第18話 わたしのたからもの
「ごめんなさい……」
沈黙に耐えかねて、リィリエがこぼした最初の言葉は謝罪だった。
アンゼルムに連れられた庭長室で、しかし彼は椅子に腰かけたまま、何も言おうとはしなかった。ただじっと、片眼鏡のはまった目でリィリエを見つめるばかりで、その瞳には怒りも悲しみも見当たらない。
「どうして君があやまるのかな」
そう聞かれて、リィリエは困惑し、次の言葉を探した。
「だって……ジゼルと喧嘩してしまいました。魔物に使うべき武器まで発動させて」
「どうして喧嘩をしたんだい?」
あくまで静かに問いかけるアンゼルムに、リィリエは指を組んでもじもじとさせる。
先に庭長室に入って、アンゼルムと話をしたのはジゼルだ。リィリエはそのあと入れ替わりで招かれて……ジゼルは何と答えたのだろう。
「僕はね、リィリエ。君の謙虚さや奥ゆかしさ、優しい心を
アンゼルムはことさら声音を落として、やわらかなものにする。
「……ジゼルは夕食後に、エミリアからロザリオを
「……うそ」
思わず漏らした言葉に、アンゼルムは瞳を笑みのかたちに細めた。
「ジゼルは嘘をつかないよ。僕にも皆にも、ただの一度も。とても
──〝そんな大切なものなのに、きちんと管理できないなんて。
脳裏にジゼルの言葉がよみがえる。鼻で笑うしぐさに怒りを覚えて、何も尋ねずに、盗ったと決めつけたのは……リィリエだ。
「彼女はこうも言っていたよ。リィリエに冷たくあたったのは事実だから、誤解してもしかたないって。……すごいよね、自分の態度を認めた上で、君の気持ちすら認めるなんて」
アンゼルムが笑った。
リィリエは、真っ赤になった顔を上げられない。恥ずかしさと情けなさで、どうにかなってしまいそうだ。
涙をこぼしそうになる。唇を噛んで耐える。こんな時に自分のために泣くなんて、そんなことはしたくない。
「わたし……」
なんとか顔を上げて、声を絞り出す。
唇が震える。
──それでも、ここで黙っていたら、だめな子になってしまう。
「わたし……悲しかったんです。ジゼルに冷たくされて。最初にジゼルを見た時、なんて綺麗な女の子なんだろうって思いました。同室になれて嬉しかった。でも、あんまりおしゃべりしてもらえなくて、冷たい態度をとられて、ジゼルはわたしが嫌いなんだって思って……それで、何も言えなくなりました」
勇気を出して聞けばよかった。冷たくする理由を。
勇気を出して尋ねればよかった。どうしてロザリオを持っていたのかを。
結局リィリエの意気地のなさが、この騒動を招いたのだ。
「アンゼルムさま、わたし……ジゼルに謝りたい」
「……話をしておいで」
アンゼルムは立ち上がって、脇に置いていた肩掛けをたぐり寄せた。それは毛足が長くてあたたかな、
「君とジゼルには一昼夜のあいだ、二人一緒に反省室に入ってもらう。反省部屋はひとつしかないからね」
手にした肩掛けをリィリエに被せて、アンゼルムは彼女の瞳を覗きこむ。
「君も身をもって知ったと思うけれど、使徒の種子である武器は、感情に反応して、宿り主を守ろうとする。たとえ
「……はい」
「いい子だ」
アンゼルムは唇を持ち上げた。
「……僕はね、リィリエ。
二百年──
眉根を寄せてアンゼルムの顔を見る。けれど彼は凪いだ瞳で、リィリエのまなざしを受け止めるだけで、完璧な微笑みを崩さない。
そこには同情を挟ませない
「庭長になって、僕は満ち足りている。ここには僕と同じ運命を持った子どもたちがいる。めまぐるしい日々を送り、少しずつ成長して、懸命に生きるみんなを見守るのが、僕の使命であり喜びだ。だから、君たちが仲良く笑いあえるようになってくれたなら、僕はそれを嬉しく思う」
〇
