第三章 猛禽

第21話 きたるべき日のために


 禁忌の森で、枯葉をにじる音が響いている。

 複数の足音に、やがて硬い打撃音が加わった。何かが木の幹にぶつかって、糸杉がざわざわと揺れる。くぐもった唸り声が響く。

 幹に叩きつけられたのは、中型の魔物だった。上半身すべてが縦に裂けた口である奇形である魔物が、せて体液を吐き出し、腐葉土を酸で焼く。


 魔物が体勢を立て直そうとした時、流星に似た輝きが魔物の口内を穿うがった。後頭部を貫いて、幹に魔物を縫いとめたのは一振りの騎槍ランスだ。魔物はうめいて大量の酸を吐き出すが、円錐の武器は溶けだすどころかびくともしない。

 魔物は虫の節足に似た下肢を騎槍ランスに這わせ、そのまま武器の持ち主を──ジゼルを絡め取ろうとした。

 その刹那、魔物の下肢が狩りとられる。ほそい爪痕を何度も刻み、下肢を引きちぎったのは、カーティスの左手が変貌した鉤爪クローだ。金切り声を上げて絶叫し、残った足を蠢かせ、苦痛の道連れを探す魔物から、彼は素早く身をかわす。

 カーティスが身をひるがえした刹那、半月の煌めきが魔物に落ちた。半月刀シャムシールが心臓を両断したのだ。魔物は森を震わす雄叫びを上げて、事切れた。


 ジゼルは体をしならせ後方転回して、その勢いで左肢である騎槍ランスを魔物から抜いて、着地した。武器にまとわりついた酸で、彼女の黒い外套が濡れる。ジゼルはあわてて外套のすそを持ち上げた。


「連携が遅くなくて? 武器と聖具が汚れてしまったわ」


「ご、ごめんなさい!」


 半月刀シャムシールの右腕もそのままに、リィリエはジゼルに頭を下げる。白い外套が大きくはためき、百合の香りをまき散らした。


「リィリエは剣の刃渡りが変わったから、まだ距離感がつかめないんだろ」


「私が言っているのはあなたのことよ、カーティス。リィリエは悪くないわ」


「うーん……? まさかジゼルが、初撃であそこまで魔物を吹き飛ばすとは思ってなかったから、駆けつけるのが遅れた。以後気をつけるよ」


 カーティスは肩をすくめて、ジゼルに携帯水筒を差し出した。彼の手もとをちらと見て、ジゼルはねた顔のまま、騎槍ランスを彼の前に突き出す。水筒が傾いて、彼女の武器が水で清められていく。

 このやりとりは、小鳥がじゃれあっているようなものだ。アンゼルムの箱庭に入ってから季節が冬に移ろった今、リィリエも、やっと二人の口喧嘩になれてきた。

 ジゼルに続いて、半月刀シャムシールの右腕を水筒の下に差し出す。


「それにしても……成長する武器なんて。初めてお目にかかったわ」


 白銀の輝きを取り戻したリィリエの武器を見たジゼルが、感嘆の吐息を漏らす。

 そう。武器を初めて発動した頃は、果物ナイフくらいの刃渡りしかなかったリィリエのやいばは、魔物と戦ううちに徐々に発達していき、いまやもとの腕よりも長い、半月刀シャムシールへと変わっていた。


「わたしの武器、そんなにめずらしいの……?」


 武器を腕へと戻して、リィリエが尋ねる。彼女の不安に感づいたのか、ジゼルは「威力が増したのは喜ばしいわ」とやわらかな微笑みを返した。


「なんにせよ、これでここら一帯の魔物は殲滅せんめつした。戻ろう、アンゼルムに報告しないと」


 カーティスが灰色の外套をひるがえす。いつもの淡々とした口調だったが、それでもどこか浮立った彼の様子を嗅ぎ取って、ジゼルは小さな鼻を上向けた。


「この魔物で、ついに中型二十匹目ね。今のお気持ちはどう?」


 カーティスが立ち止まる。彼は振り返り、二人に笑顔を向けた。


「最高だよ。──やっと妹を助けられる」


 その目は爛々らんらんと輝いていた。




   〇




 運命の相手コンキリオを狩るにふさわしい狩人サルタリスになったと、そう判断される基準がある。すなわちそれが、中型の魔物を二十匹倒したという実歴。


「まぁ、そう言ったのは僕だけどね? ちょっと早すぎじゃないかなぁ」


 力の抜けた台詞を聞いて、カーティスが鼻白む。


「早すぎる? ミアがさらわれてから、こんなに時間が経ったのに? どれだけぼくがこの日を待ち望んでいたか、あんたは知っているだろう? アンゼルム」


勿論もちろんだとも。そうにらまないでほしいな」


 アンゼルムはあくまで柔和にほほえんだ。

 箱庭に戻ってすぐに庭長室へ駆け込み、報告をするなり「条件がそろったので運命の相手コンキリオを狩りとる許可を」と意気込むカーティスに、アンゼルムが返した言葉は、やんわりと先延ばしをほのめかすものだった。

