終焉に抗う

11 本拠地



「……——。」


 何か音が聞こえる。

壱晴は瞼の重さを感じながらゆっくりと目を開けた。けれど、ぼやけてよく見えない。体の怠さを感じて小さく唸りながら、それでも瞬きを繰り返した。


「あ、起きた」


 と、横から聞き覚えのある声。視界がはっきりしてくると、天井の木目が見え始める。それは全く知らない天井だった。


「壱晴!」


「……暖?」



 影が壱晴と重なる。ワイシャツ姿の暖が体を前のめりにして壱晴の顔を心配そうに見つめていた。


壱晴は勢いよく体を起こし暖の腕を掴んで。


「……体、大丈夫なの?」


 声が震えてしまう。暖まで失うかと思ったら、物凄く怖かった。



「大丈夫。壱晴より早く目覚めたくらいだしな」


 暖は安心したように表情を崩し、ぎこちなく笑った。

腕を掴んだ壱晴の手の上に自分の手を置くと、唇を震わせ俯いてしまう。



「良かった、生きていてくれて。俺、壱晴が死んだらどうしようって、ずっと……。俺にもっと力があれば」



 暖らしくない今にも消えてしまいそうな弱々しい声。肩を震わせながら暖は強く壱晴の手を握った。



「良かったね。意識もはっきりしているし、大事に至らなくて本当によかったよ」


 壱晴は、「僕も暖と同じことを感じていた」と伝える寸前で口をうぐっと閉じた。



 暖の隣に座っていた男——駅構内で見た「焉」の優良が安心した様子で壱晴のことを見ていた。茶髪の男の方だ。


 二重のぱっちりとした目、薄い唇。左耳の横髪は編み込まれている。あどけなさが残る大人のような印象を受けた。


壱晴はどうしてこの人もいるのだろう、と瞬きを何度かするが、優良は表情を崩すことなく緩い声を続ける。



「何か食べられる?お腹空いてるかな?あ、その前に水飲む?……っと、京慈さんに報告しなきゃだった」



 首を傾けて壱晴に訊いた直後、優良は思い出したように立ち上がると、


「ごめん、ちょっと待ってて。あ、それで、何か食べれる?」


襖に手をかけて慌ただしく壱晴に訊いた。



「あ、えっと、すみません、とりあえず水だけで」


「了解。ちょっと待っててね」



 優良は目を細めて首肯をすると、部屋を出て行った。


この部屋は畳の匂いが濃い。襖には桜が描かれている。


ベッド、漆の小さなテーブル、椅子が置かれている程度で、優良が開けた時に見えた襖の先には全面硝子張りの窓があり、庭が一瞬だけ見えた。



「暖、ここって」


「焉の本拠地らしい。さっき出て行った優良さんが言ってた。で、俺、思うんだけどさ……。」


「うん?」


 訝し気な顔をして暖が壱晴の耳に唇を寄せる。



「焉に助けてもらったことは感謝してるけど、もしかしたらまずいかもしんない。焉の本拠地って非公開なんだよ、場所。それなのに優良さん、俺にわざわざ言ったんだ。『ここが焉の本拠地だ』って。あの焉だぞ。ただで返してくれるとは思えない」



「でも、暖、優良さん良い人そうだし、考えすぎなんじゃ……。」



「壱晴は人のことを簡単に信じすぎ。だって、おかしいだろ。怪我をしたんなら病院に連れて行けばいい。それなのにどうしてわざわざ俺たちを本拠地なんかに」



 襖の開く音がして、暖は言葉を止めて椅子から立ち上がった。


その時にふらりと暖の体が傾いた。暖は咄嗟に左足に力を入れ、グッと止めた。


目を丸くして暖の名前を呼ぶと、強い目で「大丈夫だから」と壱晴を一瞥する。


 暖の傷の方が僕よりも酷いんじゃないのかな。あんなにふらついて、大丈夫なはずがない、のに。


壱晴は不安に胸がいっぱいになってしまう。しかし、今はとてもじゃないけれど心配の言葉をかけられるような雰囲気ではなくなっていた。



「はい、水持ってきたよ。それと、こちら、京慈きょうじさん。焉を束ねている人」



 京慈と紹介された男は暖のことをじっと見据えていた。


暖と京慈の間には重く痺れるほどの緊張と威圧の空気が漂っている。



 それを優良も感じ取っているはずなのだが、相変わらず可愛らしい笑顔で壱晴にペットボトルの水を差し出した。



「……お前、その目、すげえなあ」



 京慈が眉間に皺を寄せ顔を少し上げると、ふっ、と笑った。

呆れたような、けれど高揚もある表情で。


京慈はこの中で一番の高身長。黒髪の毛先は紺色で、左目の泣き黒子と両耳につけられたいくつものピアスが特徴的。焉の鈴蘭が刺繍された黒パーカーを肩に羽織っている。


顔立ちや雰囲気からすると大人っぽく論理的な印象を受けるが、そのピアスや口調、表情を見るとまるで印象が変わる。


威圧感のある京慈は、壱晴からするとすごく怖かった。



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