第二章 営巣

第10話 魔導と錬金術


 禁忌の森は陽の光が薄い。

 人の手が入らない樹海では、黒く大きな糸杉がいくつも重なり合って生えていた。その枝葉が天蓋となり、太陽の恩恵を隔てている。そういった場所であるから、人里から吹き込んできたあたたかな空気はこの森ですっかり冷やされて、白い霧となってわだかまっていた。

 下生えの葉が雫を垂らす。どこからか奇妙な鳴き声が聞こえる。霧で白くぼかされた視界は昼でも色がとぼしく、墨で濃淡をつけた絵画のようだ。

 見通しが悪いことが一助となっているのか、頭の芯がぼうっとして、不気味に冷えた空気が骨身に染みる。ハイネがたとえた〝異界〟という言葉がしっくりまる心地がした。


 リィリエは白い息を吐きながら、先を行くルカのうしろに続いた。殿しんがりを務めるのはリヒトだ。腐葉土をにじる音は絶え間なく、三つそれぞれの重さで続いている。


 ルカはカンテラによく似た〝葉導灯ようどうとう〟というものをげて歩いていた。硝子の囲いをはがねで閉じて持ち手をつけた灯りで、無色透明な液体で満たされている。そのなかには、白い葉脈を残した葉の標本が浮かんでいて、白銀の輝きを放ちながら、葉先で進むべき方角を指していた。


「葉導灯は魔道具のひとつだよ。地図もない未開の地へ行く時にだけ、特別に持ち出しを許されるんだ。目的地の名を口にして、げんを葉導灯の葉に定着させると、そこまで案内してくれる。これがあるから、おれたちは迷わずに〝アンゼルムの箱庭〟にたどり着けるはずだ」


 はじめての休息──昼食を摂るための──で、リヒトは不思議そうに葉導灯を眺めるリィリエに、そう教えてくれた。

 三人は草原くさはらの露を払って腰を落ち着け、携帯食をかじっている。背を木の幹に預けてはいるものの、樹木の密集地や洞に隠れないのは、いざという時に動きやすくするためらしい。


「今おれたちが目指している狩人サルタリスの館は〝アンゼルムの箱庭〟が正式名称だ。狩人サルタリスのアンゼルムが管理しているから、って安直な理由なんだけどね。禁忌の森には狩人サルタリスが住む館が四方にひとつずつあって、それぞれが森をかこう四国のものなんだ。もちろんアンゼルムの箱庭は、フォルモンド王国に帰属しているよ」


 リヒトは焼きしめた黒パンを食べながら、リィリエに説明してくれた。

 彼の気さくな様子に、ビスケットを咀嚼し終えたリィリエは、ずっと気になっていたことをおずおずと尋ねる。


「あの……魔物は狩人サルタリスしか倒せないと、神父さまから聞いたんですが……リヒトさんとルカさんは、この森で魔物に襲われた時の手立てはあるのですか? ほんとうなら、狩人サルタリスのわたしが二人を守るべきだと思うのだけど……戦った経験がないから、そんなことができると思えなくて」


「見くびるなよ、小娘」


 とげのある口調でそう言い放ったのはルカだ。彼女は干し肉を犬歯で食いちぎり、リィリエをにらむ。


「私たち魔道騎士ホスティアは、フォルモンド王国の魔導研究のたまものだ。小さな魔物の群れくらいなら、訳もなく殲滅せんめつできる。ひよっこは自分の心配だけしておけばいい」


「まぁ魔道騎士ホスティア狩人サルタリスの模造品だから、おれたちなんかあっという間に、君の足もとにも及ばなくなるんだけどね」


「リヒト!」


 ルカが鋭い声を上げて牽制した。リヒトは肩をすくめておどけてみせる。


「模造品……?」


「私たちは狩人サルタリスを真似て、人工的に作り出された救いの御手ってことだ」


 吐き捨てるように言ったルカの台詞に、リィリエは首を傾げた。


「……君は、首都で栄えている魔導について知ってるかい?」


 リヒトの問い掛けに首を横に振って、否定の意を返す。リィリエが知っているのは、シグリの村の暮らしだけなのだ。首都はおろか、街にすら行ったことがない。


「そっか。じゃあ、錬金術について聞いたことは?」


「ええと……今はもう禁じられた技術だと、神父さまから教わりました。昔は万物の成り立ちを知る学問として栄えていたけれど、人を不完全によみがえらせたり、自然の法則を曲げるものに発展してからは、神を真似る冒涜ぼうとくとして錬金術は闇に葬られ、王に固く禁じられたのだとか」


「……魔導は錬金術の後継技術だ。神を侮辱するわざを禁じたうえで、今でも錬金術の技術は魔導に受け継がれている」


 ルカはそう説明しながら袖をめくり、右腕をリィリエの前に差し出した。日焼けしてひきしまったルカの前腕に、何か──白く濁った半透明の石がもっている。


「これが魔導騎士ホスティアの証。人里に戻ってから死んだ狩人サルタリスの遺体を解剖かいぼうして取り出した種子、それを魔導のちからで純粋培養して、鉱石にしたものだ。これを埋め込まれ、激しい肉体の変化に耐えて生き残れた者だけが、魔道騎士ホスティアと名乗れる」


 ──生贄ホスティア

 それに、神が与えた使徒の種子を、人のわざをもって鉱石に?