 ちりちりと産毛が逆立つ緊迫した空気に、リィリエは固唾を飲む。


「いいかいカーティス。まずひとつ、たしかに君は優秀で、中型の魔物を二十匹倒した。怪我ひとつ負わずにね。けれど同じ班のリィリエはどうだい? やっと魔物狩りに慣れてきたばかり。おまけに彼女の武器は未知数だ。班で狩りをする以上、もう少し時間を置いても──」


「わ、わたしなら大丈夫です!」


 アンゼルムの言葉を遮って声を上げる。彼は目をまるくしたが、「きちんと自分の意見が言えるようになった。成長したね」とリィリエに微笑んだ。

 気恥ずかしくなってうつむく。でも、あの淡白なカーティスが、運命の相手コンキリオを狩って妹を助けるという目的に関しては、人一倍野心を抱いていると知っている。足手まといになりたくない。

 アンゼルムはふっと息をはいて、カーティスに視線を戻す。


「ま、この件は百歩譲って大丈夫だとしても、だ。ふたつめの問題がある。……ねぇカーティス。冷静になって考えてみてほしい。三年だよ。その間に君の妹が囚われたまま食べられず、無事でいられると思う?」


運命の相手コンキリオはあの時、両親のはらわたと、ぼくの左手を食った。飢餓期の空腹が満たされる、十分な量の食事じゃないとでも?」


 カーティスが皮肉な笑みを浮かべた。


「それに、騒ぎを聞いて駆けつけたミアを、その場で傷つけることなくさらっていく様子を、ぼくは血の海のなかで見た。より大型に近づくにつれ、魔物の知性が発達する仮説が正しいとしたら、空腹を感じた時の食料、、を、新鮮に食べるために生かしておいても不思議じゃない」


 沈黙が落ちる。カーティスとアンゼルムの視線が交わり、空気が研ぎ澄まされる。


「……たとえ君の妹が生きていても、死んでいても、地獄を見るかもしれないよ?」


「地獄ならもう見たさ。僕が狩人サルタリスになったのは、ミアを助けるためだ。たとえどんな結末が待っているのだとしても」


 カーティスの意志は、静かでありながら強固なもので──先に根くらべを投げたのは、アンゼルムだった。


「はぁ……。そうだよね。君は初めからそう言っていた」


 カーティスが表情をほぐして、アンゼルムの方へ一歩踏み込む。


「それじゃあ……」


運命の相手コンキリオ狩りの許可を出そう。ただし出立は七の日をまたいだあとだ。準備は念入りに。それから──もし狩りで深手を負った場合、迷わずすぐに引き返すように」


 痛みをはらんだアンゼルムの表情を見て、カーティスは言葉に詰まる。

 ──本当は彼も知っていたのだ。どうしてアンゼルムが今、運命の相手コンキリオを狩ることを渋っていたのかを。

 リィリエは唇を噛んでうつむき、まぶたを閉じた。まなうらに、亜麻色のおさげを跳ねさせてリィリエの名を呼ぶ、アラリカのすがたがよみがえる。

 思い出のなかの彼女はいつも明るくて、そのことに慰められるけれど──切ない。

 しんと静まり返った庭長室に、アンゼルムのやさしい声が染みていく。


「約束してほしい。何度でもやりなおせるのだから。……命さえあれば」




   〇




 一班がカーティスの運命の相手コンキリオ狩りに行くという話は、晩餐の席でアンゼルムの口から皆に伝えられた。

 歓声を上げる者、一班を鼓舞する者、沈痛な面持ちで黙りこくる者──ウルツとエミリアは後者だった。特にエミリアは最近めっきり口数が減っていて、話を聞いた時には、いまにも倒れてしまいそうなほど、顔から血の気が失せた。


「かならず帰ってくるわ」


 リィリエはエミリアとそう約束し、小指をすくいとって結んでみせる。

 そう──だってリィリエは、まだ自分の運命の相手コンキリオを狩っていないのだから。


「カーティスの復讐が成し遂げられたなら、次はあなたよ」


 食堂から自室に戻る道すがら、リィリエの考えを読み取ったかのように、ジゼルがそう囁いた。


運命の相手コンキリオ狩りをあますことなくご覧になりなさい。そうしてきたるべき日のために、しっかりと牙を研ぎなさい」


 リィリエはジゼルの言葉にうなずいた。

 それから一班の三人は、勉強や作業の空き時間を使って、情報を交わし、意見を擦り合わせていった。あらゆる事例を想定して、対策を練っていく。

 ふとリィリエが疑問を投げた。みずからの運命の相手コンキリオをどうやって見分けるのかと。

 ジゼルとカーティスは顔を見合わせ、どちらともなく笑みを浮かべた。それは皮肉を帯びた笑みだった。


「ここで知るのよ」


 ジゼルが、自身のうすい肋骨ろっこつを撫で上げる。鎖骨の下、小さな膨らみの間で指を止める。


狩人サルタリス運命の相手コンキリオと共鳴できるの。自分を傷つけた魔物だと、そう心が教えてくれる。だってその魔物は、赤い糸で繋がれた〝運命の相手〟だもの」

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