アンゼルムに案内されて、一階の最奥にある反省室に入る。かたく閉ざされていた扉の奥は剥き出しの石壁で、狭い部屋に粗末な寝具がふたつ置かれているだけだ。採光窓から月光が一筋差し込んで、肩掛けにくるまって部屋のすみにうずくまる、ジゼルの姿を浮かび上がらせている。
「食事は部屋に運ぶよ。カーティスには僕から事情を説明しておく」
アンゼルムに「おやすみ」と言い残されて、扉は音を立てて閉まった。
ジゼルの方を見る。暗くて表情がよく分からないけれど、彼女はもう眠っているのだろうか? その場に立ちすくんで、声を掛けるか迷っていると、
「……朝までそうしてるおつもり?」
鈴の音が耳をくすぐった。リィリエはあわてて首を横に振って、すこし迷った末に、ジゼルの向かいの寝具に腰かける。彼女はリィリエをちらと見たが、何も言わずに抱えていた足を伸ばして、吐息をついた。
沈黙が落ちる。リィリエは身のうちで大きく跳ねる鼓動を聞きながら、こくりと唾を飲み下す。
「ジゼル」
三音紡ぐと、暗がりのなかで瑠璃の目がリィリエに向けられた。猫のように鋭い瞳に見つめられてたじろぐ。けれどリィリエは勇気を出して、そのまま声をふりしぼった。
「……わ、わたし、あなたのことを勝手に誤解してた。エミリアからわざわざロザリオを預かってくれてたのに、恩知らずで最低な勘違いだわ……。それだけじゃない。かっとなって、つかみかかって……あなたの言う通り、あの時のわたしは野蛮で、愚かで、ほんとうにどうしようもなかった。心から謝りたいの……ごめんなさい……」
そこまで口にして、深く深く頭を下げる。許してもらえるかは分からないけれど、それでも気持ちだけは伝えたい。
顔を上げてジゼルを見つめると、彼女はふいと顔をそむけた。
「自分を
「……え?」
「腹に
「そ、それは…………ご……」
ごめんなさい、と言いかけて、あわてて口を
(謝りぐせがついているんだわ……)
気づけて良かったけれど、それ以外に何と声を掛けていいのか分からない。
ジゼルは
「……もういいわ。得意にもならず、私を見下しもしない。馬鹿馬鹿しいったら」
シャリ、と小さな音がして、銀のかがやきがジゼルの手から投げられる。あわてて手を伸ばして受け止めて、月光に掲げて確かめる。それは間違いなく、リィリエの片割れともいえるロザリオだった。
「ありがとう……!」
リィリエは微笑み、手のひらでロザリオを包んで胸もとに寄せ、祈りの言葉を口にする。
「……そのロザリオをそんなに大切にするのは、なぜ?」
今までにないリィリエの喜びに触れて戸惑ったのか、ジゼルがめずらしくためらいがちにそう尋ねた。
「……わからないわ。このロザリオをいつから持っているのか、誰に貰ったのか。わたし、このロザリオに関することをなんにも覚えていないの。魔物に食べられかけたせいかしら」
ロザリオの珠を指で繰り、留め金を外して、うなじに当てる。慣れたしぐさで鎖を輪になおすと、いつものように首と心臓の上にわずかな重みが加わった。そのことに、リィリエは心から
「でも、わたしが魔物に襲われて目を覚ました時、心細くてしかたなかった時、使徒の試練を受けた時……このロザリオがあったから、わたしは心を
指で十字架をなぞる。鉛でできた祈りの象徴は、けっして上等なものではなく、あちこち傷が入っていたり、曇っていたりするけれど……。
「わたしのたからものなの」
月下でうつむきがちに咲く花に似ていた、リィリエの笑顔。けれど今は……欠けたものが補われ、かがやくように花開いている。
「……そう」
ジゼルは短く返答をした。ほんの少し、虚を突かれたような顔をして。
彼女は肩にかけていた毛布で体を包み、そのままリィリエに背を向けて、寝台に横になった。リィリエがジゼルの背を見つめていると、かぼそい声が響く。
「──もう眠るわ。おやすみなさい」
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