第13話 別離と邂逅


「ルカ、リヒト!」


 リィリエは玄関広間で二人を呼び止めた。広間の窓に映る景色は、すでに薄闇に染まり始めている。


「アンゼルムさまもああ言われていたし、今夜は館に泊まっていったら……? 外はもう暗いし、森は危険だわ。食料だって残り少ないじゃない。早くサリカに戻らなくちゃいけないのかもしれないけれど、一晩くらい……」


「駄目だ、私たちはこの箱庭に長居しないと決めている」


「ルカ……どうして……?」


「──狩人サルタリスと馴れ合いたくないからだよ」


 ルカの言葉を、リヒトが継いだ。


「おれたちは魔導騎士ホスティアとして、ずっと狩人サルタリスをこの箱庭まで護衛してきた。君だけじゃない。おれたちは、何人も、何十人もの狩人サルタリスを、ここに送り届けてきたんだ」


 リヒトを止めようとルカは口を開いたが、結局何も言わなかった。

 リヒトは淡々と話し続ける。


「アンゼルムの招待を受けて滞在している最中に、おれたちが送り届けた狩人サルタリスがいないと気づいたら? 運命の相手コンキリオを狩って、もといた場所に帰ったならいい。けれどそれより圧倒的に、魔物狩りの途中で命を落とした狩人サルタリスが多いんだ。おれたちは屠殺場に子どもたちを連れて行った訳じゃない。そう思わないと、この任務を続けられない。だから必要以上にここにいて、感情を揺らすわけにはいかないんだよ」


「あ……」


 リィリエは言葉をなくした。

 沈んだ空気を破ったのは、ルカだった。彼女はリィリエに歩み寄って手を伸ばし、白金の髪をいた。リィリエが顔を上げると、ルカの鮮やかな笑顔が目に飛び込んでくる。


「……お前は生き残れ、リィリエ」


 ──別れが惜しいなんて思っていたことが、恥ずかしくなる。

 リィリエは唇を噛んだ。それでもうつむく代わりに、ルカにしっかりとうなずいて、自信に満ちた微笑みをつくってみせる。


「わたし、優秀なんでしょう? 大丈夫。魔物にも、運命にも、負けないわ」


 リィリエの表情を見て、ルカは一瞬おどろいて、しかしすぐに微笑んだ。リィリエは思わず「ルカも負けないで」と口にする。彼女は笑みを深めてうなずいた。


 館の扉が開かれて、ルカとリヒトが箱庭をあとにする。リィリエは扉を閉じずに、離れていく魔導騎士ホスティアたちの姿を見送った。すみれ色の空の下、低い陽光のもとで長く伸びる、二人の影を眺めて。


「──ずいぶんと自信があるのね」


 長い物思いは、凜とした声音に断ち切られた。リィリエが振り向くと、そこには階段の手摺てすりに身体を預けた、ジゼルの姿があった。

 さきほどルカにかけた言葉を聞かれていたのだと知り、リィリエは真っ赤になってうろたえる。


「……ち、違うわ、あれは……ルカを安心させるために」


「でしょうね。でも、あなたがたぐまれ狩人サルタリスであるのは事実。せいぜい狩りに貢献なさって?」


 どこか毒を含んだ台詞が返ってきた。その物言いに、さきほど庭長室で感じた視線を思い出す。──何か、ジゼルのかんに障ることをしてしまっただろうか。

 リィリエの不安をよそに、彼女はふいと扉の外に視線をやった。


「──ルカとリヒトは賢明だわ。狩人サルタリス魔導騎士ホスティアは、どうあっても相容あいいれないのだから。共にいられる時間も、限りなく短い」


「え……?」


「あら、ご存じなかった? 魔導の力をもって、使徒の種子を歪んだかたちで行使する。その代償に魔導騎士ホスティアの寿命は、二十に満たないと言われているのよ」


 ジゼルの声が急速に遠ざかる。血の気が引いて手足が冷えて、体の力が抜けていく。

 ──ルカ。リヒト。


 気づけばリィリエは外へと掛けだしていた。扉をくぐり、庭園の向こうに足を伸ばそうとした矢先、背後から手を引かれる。


「……っと、どこに行くんだ? 陽が落ちた後に、門の外へ行くことは禁じられているぞ」


「離して……!」


 振り向きざまに声を荒げる。リィリエの手を引いたのは、頬にそばかすを散らし、くすんだ灰色の髪を持つ少年だった。

 今にも泣き出しそうなリィリエの顔を見て、少年は困惑したように力をゆるめる。しかし彼は手を離そうとはしなかった。人の良さそうなまるいまなこで、リィリエの顔を覗きこんでくる。