 リィリエは思わず眉をひそめた。


「……そんな顔をするな。神の使いである使徒が、人のために与えたものだ。役目を終えた種子の引き継ぎは、冒涜ぼうとくにあたらないだろう。それに私たちは、何も無理にこれを埋め込まれた訳じゃない。私もリヒトも、すべてを知ったうえで、みずから望んで魔道騎士ホスティアになったんだ」


 ルカはとつとつと低い声でつぶやいて、袖を戻す。


「どうして魔道騎士ホスティアにって、そう聞きたそうな顔をしてるね。理由なんてよくある話だよ。魔道騎士ホスティアには高い地位と名誉が与えられ、相当な給金が支払われるんだ」


 リィリエの心を読み取って、歌うようにリヒトが語った。


「人の敵である魔物を屠れる存在は、いまや全国家にとって、とても価値のある存在なんだ。魔物に対抗するちからでは劣るものの、魔道騎士ホスティア狩人サルタリスのように使徒の判別や資格を必要としない。だから人工的に造り出せる魔道騎士ホスティアは、ものすごく重宝されるってわけ」


 まぁ、と口にしていったん話を区切り、彼はうすく目を伏せ唇をしならせる。


「おれなんかは魔道騎士ホスティアの地位と名誉に憧れて、なにより家族との折り合いが悪くて家を出た、いわばろくでなしなんだけどね。ルカは違うよ。この子は貧しい家族をやしなうために、給金のほとんどを仕送りにあてている」


「リヒト! やめろ、余計なことは言わなくていい! あと〝この子〟呼ばわりするなと何度言ったら分かる!」


 ルカはリヒトの頭を小突いて、話を中断させた。


「私たちが魔物に対抗できることも、魔導騎士ホスティアについても、もう十分に理解できただろう。なら、陽が高いうちに先を急ぐぞ」


 ルカが声を荒げ、干し肉の残りを背嚢はいのうにしまい込み、さっさと立ち上がる。リヒトは苦笑しながら腰の土を払い、彼女の後に続いた。


 ──魔導騎士ホスティアも魔物を殺せる存在。だからこそ狩人サルタリスになりたてのリィリエを、禁忌の森のなかにある、アンゼルムの箱庭まで送り届ける任務につけたのだ。


(……でも、二人ともわたしと年がそんなに変わらないのに。ルカさんとリヒトさんは、すでに禁忌の森を何度も行き来して、魔物と戦ってきたんだわ)


 それは使徒の洞窟をくぐったリィリエの、何倍の覚悟か。

 たとえ魔導の技術が神への冒涜だと感じても、魔導騎士ホスティアを讃える国々の信仰を疑ってしまっても──その想いを二人にぶつけることは、リィリエにはできなかった。


 彼女は静かに息を吐いて、魔導騎士ホスティアたちのあとに続いた。

 シグリの村の外には、今までリィリエが知らなかったことであふれている。




   〇




 三人は森の奥深くに向かって歩き続けた。やがて陽は傾き、夕刻になるとあっという間に、あたりは闇に染まった。藍色の暮れ残りが灯るうちに、開けた場所を探す。

 手頃なところを見つけると、そこを寝床と定めて、焚き火を起こす。それぞれがあらかじめ拾っておいたたきぎを火へと投げ込むと、湿ったそれは節を爆ぜさせて燃える。橙の炎がゆらゆらと大きくなる頃には、あたりはすでにとっぷりと墨のいろに沈んでいた。鳥が低くむせぶ声や、虫が鳴くが反響している。


「今日は魔物に会わなかったな。だが、気を抜くな。森の深みに入るほどに、魔物の棲み家へと近づく」


 ルカに釘を刺され、リィリエはうなずいた。

 立ちのぼる煙を目で追って、天を仰ぐ。樹冠のせいで、北極星はおろか星のひとつすら見えない。物の輪郭が分かるのは、焚き火の光が届く範囲のみ。そこだけ淀んだ霧が払われて、なんとか陰影が見て取れる。あとは底なしの闇。


「禁忌の森のなかは日暮れが早いんだ。暗闇のなかを歩くのは危険だから、太陽が隠れたら早めに休んで、陽が昇ると同時に出立するのが鉄則。でもまあ、この調子で進めば、あさっての夕刻にはアンゼルムの箱庭に辿り着くと思う」


 歩き通して痛んだ足を押さえ、顔をしかめるリィリエに、リヒトが微笑んだ。

 三人は質素な食事をはやばやと済ませた。夜の間は火を絶やさないよう、交代で番を立てることにする。夜番に不慣れなリィリエが一番手となり、次にリヒト、最後にルカが夜明けを伝えるという順番が決まる。


 夜の森にひとりで座っていると、時間は遅々として進まない。ルカとリヒトの規則正しい寝息を聞きながら、リィリエはじっと焚き火を見つめた。

 いつしか揺れる炎のなかに、シグリの小麦畑のまぼろしを見る。それと共に、やさしい村の人々や、家族の顔、ハイネの微笑みを思い出して──彼女のまなじりは、いつの間にか濡れていた。


(わたしがあの魔物を倒したら、シグリの村のみんなは平和に暮らせる……だからいまは、狩人サルタリスとしてやっていくことを考えなくちゃ……)


 ため息をひとつ吐いて、涙の散った目もとをぬぐい、リィリエは側に積んであったたきぎをひとつ火にくべた。くぐもった音がして、あらたな火種に炎がうつる。湿気た薪のなかの水分が、音を立てて蒸発する。

 その音が止んだと同時に、リィリエの肌がざわりと粟立った。顔を上げて、あたりを見回す。


(──誰かがわたしを見ている)

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