27 恐怖
暖を一生懸命後ろへ引きずりながら「でも成清も助けないと!どうしたら」と壱晴は顔を上げる。
一瞬、音がなくなった。——目が合ったからだ。成清ではなく、「何か」と。
「ひっ」
悲鳴が溢れ落ちる。
二メートルあるのではないかと思うほどの高身長、ボサボサの黒髪、黒目部分が大きい真っ黒な目、青い唇、「何か」は両手を前にだらりと下げてずるように歩き出した。
上半身は裸。筋肉がついた引き締まった体、黒のズボンを履いているが泥や埃で白くなっている。
唇からはよだれが垂れ、首を左右に振ったり、手を握ったり開いたり。
人間のようで人間らしさが全く感じられない、得体の知れない目の前の「それ」こそ「化け物」と呼ぶべきものだと、壱晴はお腹の底で恐怖に震え、足を抱え込む自分を感じながら思っていた。
そして何より、あれの鎖骨に咲いている花——イヌサフラン。
数えきれないほどに上半身を覆い尽くし、咲き乱れている。
人、だったのだろう。けれど今は違う。それは明白だった。
頭の中に浮かぶのは「死」ただそれだけ。「生」のイメージが全くできない。
次、あれが近づいてきたら簡単に殺される。
口の中に溢れ出る唾を飲み込むことができない。緊張で胸が焼けてしまいそうだ。
「いち、壱晴っ!なり、成清が!」
成清へ向けて手を伸ばす暖の重さに腕が引っ張られる。「暖」と声に出したつもりが喉の奥で消えていく。「何か」から離れようとしていた壱晴の動きが止まった。
目の前の「何か」はズザリ、ズザリ、と裸足で一歩ずつ近づいてきている。
早く逃げなきゃ。そのためには暖を、成清を、一体どうしたら。考えがちぐはぐで上手く思考できない。あまりにも「死」が大きく、思考を覆い尽くして。
目の前の「何か」を見つめることしかできない。どうしたら。どうしたら!
ぱかん、と「何か」は首をゆっくり横に深く倒すと、唇をパクパクと開いて。
「……!」
どくんっ、と心臓が悲鳴を上げる。さっきまでそこにあった「何か」の顔が壱晴の目の前に。
——死ん、だ。
壱晴は指先でさえ動かすことができなかった。
「壱晴!」
「う、わっ!?」
下から勢いよく引かれたと思えば視界が反転し、天井が広がる。そこを真っ黒な一本の太い線が駆け抜けていった。透明さはなく、深い闇の色をしたそれ。初めて見る得体の知れない黒。
壱晴は目を丸くして更に首を上にあげ、その線を辿った。それは廊下の先にある壁に当たり、音もなく当たった部分の壁を無くした。それは破壊というよりも無に近い。
暖が咄嗟に壱晴の服を掴み、下へ引いてくれなかったら。
骨さえ残らず壱晴も無と化していた。
ぞっとした。当たり前にあった、当たり前にしていた生という行為。それは欠伸が出るほどに簡単なことだったはずなのに。今はこんなにも、難しい。
「碧音、優良!鳳凰部隊ですぐ来れる奴いるか!」
京慈の凛とした声の後、銃声パアンッとが鳴り響いた。黄金に輝く銃弾は「何か」の額に命中したが、「何か」は後ろへ倒れる寸前で動きを止める。
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