第22話 再会


 組み鐘カリヨンが旋律を奏でる。高く、低く、朗々ろうろうと。一班の三人はその音を背後に聞きながら、箱庭と森とをつなぐ唯一の扉をくぐって、禁忌の森へと旅立った。

 灰、白、黒の外套をまとった狩人サルタリスが、迷わずに森を駆けていく。ほそい体を軽々と動かして、ひらりと木々のすきまを縫うさまは、まるで三羽の小鳥のよう。

 いつもは殿しんがりを務めていたカーティスが先頭にいること、彼の手に葉導灯が握られていることが、普段との狩りと一線をかくしている。


「ぼくの運命の相手コンキリオのところへ」


 出立前、カーティスはそうげんを紡いだ。その言を定着した葉導灯の葉は、震えるように浮き上がり、運命の相手コンキリオのいる方角を葉先で差し示した。

 運命の相手コンキリオ狩りの時にだけ携帯が許される、箱庭にひとつきりの魔道具。その灯りを北極星に、三人は薄暗い森のなかを突き進む。

 途中、小型の魔物が三人に襲いかかったが、彼らはめくるめく速さで武器を発動し、すれ違いざまにえぐり、突き刺し、いでいった。三人は失速を知らず、あたかも淀んだ霧を突き抜ける、三筋の流星のようでもあった。


 葉導灯の葉が左右にせわしなく揺れ始める。カーティスの運命の相手コンキリオは近い。

 箱庭を出立してしばらく、魔道具がなければ帰り道すら分からない、それほどまでに森の深くに潜って、そこでカーティスは初めて歩をゆるめた。

 カーティスの背を追っていたリィリエ、最後尾を務めていたジゼルが、彼の動きに合わせて速度を落とす。


 彼の見上げる先に、廃屋はいおくがそびえ立っている。

 塀に囲まれた小さな屋敷で、もとは何色の屋根と壁だったのか……木々の根やつたがびっしりと蔓延はびこり、化け物の胎内の血脈のような、そんな様相をていしている。


「……この奥だ」


 気味の悪い建物をにらみつけたまま、カーティスがつぶやいた。


「ここって……アンゼルムさまの代より前に建てられた、狩人サルタリスのための館じゃなくて?」


「魔物は、ここを根城にしているのかしら……」


 カーティスの隣に立って、おなじように屋敷を見上げながら、ジゼルとリィリエもつぶやきを漏らす。

 しばらく黙って耳を澄ませてみたが、背後から奇妙な鳥の鳴き声がするだけで、他になんの物音もしなかった。


「──行こう」


 朽ちて意味をなさなくなった門扉を乗り越え、カーティスが敷地に足を踏み入れる。リィリエとジゼルもその後に続いた。


 きしむ玄関扉を押しあける。音は薄暗がりに吸い込まれ、やがて途絶える。

 打ち捨てられた館はほこり臭く、それでも外観のように荒れ果ててはいなかった。カーティスがそっと足を踏み入れ、敷かれた絨毯を踏む。埃は舞わなかった。魔物が頻繁ひんぱんに出入りしているからだろうか。

 彼はうしろの二人に目配せして、玄関広間へと歩を進めた。


 玄関広間から廊下へ。廊下から曲線階段へ。葉導灯が指し示す方角へ導かれる。この廃墟は規模こそ小さいものの、アンゼルムの館とよく似たつくりだった。

 二階に上がってあたりを見回しているうちに、奇怪なものが目に入った。それは蓋が割れて櫛歯くしばが欠けたオルゴール、手足が取れて綿や球体関節が飛び出た人形、壊れた玩具おもちゃが転がるさまだった。廊下の端に、あるいは窓台の上に積まれている。

 どうしてここにそんなものが……。そう思いながら三人が顔を見合わせた、その時。


「だあれ?」


 とつぜん声がした。

 三人はすぐに臨戦態勢をとり、薄暗がりに目を凝らす。

 しかし、魔物のすがたはおろか、動く影すら見当たらない。


「マルギットなの?」


 また先ほどと同じ声がする。落ち着いて耳を傾けてみれば、それは少し舌ったらずな幼い声だった。

 先頭で鉤爪クローを構えていたカーティスが、顔を上げて武器を解く。ジゼルとリィリエが何か言うより前に、彼は声の響いた方へと駆け出し、ためらいなく扉の取っ手をつかんだ。勢いよく扉が開け放たれる。


