 彼女はふいに立ち止まった。杖を持っていない方の手で、曇った硝子窓をぬぐって、窓の外を覗き見る。舞いおちる雪が地面へと吸い込まれて、見渡すかぎり、白い布に覆われているかのよう……。


 森へと視線を移して、彼女は冷えた唇を噛む。白瑪瑙しろめのうの肌が青ざめて震えるのは、何も寒さばかりが原因ではなかった。


(リィリエ……あなた、どこに身をくらませてしまったの)


 疲労のにじむ顔が硝子に映って、ジゼルは溜め息をついた。


 昨日は様々なことがあった。カーティスの運命の相手コンキリオ狩りにおもむいたのを発端に、人に変化できる魔物マルギットと出会い、ジゼルは左肢を負傷して、カーティスの死を目の当たりにした。そのあとでカーティスの妹ミアを保護して……そして、リィリエが夜半に行方不明になった。


 カーティスの死体の回収、およびリィリエの捜索は、二班の狩人サルタリスが行なっている。ジゼルは左肢の接合をしてもらったばかりで、きつく包帯が巻かれた足は、ひびが元通りになるまで動かすことを禁じられた。二班に同行するなど、もってのほかだ。

 ……リィリエは見つかるだろうか? ジゼルの脳裏に、白くやさしい少女の面影がよみがえる。


(早く帰ってきなさいな。ミアに二度と会えなくなってしまうわよ)


 ミアは狩人サルタリスにはなれない。魔物に傷つけられていないからだ。おそらく彼女は近いうちに箱庭を発つだろう。

 リヒトとルカが今日、箱庭に支給品を運ぶ予定だ。もしかするとその時に、ミアは魔導騎士ホスティアたちに引き取られるかもしれない。


 いつの間に力を込めていたのか、窓にあてた指先が滑り、濡れた硝子が鳴った。その音に物思いから覚めたジゼルは、かぶりを振って窓から離れ、杖をついて階段へと向かう。自室で養生するよう言われたけれど、ジゼル以外に人のいない部屋は静かで寒くて、不安が掻きたてられてしまう。


(アンゼルムさまに、何か手伝いが必要ないか伺ってみようかしら)


 こんな気持ちのままじっとしていられない。それに、リィリエの捜索に進展があったなら、真っ先にアンゼルムに報告がいくだろう。

 ジゼルは決意をかためて、下り階段に足をかけた。


 いつもは軽やかに駆け降りるきざはしが、やたらと長く感じる。なんとか降りきると同時に溜め息が漏れた。一息ついて、庭長室へ向かおうとジゼルが顔を上げると、玄関のあたりから喧騒が聞こえた。


(なに?)


 幼子たちが、ジゼルを追い抜いて玄関へと走る。嫌な胸騒ぎがして、自然とジゼルも玄関の方へ杖を向ける。

 玄関広間では、狩人サルタリスたちが群れ集っていた。外の様子を見ようと騒ぐ子どもたちを、扉の前で止めているのは、ウルツをはじめとした年長の狩人サルタリスたちだ。


「何かあって?」


 ウルツに近づいて問いかけると、彼は困惑した表情をジゼルに向けた。


「アンゼルムさまの加護の聖域アスクレペイオンが破られたって、報告が」


 彼の言葉に息を飲む。

 加護の聖域アスクレペイオンは、箱庭に魔物が立ち入れないよう結界を張る、庭長の能力だ。箱庭をぐるりと囲う塀に、五芒星のかたちに輝石を埋め込んで、塀は陣となっている。輝石を陣から除くか、アンゼルムの息の根を止めるしか、解除する方法はないはずだ。


「……ジゼル!?」


 ウルツが止める声は、彼女の耳には届かない。

 ジゼルが玄関扉を押しあける。雪の白がまぶしくて、視界がくらむ。それに構わずジゼルは雪に杖を突きさして、屋外へと出た。次々と舞い散る白い雪が、彼女の頬をかすめ、黒髪にまといつく。


 ──アンゼルムは庭長になってから、この箱庭を出たことがない。だから外から結界を破るには、輝石を打ち壊して陣を破るしか方法がない。輝石のことは、森の外にいる者たちは誰も知らないはずだ。

 ……そう、狩人サルタリスを除いては。


 明るさに慣れた視野に、橙色の色彩が映る。塀のむこうに群生する木々が、炎を上げているのだ。ジゼルの動きが止まる。

 しかし、火の近くで向かい合う複数の人影を目に捉えると、ジゼルは杖を強く握りなおした。影は全部で五つ、ひときわ大きいものがひとつ。


「リィリエ! お前、どういうつもりだ!」


 ルカの声が鋭い風に乗って届く。次いで、硬い金属音がふたつ響く。

 刃を交えているのは、右腕を三日月斧バルディッシュに変えたルカと、大鎌ファルクスを具現化させたリィリエ、そしてもう一対、左腕の鎚矛メイスを突き出したリヒトと、鎚矛メイスを爪で受け止めた魔物だった。


 リィリエと魔物が、魔導騎士ホスティアふたりの武器を弾き返して、身を寄せる。

 ジゼルは目を見張った。狩人サルタリスと魔物が共闘している? それに、あのリィリエの武器はなんだろう。まがまがしいほどに大ぶりな大鎌ファルクス。前に見た時は、半月刀シャムシールくらいの刃渡りだったのに。


