10 ある男
「ねえ、君ー!
今度は茶髪の男が女性の打撃を金色に輝く刀のようなもので抑えながら、一瞬だけこちらを見て声をかけてくる。
「あっ、た、多分、何も……っ!げほっ」
ハッとして声を出してみるけれど、咳き込んでしまう。
碧音と呼ばれた黒髪の男が呆れたように肩の力を抜いたのがわかった。
「話は落ち着いてからのほうが良さそうですね」
碧音は女性と距離をとった茶髪の男の前に出て、髪を激しく揺らしながら向かってくる女性に光を注いだ。
それはまるで雲の隙間から降り注ぐ
女性は碧音の一歩先で動きを止める。
光は女性の鎖骨——イヌサフランにあてられ、その光を辿っていくと碧音の手の中に行きついた。
右手の
「う……っ」
女性は体をぐらつかせるとそのまま倒れ込んでしまったが、その間もなお光は彼女を離さない。
「優良!」
「わかってる!」
優良と呼ばれた茶髪の男が女性の様子を窺いながら近づいていき、すぐそばで屈むと、手を伸ばす。
ああ、重なる——その光景をありありと見つめ、壱晴は思い出していた。
初めて、花咲きを浄化する人を見た時のことを。
——————
———……
その日の夜は雲で月が隠れ、闇夜だった。
人気のない夜道、心許ない街灯の近く。
壱晴は違和感に気づいて足を止めた。
雨上がりで濡れたコンクリート、ひんやりとした空気、男の獣のような高い叫び声。
その異様な光景に壱晴の目は奪われる。
暴れる男を「彼」は足でなぎ倒し、男の鎖骨に爪をたてようとしていた。
思わず、「あっ」と壱晴が声を漏らしてしまうと彼は動きをピタリと止める。
そして、ゆっくりと体を傾け、こちらを向いた。
彼の肩まである灰色の長髪が街灯に照らされている。静かに輝き、揺れていた。
『やあ。いい夜だね』
と、彼は目を細めて壱晴に微笑みかけた。
見たことのない男だと、壱晴は息を呑んだ。
それはその容姿も雰囲気も今まで会ったことのない人で、こんなにも美しい人がこの世に存在するのかと思った。
右目はくっきりとした金色で、満月のよう。
その下の頰には赤い
人の常識的なものが元々存在し得ないような揺るぎない狂気、
彼はぼんやりとした小さな金色の光を手に
はだけたワイシャツから垣間見えた男の鎖骨には、花が咲いていた。
彼の手が触れる。
「うあああっ!!!」
男は悲鳴を上げて、酷く苦しそうに
「ほら、静かに」
彼は自分の鼻に人差し指をたてて睫毛をはためかせ、男に囁く。
暴れる男の鎖骨には茎の部分がまだ残っている。それは花を浄化したというより、まるで花を殺しているようだった。
花はイヌサフランだったように思う。
彼の手の中で花は形を成しており、所々が黒ずんで見えた。
それ以外は普通の摘まれた花と何ら変わりなく見える。
あの花がまさか人の鎖骨から摘まれたものなんて誰も思わないだろう。
彼は瞬きをしてゆっくり目を開けると、手に
その光は最初月のぼんやりとした光を思わせたが、だんだん勢いを増していき、やがては猛然と恐ろしいほどに燃えていた。
それを穏やかな表情で見つめる彼のその様には、ぞっとするものがあった。
『君、世界を呪った顔してるね。ふっ、ははっ、何で君がそんな顔する必要があるのかな?』
イヌサフランが彼の手の中で消失する。彼は笑いを噛み殺すように俯いた。その表情を前に垂れてきた髪が隠す。
ふふっ、とまた口から零れる声。少しだけ顔を上げると柔らかく微笑み、金色の目の中に壱晴を閉じこめる。
『世界ごと君が殺しちゃえよ』
————……
————————
「はい、完了!」
優良の軽い声で壱晴は現実へと戻された。
思わず耳に触れた。あの人の誘惑する囁き声は体の髄まで響いて残っている。
思い出せば、まるであの人が壱晴の耳に唇を寄せ、その記憶を再生するように。
あの人の優美に微笑を浮かべる表情が脳裏にべったりと、こびりついている。
「っと、あぶなっ」
女性はその場に倒れそうになり、それを優良が支えた。ぐったりとしている。ああ、浄化が終わったんだ、と悟った。
鈴蘭の咲いた者だけが他の「
浄化、とは花を鎖骨から消失させることだ。
ただ、優良や碧音たちの鈴蘭での浄化は苦しむことなく、その花ごと茎も残らず浄化する。あの男の、花を殺すような、浄化と言えるのかもわからないそれとは違った。
「……何も、できなかった」
呟くと急に目の前が霞んで体が重くなる。
終わった、と思った途端、体の限界を一気に感じてもう指一本動かせそうになかった。
誰かが近づいてくる音が聞こえる。
目を閉じる直前に見えたのは、男の黒いスニーカーだった。
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