「ミア……!」


 ──そんな、まさか。

 リィリエとジゼルは顔を見合わせ、すぐさまカーティスの後を追って部屋に飛び込む。彼を呼び止めようと息を継いだ二人の唇が、凍った。カーティスが抱きしめている人と目があったから。


 部屋のまんなかに座り込んでいたのは、幼い少女だった。驚きでまるくなった目をしばたたかせ、ぽかんとしている。その瞳は間違いなく生者のそれで、カーティスと同じ若草色だった。


「ミア……ミア……! 無事だった……良かった……!」


「……おにいちゃん?」


 カーティスと同じ小麦色の癖毛が、彼女が小首をかしげるしぐさに合わせてふわりと揺れる。彼は抱きしめた少女から一度離れ、その顔を見つめて「そうだよ」と言った。


「おにいちゃん……!」


 彼女はカーティスをそう呼んで、兄の胸に飛び込んだ。カーティスは、しっかりと妹の体を抱きとめる。

 奇跡だわ、とリィリエの隣で声がした。


「本当に無事だったなんて……」


 ジゼルの言う通りだった。言葉にはしなかったがリィリエも、ミアが亡くなっている可能性が高いと覚悟を決めていたのだ。


 リィリエは心のなかで十字を切った。

 狩人サルタリスとしてやっていくなかで、最悪の想定をしておく習慣がついたけれど……時にこんな風に、喜ばしい裏切りがある。


 抱擁ほうようを解いたカーティスはミアと向かい合い、彼女の髪を愛おしげにいた。リィリエはその光景を目を細めて眺めていたが、ふとあることに思い当たり、小首をかしげる。

 魔物に攫われたというミアは、やつれるどころか、ふっくらと薔薇色のまるい頬をしていて、丈の合った服を着ている。髪にはリボンまでっていて、とても三年もの間、行方不明だったとは思えない。


「ミアは、魔物に閉じ込められていたのか……?」


 ひと心地ついたカーティスも、それが不思議なことだと思ったらしい。

 兄の問いかけに、ミアは無邪気にふるふると首を横に振ってみせる。


「ううん! あたしここで、マルギットとくらしていたの!」


 ──〝マルギットなの?〟

 たしかにミアは三人の気配に気づいた時、そう言った。


「マルギットって、誰だ?」


「マルギットはね、あたしとここにすんでるの。やさしいの、おかあさんみたいに」


 ミアは曇りのない笑顔で答えた。

 ここは禁忌の森だ。普通の人間が立ち入れる場所ではない。いや、ミアのようにさらわれてきたなら、あるいは──?

 カーティスの側で、白銀の光を放ちながら、葉導灯が揺れている。魔道具が主張していることを思い出し、カーティスは息を飲んだ。強くミアの肩をつかむ。


「この館には魔物がいる。話はあとだ。はやくここから逃げよう、ミア」


「えっ、えっ? ここにはまものなんていないよ……? そとにはまものがいっぱいいるから、このおうちからでちゃだめって、マルギットにいわれてるの」


 眉をひそめるミアから視線を外して、カーティスは二人を見た。しかしリィリエもジゼルも、困惑の表情を浮かべることしかできなかった。

 カーティスが葉導灯に刻んだのは、運命の相手コンキリオの居場所だ。ではなぜ、この館にミアがいて、運命の相手コンキリオがいないのか──


 部屋の外から靴音が聞こえた。三人は顔を見合わせる。それは軽く、高く、かかとがついた女性靴のもので……部屋の扉の前でぴたりと止まった。控えめなノックが送られる。


「マルギットだわ!」


 ミアがカーティスの手のなかからするりと逃れて、音のする方へ走る。


「おかえりなさい、マルギット!」


 ミアが扉を開けて、来訪者を抱きしめた。ミアのふわふわとしたつむじに、たおやかな白い手がのせられる。

 ミアの頭をやさしく撫でる手の持ち主は、白銀の髪をゆるく編み、濃紺の服を着た大人の女性だった。女は慈愛のこもったまなざしをミアに向ける。


「ただいま、ミア。いい子にしてた?」

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