第二章 営巣
第10話 魔導と錬金術
禁忌の森は陽の光が薄い。
人の手が入らない樹海では、黒く大きな糸杉がいくつも重なり合って生えていた。その枝葉が天蓋となり、太陽の恩恵を隔てている。そういった場所であるから、人里から吹き込んできたあたたかな空気はこの森ですっかり冷やされて、白い霧となってわだかまっていた。
下生えの葉が雫を垂らす。どこからか奇妙な鳴き声が聞こえる。霧で白くぼかされた視界は昼でも色が
見通しが悪いことが一助となっているのか、頭の芯がぼうっとして、不気味に冷えた空気が骨身に染みる。ハイネが
リィリエは白い息を吐きながら、先を行くルカのうしろに続いた。
ルカはカンテラによく似た〝
「葉導灯は魔道具のひとつだよ。地図もない未開の地へ行く時にだけ、特別に持ち出しを許されるんだ。目的地の名を口にして、
はじめての休息──昼食を摂るための──で、リヒトは不思議そうに葉導灯を眺めるリィリエに、そう教えてくれた。
三人は
「今おれたちが目指している
リヒトは焼きしめた黒パンを食べながら、リィリエに説明してくれた。
彼の気さくな様子に、ビスケットを咀嚼し終えたリィリエは、ずっと気になっていたことをおずおずと尋ねる。
「あの……魔物は
「見くびるなよ、小娘」
「私たち
「まぁ
「リヒト!」
ルカが鋭い声を上げて牽制した。リヒトは肩をすくめておどけてみせる。
「模造品……?」
「私たちは
吐き捨てるように言ったルカの台詞に、リィリエは首を傾げた。
「……君は、首都で栄えている魔導について知ってるかい?」
リヒトの問い掛けに首を横に振って、否定の意を返す。リィリエが知っているのは、シグリの村の暮らしだけなのだ。首都はおろか、街にすら行ったことがない。
「そっか。じゃあ、錬金術について聞いたことは?」
「ええと……今はもう禁じられた技術だと、神父さまから教わりました。昔は万物の成り立ちを知る学問として栄えていたけれど、人を不完全に
「……魔導は錬金術の後継技術だ。神を侮辱する
ルカはそう説明しながら袖をめくり、右腕をリィリエの前に差し出した。日焼けしてひきしまったルカの前腕に、何か──白く濁った半透明の石が
「これが
──
それに、神が与えた使徒の種子を、人の
リィリエは思わず眉をひそめた。
「……そんな顔をするな。神の使いである使徒が、人のために与えたものだ。役目を終えた種子の引き継ぎは、
ルカはとつとつと低い声でつぶやいて、袖を戻す。
「どうして
リィリエの心を読み取って、歌うようにリヒトが語った。
「人の敵である魔物を屠れる存在は、いまや全国家にとって、とても価値のある存在なんだ。魔物に対抗するちからでは劣るものの、
まぁ、と口にしていったん話を区切り、彼はうすく目を伏せ唇をしならせる。
「おれなんかは
「リヒト! やめろ、余計なことは言わなくていい! あと〝この子〟呼ばわりするなと何度言ったら分かる!」
ルカはリヒトの頭を小突いて、話を中断させた。
「私たちが魔物に対抗できることも、
ルカが声を荒げ、干し肉の残りを
──
(……でも、二人ともわたしと年がそんなに変わらないのに。ルカさんとリヒトさんは、すでに禁忌の森を何度も行き来して、魔物と戦ってきたんだわ)
それは使徒の洞窟を
たとえ魔導の技術が神への冒涜だと感じても、
彼女は静かに息を吐いて、
シグリの村の外には、今までリィリエが知らなかったことであふれている。
〇
三人は森の奥深くに向かって歩き続けた。やがて陽は傾き、夕刻になるとあっという間に、あたりは闇に染まった。藍色の暮れ残りが灯るうちに、開けた場所を探す。
手頃なところを見つけると、そこを寝床と定めて、焚き火を起こす。それぞれがあらかじめ拾っておいた
「今日は魔物に会わなかったな。だが、気を抜くな。森の深みに入るほどに、魔物の棲み家へと近づく」
ルカに釘を刺され、リィリエはうなずいた。
立ちのぼる煙を目で追って、天を仰ぐ。樹冠のせいで、北極星はおろか星のひとつすら見えない。物の輪郭が分かるのは、焚き火の光が届く範囲のみ。そこだけ淀んだ霧が払われて、なんとか陰影が見て取れる。あとは底なしの闇。
「禁忌の森のなかは日暮れが早いんだ。暗闇のなかを歩くのは危険だから、太陽が隠れたら早めに休んで、陽が昇ると同時に出立するのが鉄則。でもまあ、この調子で進めば、あさっての夕刻にはアンゼルムの箱庭に辿り着くと思う」
歩き通して痛んだ足を押さえ、顔をしかめるリィリエに、リヒトが微笑んだ。
三人は質素な食事をはやばやと済ませた。夜の間は火を絶やさないよう、交代で番を立てることにする。夜番に不慣れなリィリエが一番手となり、次にリヒト、最後にルカが夜明けを伝えるという順番が決まる。
夜の森にひとりで座っていると、時間は遅々として進まない。ルカとリヒトの規則正しい寝息を聞きながら、リィリエはじっと焚き火を見つめた。
いつしか揺れる炎のなかに、シグリの小麦畑のまぼろしを見る。それと共に、やさしい村の人々や、家族の顔、ハイネの微笑みを思い出して──彼女のまなじりは、いつの間にか濡れていた。
(わたしがあの魔物を倒したら、シグリの村のみんなは平和に暮らせる……だからいまは、
ため息をひとつ吐いて、涙の散った目もとをぬぐい、リィリエは側に積んであった
その音が止んだと同時に、リィリエの肌がざわりと粟立った。顔を上げて、あたりを見回す。
(──誰かがわたしを見ている)
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