第3話 決断
薔薇窓から、午後の斜陽が差し込んでいる。
輝く光は磨き抜かれた床に落ち、乱反射して、空間を天上へと導く高い天井に──リブ・ヴォールト天井と呼ばれる、アーチを連ねたかたちの
簡素ながらも清潔な、シグリの村の教会堂。礼拝の日には村人たちがこぞって集うこの教会も、今は神父であるハイネとリィリエの他には誰もいない。
リィリエは
少女の
『おそらくあなたの右腕一本では、魔物の腹は満たされないでしょう。飢餓期を迎えた魔物は
厨房で聞いたハイネの言葉が、脳裏によみがえる。
(村が危険にさらされているなら、ここにいても、家に戻っても、危険なことに変わりはないわ。それなら、わたしにできることがあるならやってみたい……)
リィリエはそう考えて、
(そもそも、
「リィリエ、こちらへ」
脳裏に浮かぶ数々の疑問に応えるかのように、ハイネは講壇へとリィリエを招いた。
無垢の木でできた講壇の上には、一冊の大きな図録が乗っている。それは日焼けしてすっかり古びていて、ハイネが開くと、かすかに
「かみさま……」
リィリエがつぶやく。覗きこんだ図録には、繊細な筆致の絵画が載っていた。描かれているのは、
「これらを使徒と呼びます。神が選んだ、はじまりの者たち」
もっとも神の近くにいる動物のひと群れを、ハイネは手のひらで撫ぜた。
「使徒とは、天啓を受けて言葉を
ハイネはリィリエの表情をうかがいながら続けた。
「つまり──使徒に会う資格を持っていて、使徒に選ばれた者だけが、
それはリィリエにとって、驚き以外の何物でもなかった。
──銀の剣で心臓を刺し貫いても、人に魔物は殺せない。そう言い聞かされて育ってきたのだから。
「……わたしに、使徒に会う資格があるということですか?」
「ええ……いかに呪われた魔物といえど、神は無益な殺生を好みません。使徒にまみえる資格とは、魔物に肉体を
リィリエは思わず右肩を見た。
ハイネが図録を閉じる。大窓から降りそそぐ光の道筋のなかに、金の
「けれど
「人の輪から、外れる……?」
「そうです。
──それは、代償と言えるだろうか?
そう顔に出ていたのか、リィリエの表情を見て、ハイネは困ったように笑った。
「不老が必ずしも良いとは言えません。人の輪から外れるということは、人と違う時間を生きるということ。たとえ元の生活に戻ろうとしても、そこには必ず嫉妬と差別が生まれる。
リィリエは目を見張り、シグリの村人らの顔を思い浮かべた。
「もうひとつの代償が、自らを傷つけた魔物の息の根を止めるまで、
だからハイネは厨房で、本来なら成人の時に語り継ぐべき話だと言っていたのだ。
リィリエは首を傾げる。
「でも……魔物を倒すなら、英雄と讃えられてもおかしくないのに、なぜ隠すのですか?」
「いかなる理由があろうとも、復讐は
きっぱりとしたハイネの物言いに、リィリエは思わず口を
「魔物に傷つけられた人間をあわれに思い、人間が絶滅しないための抑止力が必要だと判じた神が、私たちに与えた復讐の武器。それが使徒の種子です。たとえそのちからが人々を救うものであったとしても、
「ここまでが、おとなになった
そこまで話して、ハイネは表情をあらためて、リィリエに親しみのある笑顔を向けようとした。けれど上手くいかず、痛みをこらえて笑うような、歪んだ表情になる。
「……リィリエ。あなたは選ばなくてはなりません」
ハイネは少女の名を呼び、まっすぐな視線を彼女に向けた。
「あなたは村を救うために、その身を犠牲にして、
彼は、もう一度問いを重ねた。
──引き結んだ唇の端がわずかに震えている。
リィリエが物心つく前から側にいて、いつも色々なことを教え導いてくれた、もう一人の父親のような、兄のようなハイネ。たとえ村のためだとしても、リィリエに復讐を終えるまで、村はおろか、人里にも立ち入れない存在になるよう
(……わたしは愛されていた)
愛されていたと、そう思う。
ハイネにも、今は離れ離れになっている両親にも、妹と弟にも、村の人たちにも。
──それならいいと、そう思えた。
たとえ誰からも正しいと言われない、間違った存在になるのだとしても。不具になってしまった自分でも、愛してくれた人たちを守れる存在になれるのなら、それが自分のなすべきことだと思えた。
たとえそれが、
(わたしも愛していた)
ハイネを。家族を。シグリの村のみんなを。
……だから、
「神父さま。わたし、
リィリエは拳を握り、胸を張って、その道を選びとった。
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