「どうした。君、見ない顔だが」


「ウルツ、そいつ今日ここに来た狩人サルタリスだよ」


 ウルツと呼ばれた少年のうしろから、変声期前の声が上がった。小麦色の癖毛を揺らし、眠たげな目をした少年が、カンテラを片手にリィリエのもとへ歩いてくる。

 二人はどうやら、屋外灯に火を入れていたようだった。二階で出迎えてくれた幼子たちと同様、無彩色の服を身にまとっている。


「よく知ってるな、カーティス」


「ジゼルとルカとリヒトがそいつを連れて、庭長室へ入るところをたまたま見かけただけだよ」


 ふいに飛び出した魔導騎士ホスティア二人の名前に、リィリエは唇を噛みしめた。

 カーティスと呼ばれた少年は、リィリエの表情をじっと見ていたが、おもむろに大きなため息をつく。


「……とりあえず落ち着いて。ウルツも、いつまでも手を握ってないで放してやりなよ」


 淡々としたカーティスの物言いに、ウルツははたと我に返り、慌てて手をほどいた。そんな彼を一瞥いちべつして、カーティスは自由になったリィリエに近づく。

 カンテラの灯りが照らす、若草色の聡明な瞳。それを重たげなまぶたで覆い、カーティスはゆっくりと唇を開いた。


「ルカとリヒトを追おうとしていたのは検討がつくけど。ジゼルあたりに何か言い含められた?」


 リィリエが目を見開く。

 カーティスは一瞬、きょを突かれた表情を見せて、それから苦笑して相好を崩した。


「──ごめん、表情や反応を読むのは公平じゃないな。できればあんたの口から、何があったのか話してほしい」




   〇




 どうにもならないと分かっている。

 きっとルカとリヒトはすべてを知った上で、魔導騎士ホスティアになったのだろう。ならばリィリエが何を言っても二人を困らせるだけだ。

 結局胸にわだかまった苦しさを、どこかにぶつけたかっただけなのかもしれない。誰かと、この気持ちを分かち合いたかっただけなのかもしれない。


「……魔導騎士ホスティアの寿命のことは、ぼくは箱庭に来てしばらくしてから、アンゼルムから聞いたっけな」


 話を終えてしばらく、カーティスが空に視線をやりながらつぶやく。それから彼はリィリエに視線を戻し「あんた、優しすぎるよ」と言った。


「いちいち他人の事情に胸を痛めるなんてさ。それでこの先狩人サルタリスとしてやっていけるのか不安だね」


「そう言うなカーティス。俺もその話を聞いた時、しばらく胸が痛くて仕方なかった」


「……前言撤回。そういえばウルツのようなお人好しの狩人サルタリスもいた」


 カーティスがあきれ顔で独りごちる。

 刻一刻と闇のとばりが重なって、庭園は夜を深めていた。カンテラが三人の顔を照らし、あたりの白百合や白薔薇を浮かび上がらせる。植えものの陰に座っていたカーティスは「とにかく」と話を区切って、腰についた露を払って、立ち上がった。


「あんたが嘆いたり、ましてや同情したりすることじゃない。どうしても何かしたいなら、せめて祈ってやれ。あの二人が、望む生をまっとうできるように」


 首から下げたロザリオを指差されて、リィリエは黙ってうなずく。両手でそっと十字架を包み、祈りのかたちに指を組む。


「……君、もしかしてジゼルのいる前で、アンゼルムに何か言われたか?」


 ウルツがおもむろに尋ねた。リィリエは質問の意図を測りかねながらも、森で武器を発動して魔物を屠ったこと、それを優秀だと言われたことを二人に話す。


「ああ。それで」


 カーティスが嘆息した。


「ジゼルはこの箱庭で、アンゼルムにいで優秀な狩人サルタリスだ。彼女は実質子どもたちのなかで、統率者のような役目をになっている。貴族の生まれで自尊心も高い。……あんたが優秀だから、立場をおびやかされそうで恐々としている。それで態度にとげが出る。そんなところか、分かりやすい」


「カーティス……お前、容赦ようしゃないな」


「同じ班だからね。長所も短所もよく見える。もちろん彼女は実力者だし、人の上に立つ器を持ってるのは認めるよ」


 けなす時も褒める時も、カーティスの口調に変化はない。その物言いが公平であるように感じて、彼の言葉にリィリエの心は、ほんの少しだけ解きほぐされた。


「もし何か困ったことがあったら、俺やカーティスを頼れ。力になれるかは分からないが、話を聞くくらいはできる」


 ウルツが力強くそう言って、座りこんだままのリィリエに手を差し伸べた。きょとんとした表情でウルツを見ると、彼は歯を見せて笑う。


「少しすっきりした顔になった。……そろそろ夕餉ゆうげの時間だ。今日はもう、帰ろう」


 ──帰ろう。

 その台詞に、父母の笑顔が重なる。

 シグリの村には、帰れない。けれど教会から禁忌の森へと渡ってきたリィリエに、帰れる家ができた。そのことに気づいて、胸の奥にこごっていたものが、じんわりとゆるんでいく。


「……うん」


 リィリエはウルツの手のひらに、そっとほそい指先を置いた。

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