「お願い、話を聞いて。ルカ、リヒト、アンゼルムさま」


 リィリエが悲痛な声で訴えた。

 皆のところに辿り着いたジゼルは「どういうこと」と鋭くリィリエに問う。


「そこにいるのは、魔物じゃなくて。リィリエ、あなた箱庭に魔物を連れ込んだの? 輝石を壊してまで……何を考えているの!」


 批難の声を投げたジゼルに、リィリエは一瞬びくりと身をすくませた。

 しかし彼女はひるまずに、すぐに顔を上げて、琥珀の瞳をジゼルに向ける。


「わたし、どうしてもみんなに聞きたいことがあるの。だけどそれを聞いたら、わたしの身に危険が及ぶかもしれないって、ラウは……この魔物は、わたしに同行してくれたの。輝石は壊さず、ここに。……輝石を返すまでの魔物除けのために、屋外灯を森に移して火を焚きました。わたしの問いに答えてくれたら、わたしは輝石を返して、ラウと共にすぐに箱庭を去ります」


 きずひとつついていない青い輝石を掲げて、アンゼルムとの交渉にのぞむリィリエのすがたを見て、ジゼルは面食らい、言葉をなくした。どこかおぼろげで、儚げだった今までの彼女とは違う。一体、行方をくらましている間に何があったのか?


「……言ってごらん」


「アンゼルム!」


「どうやらこの魔物は、人間に危害を加える気はないようだ。炎が箱庭を守ってくれているし、まずはリィリエの言い分に耳を傾けてみよう」


 アンゼルムはルカを言葉で制し、それからリィリエに視線を送って、発言をうながす。


「……ありがとうございます、アンゼルムさま」


 リィリエは短く礼を言った。

 ルカとリヒトは苦い表情を浮かべながら、武器を肉へと戻す。それを見たリィリエは二人に小さく会釈をして、アンゼルムに向きなおる。


「……わたし、シグリの村の生まれなんです。でも、シグリの村は百年前に火災で焼け落ちて、今は荒れた土地が残るだけだって、ラウは言っていて……。教えてください。シグリの村は、本当に百年前になくなってしまったのですか」


「……シグリの村……?」


 眉をひそめるルカのつぶやきを、リヒトが継いだ。


「おれたち魔導騎士ホスティアは、フォルモンド王国の街や村をすべて把握している。どこに狩人サルタリスを迎えに行けと言われるか分からないからね。……ただ、シグリという村の名は聞いたことがない」


「……正確には百五年前に焼失しているよ」


 皆の視線がアンゼルムにつどう。


「僕はこの箱庭にきて二百年になる。この国で起こったことは、魔導騎士ホスティアたちから長年にわたって報告を受けてきた。……シグリの村は、百五年前に消失している。間違いないよ」


「……じゃあリィリエが、その百五年前に焼失したシグリの村の生まれというのは、どういうことだ? わたしたちは、教会の近くで倒れていた記憶喪失のリィリエを、ハイネ神父が保護したと聞いているぞ」


 ルカの言葉に、リィリエの顔が青ざめる。リィリエは視線をアンゼルムに向けた。

 彼は黙ってうなずいた。ルカと同じ報告を受けているという意味で。


「……リィリエの記憶が違う、もしくはハイネ神父が嘘の報告をした。このどちらかになるね」


 ジゼルとリィリエが出会ったばかりの頃、二人で反省室に入って、身の上話を打ち明けあった。リィリエが微笑みながら話してくれた、シグリの村の思い出。昔馴染みの神父に導かれて狩人サルタリスになったと言ったリィリエが、偽りの記憶を語っていたとは思えない。


「……でも、もしリィリエの記憶が正しいなら、彼女は百年のあいだ眠っていたことになる。狩人サルタリスになる前に、少女のままで? そんなことってあるのか?」


 リヒトの問いかけに、リィリエは何も言わなかった。ジゼルがよく見知っているはずの白い少女が、吹雪に阻まれて遠く感じる。

 リィリエが、きゅっと唇を噛んで顔を上げた。


「ハイネ神父に真実を尋ねます」


「駄目だよ。運命の相手コンキリオを狩るまで、狩人サルタリスは森から出られない」


 アンゼルムは穏やかに、しかし揺らぎのない声で答えて、リィリエの隣に立つ魔物に視線をやった。

 リィリエが一歩踏み出し、魔物をかばうように立つ。


「……ラウはわたしの運命の相手コンキリオです。でも、ラウは好んでわたしを傷つけたんじゃありません。わたしはラウに生きていてほしくて、自分で自分を傷つけて、わたしを食べてと懇願した。……わたしはあの時、もうすぐ天に召される命だったから」


 彼女の唇は、ジゼルがよく知るリィリエと同じように動いているのに、唇からこぼれる言葉は、まるで知らない人のように、遠い。


 鋭い輝きを宿す瞳で、リィリエは四人を見据えた。


「このままじゃ、わたしは何を信じればいいのか分からない。だから、ハイネ神父に会いに行きます」

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