第23話 ふたつの顔
「こちらは……お客さまかしら?」
マルギットは三人に視線を向けた。ミアがマルギットのスカートのひだに顔をくっつけたまま、得意気に答える。
「あたしのおにいちゃんだよ! あとのふたりは、おにいちゃんのおともだち……かな? さっき、ここにきたんだよ」
「そう……あなたが、ミアの」
マルギットはカーティスに向きなおり、丁寧に頭を下げた。
「わたくしはマルギット。今は、ミアの母親を務めているわ」
沈黙が落ちる。皆の視線がカーティスに集まった。マルギットに名乗られたカーティスはしかし、名乗り返さず、挨拶もしなかった。彼は身じろぎひとつせず、マルギットにじっと視線を注いでいる。
──その目は鋭い。
「……おにいちゃん?」
「ミア、マルギットと話がしたい。少しの間、席を外してくれないか」
カーティスの硬い声にびくりと体を震わせたミアは、ただただうろたえるばかりで、返事をしない。
「ミア、お兄さんのお願いを聞いて。ミアはいい子だもの。下の階にいられるわよね?」
「マルギット……で、でも…………」
「買ってきたクッキー缶を厨房に置いているわ。それをおやつに頂いてなさい? あと、新鮮なお肉が手に入ったから、今夜はミアの好きなペリメニを作りましょう」
「ペリメニ? ほんと……? ミア、ペリメニだいすき!」
細かく挽いた肉を、小麦の皮で包んで茹でる家庭料理、ペリメニの名が出た瞬間、ミアはくすんでいた表情をぱっと明るくした。
「わかった、したにいるね」とマルギットに微笑んで、彼女は扉に向かって走り出す。
「……ああ、ミア」
マルギットがミアの手を引いて呼び止める。不思議そうに小首をかしげるミアに、マルギットは
「帰りがけに摘んで作ったの」
その場で膝をついて、視線の高さをミアに合わせたマルギットが、やわらかく微笑んだ。
ミアの頭に被せたのは、花冠だった。
禁忌の森で咲く花は、無彩色ばかりだ。そこから選り分けて摘んだのだろう。硬質な墨色の花や、やわらかな花弁を持つ薄灰色の花、白く輝く百合、
頭に
頬を赤くしてはにかみながら、花冠を被りなおす。
「ありがとう! マルギット、だいすき!」
ミアがぎゅっとマルギットに抱きつく。マルギットも微笑み、小さな体を包んで、
得意気にその場で一回転して、ミアは踊るように扉をくぐって部屋を後にした。階段を軽々と跳ねる、楽しげな足音が遠ざかっていく。
部屋に静寂が戻る。
マルギットはゆっくりと立ち上がり、三人に背を向けたまま、開いたままだった扉を閉めた。
カチリと小さな音が響く。鍵をかけたのだ。
「……これで、ゆっくり話せるでしょう?」
振り返った彼女はカーティスに微笑んだ。カーティスの表情は依然として硬いままだ。それを気にした様子もなく、マルギットはコツリと
「寄るな」
「つれないのね。まぁいいわ。わたくし、あなたと仲良くしたいわけではないもの。わたくしの望みはただひとつ、ミアとずっと一緒にいること……」
「あんたが? 笑わせる。ミアはぼくがつれて帰る。こんな不気味な館じゃなくて、本来いるべき人の住む街へ。ぼくたちの故郷へ」
「両親が亡くなったのに? ミアにもう一度母親を失わせるつもりなのかしら」
「ふざけるな、あんたは母親なんかじゃない……!」
二人を見ていたジゼルが「カーティス、どういうこと?」と口を挟んだ。リィリエも同じ気持ちだった。マルギットとは初対面ではないのか?
問いに答えず、彼は
「カーティス!」
二人は彼の名を呼んだが、カーティスは迷いなくマルギットのもとへ駆ける。
まばたきの間に、視界からカーティスが消えた。代わりに現れたのは、黒く太い節足で──壁に何かがぶつかる振動、音、カーティスの苦悶の声が、リィリエの耳を舐める。
「……少し痛い目を見てもらわないと、話を聞いてもらえないかしら?」
マルギットの声が、幾重にも分断されたような不協和音に変わる。ひとつひとつが金属を引っ掻いたような、耳障りな音だ。
声のした方へ視線をやる。喉が引き
マルギットは腰から上はそのままに、巨大な蜘蛛へと変わっていた。濃紺の服は黒く毒々しい毛並みに変わり、頭胸部からは六本の関節肢が突き出ている。それをわらわらと動かして、太った腹部を這いずりまわす──気味の悪い異形の蜘蛛と、たおやかなマルギットの体が融合していた。
「こいつが……ぼくの、
カーティスの声が耳を
──そんな、まさか。だってさっきまで、人間だったでしょう?
そう問いを返す
反射的にその場から跳び
攻撃を避けたリィリエとジゼルが、それぞれ軽い音を立てて床に着地する。その腕と足は、すでに
「こんなことは初めてよ。あなた……人に
ジゼルがマルギットとの距離を測りながら問う。
魔物はにこりと笑った。上半身だけ見れば、さきほどの人型のマルギットと──人となんら変わらないようすで。
「
「愛しいミア……? ふざけるな! あんたはミアを
カーティスが声を荒げる。
マルギットは瞳を細めた。
「……あなたのことはよく覚えているわ。本当に気の毒なことをしてしまった」
「何をいまさら……!」
激昂した声を残して、カーティスは地を蹴った。一足飛びでマルギットに接近し、その肢を
「わたくし、人を傷つけたくはないの。本当よ?」
マルギットの脇に素早く回り込んだジゼルが、跳躍して
──蜘蛛は目が複数あるため視野が広い。
でもそれは、あの箱庭の
ジゼルが切り結ぶと同時に、リィリエも駆けてマルギットの背後に回り込む。ジゼルが
肢をひとつ失ったマルギットの体が
──これもまたリィリエによる囮。背後からジゼルが突きを繰り出す。しかし同じ手は通用せず、マルギットは素早く振り向き、頭胸部を持ち上げジゼルに糸を吐き出した。空中で避ける手立ても持たない黒い小鳥は、あっという間に糸に絡めとられる。
「ジゼル!」
カーティスとリィリエは弾けるように跳躍した。
リィリエはマルギットの肢へ武器を繰り出したが、
その間にカーティスはジゼルを縛る糸、マルギットの頭胸部と繋がる繊維を
彼に
カーティスが苦悶の声を漏らした。だが彼は貫かれたまま身を
すぐにマルギットから離れて体勢を立て直す。彼の穴の開いた腹部から血がこぼれ、衣服がたちまち赤く染まった。
「ねぇ、お腹から血が出て痛いでしょう? それと同じように、わたくしも痛みを感じるのよ」
マルギットは肢からぼたぼたと血をこぼしながら、嘆くように言葉を吐いて、糸でくるんだジゼルの体をたぐり寄せる。
「やめろ……!」
カーティスの静止の声もむなしく、マルギットはジゼルの
あたりに白銀の欠片が舞った。ジゼルの肢が折られたのだ。
ジゼルの絶叫が部屋を震わせる。
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