第12話 アンゼルムの箱庭
陽が傾き始める頃、わだかまった霧の奥に、煉瓦造りの高い
途端に視界が開ける。ぐるりと塀で区切られた広い敷地には、純白の野薔薇、庭白百合らがしっとりと濡れて絡み合っている、
霧のなかに見える幻惑的な庭、そこにこぼれる美しい花々を見て、リィリエは感嘆のため息をついた。花の美しさはもちろん、三日ぶりに人の気配のする庭を目のあたりにして。
三人が行く道の先に、大きな屋敷が見えた。丸枠窓の装飾が施された、古い学舎といった
吹き抜けの玄関広間には、左右対称の階段が備えつけられており、それぞれがゆるやかに湾曲して上下階を繋いでいた。木造の内装は古びて
「フォルモンド王国首都サリカより、
ルカの声が広間に反響して響き渡る。しばらくして、ぱたぱたという軽い靴音が複数、三人のもとへ近づいた。
「あっ、ルカだ」
「リヒト! ひさしぶり」
小鳥が
「あの子、だあれ?」
「知らない、見たことないよ」
リィリエを指さしてひそひそと話す、幼子たちの声がふりそそぐ。
二人と同じように名乗った方がいいものかと、あわてて息を継いだその時。
「あの子は
澄んだ声が広間に響く。二階の子どもたちの群れから歩み出た少女が、優雅な足取りで階段を降りる。
耳の高さでくくられた
「お疲れさま、リヒト、ルカ。アンゼルムさまからお話は伺っているわ」
少女のまなざしがリィリエに向いた。大きな瞳は瑠璃の色だ。知性を感じさせる深い色に見つめられて、リィリエの胸は大きく跳ねる。それほどまでに目の前の少女は、硬質な美しさと、静かな気品を兼ね備えていた。
「お名前は?」
「……リィリエです」
「そう、
ジゼルが服の裾を持ち上げて、優雅に腰を折ったのを見て、リィリエもあわてて頭を下げた。
言葉に詰まるリィリエの緊張をほどくように、ジゼルはにこりと笑みを浮かべて、リィリエの指先をそっと引く。
「こちらへいらして。アンゼルムさまのいらっしゃる庭長室へ案内するわ」
〇
「やぁ、君がリィリエだね。僕がこの館──〝アンゼルムの箱庭〟の庭長を務める、
差し出された手をおずおずと握ると、目の前の男、アンゼルムは笑みを深めた。
年の頃は三十前といったところだろうか。ゆるく波打つ赤毛と、小麦色の肌。左目に片眼鏡を嵌めて、そこから下がる細い鎖を、外耳につけた装身具と繋げている。装飾のついた服装と派手な顔立ち。
「ジゼル、案内ありがとう」
アンゼルムが
庭長室の壁際には、書籍や天球儀、鉱石や
「ルカとリヒトも、ありがとう。道中大変だったろう。今夜こそ、この箱庭でゆっくりしていってくれ。もてなすからさ」
「いらん。リィリエの引き渡しが済んだら、私たちはさっさとサリカに帰る」
「相変わらずルカはつれないなぁ」
「そう言うお前はいつも通り軽薄だな、アンゼルム」
二人を交互に見ていると、リヒトが「アンゼルムはルカがお気に入りでね」とリィリエに耳打ちした。彼女がぱっと頬を赤らめたのを見て「……
「私の宿のことなどどうでもいい! それよりリィリエに、
声を荒げたルカにアンゼルムは不服そうな表情を見せたが、「アンゼルムさま」と静かにジゼルがたしなめると、彼は
「ええと、どこから説明したものかな。とりあえず今日からこの箱庭が、君が暮らす家になる。ここは、
「もっと深くまで語っていい。リィリエはすでに武器を発動できる」
ルカが入れた横やりに、アンゼルムが驚きの表情をみせた。
「──もうそこまで? それは森で?」
「うん。彼女はここに辿り着くまでに、魔物の群れの
どこか誇らしげにリヒトが答えると、アンゼルムはますます
(わたし、変なのかしら……)
ふと背に視線を感じて、リィリエは後ろを振り返る。壁際に控えていたジゼルが、リィリエをじっと見つめていた。視線が合うと、彼女は黒髪をひるがえして、ふいとそっぽを向く。
「それは……あまり例のないことだ。優秀だね。この箱庭にいる
リィリエはアンゼルムのつぶやきにはっとして、正面に向きなおった。
「──あの、気になったことがあって……
アンゼルムが
「この箱庭にいる
「──ああ、なるほどね。うん、そう思うのも無理はない」
アンゼルムは眉をひそめて苦笑した。彼は一度唇を閉ざして、リィリエに困ったような笑顔を向ける。
「この箱庭は、
──リィリエを見下ろして、ひそひそと言葉を交わしていた無垢な幼子たち。まだ
「残念ながら、成熟した〝大人〟と言える
「
「
──魔物に襲われて不具になり、箱庭に行き着くしかなかった子どもたちの。
「ただ、君みたいに立派に
「裏を返せば、ここは復讐を
暗に匂わせた例外について触れる間も与えないまま、アンゼルムはそこで言葉を締めくくった。ぱんと手を打って笑顔を作り、空気を変える。
「さ、難しい話はここまでだ。今夜はリィリエの歓迎会を開こう。ごちそうをたくさん作らなくちゃ」
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