6 人助け





「うわっなんだ!?」



 拳がすんでのところで止まる。


壱晴は強く瞑ってしまった目を開けて驚きに固まっているサラリーマンの男に声をかけようとした。けれど、さっきの恐怖で喉が閉まって変な高い声が出てしまう。



恥ずかしさで俯く。喉を鳴らして誤魔化してから。



「んっ、うんんっ!……け、喧嘩はやめてください!」


「はぁ?あんた誰だよ!」



 その言葉でサラリーマンの男の表情が動いた。


眉間に深いしわを刻み、目を細くして今度は怒りを壱晴に飛ばす。


あまりにも大きなその声にびくっと肩を揺らしながらも、壱晴は何か言わなくちゃ、と必死に考える。でも、言葉が出てこない。



サラリーマンの男は苛立ちに顔を赤くした。ぶあっと拳が上がる。振り下ろされるその瞬間、壱晴はぎゅうっと目を瞑った。



「おじさん、あんまり派手なことすると『えん』が来ちゃうよ。はなきかと思ってさ。そうじゃないなら大人しくしなよ。鎖骨には……ね、花ないんだからさ」




 振り下ろされる拳をどうすることもできなかった壱晴と違い、暖は片手でそれを受け止めた。臆することなく男に立ち向かう。



しかもきっちり、男の鎖骨を見て花がないことを確認していた。



 また暖に助けられた。……何をやっても上手くいかないな。

でも暖がいなかったら今頃、顔に青痣を作っていたに違いない。


 壱晴は髪をくしゃりと触り、小さな溜め息を吐き出す。



 暖が男と話している背中をぼうっと見ていると、ふいに背中を叩かれた。



「……あの、助けてくれて、あざっす」



「……!」



 男子高生はあまりお礼を言い慣れていないのか、目を伏せて顔を横に向けている。


壱晴は、不器用ながらもお礼を言ってくれたことが嬉しくて、気づけば笑顔を浮かべていた。


「どういたしまして!」


 その時にちらついた男子高校生の鎖骨にも花はないようだった。





「壱晴くん?あんまり無茶すんなっていつも言ってるよなあ?」


「こ、心得てるよ!」


 サラリーマンの男をなだめてしっかり仲裁してくれた暖と横断歩道を渡る最中、暖は壱晴の肩を抱いて顔を覗き込んだ。


口許に笑みを浮かべながらもその目は笑っていない。「本当にわかってんの?」という意味を孕んでいるとすぐにわかった。


壱晴は視線をらして暖と距離を取ろうとするが、体格差で敵わない。



「まさか飛び込んでいくなんて。俺、心臓止まるかと思ったんだけど」


「うっ……。いや、でもあれは、体が勝手に」



「壱晴はいつも人の盾になろうとすんだから。困ってる人なんか見ると、すぐ助けに行っちゃうし」



 呆れ声で暖は壱晴から手を離し、解放する。


壱晴は「ごめん」と小さく言いながら暖の余裕のない横顔を見つめた。



……心配してくれている。暖はなんだかんだ言いながらいつも危ない時は助けてくれる優しい子なんだ。



年長者の壱晴はもっとしっかりしないと、と思うものの、肝心なところで何もできないもどかしさを感じていた。


どうにかしたい、と思うことは誰にだってある。

そこからの行動が肝心なのに、僕は。と壱晴は爪が内側に食い込むほどに拳を握った。



「次、駅でも行ってみる?」


「うん、そうしよう」


 必死な心が、止まる。


 ぽんっと暖に背中を優しく叩かれて壱晴は少しだけ顔を和らげ、頷いた。



 その駅には線がいくつも混じり、新幹線も通っている。多くの人が利用する駅だけあって構内には大勢の人が行き交っていた。



改札前の柱付近には待ち合わせをする人がたたずみ、スマホをいじっている。


改札からはせわしなく音が鳴り、電車のアナウンスや音が聞こえてくる。



 暖は辺りをゆっくり見回して「異常はなさそうだな」と肩の力を抜いた。



壱晴も一度見回してからもう一度奥まで見るように目を凝らしてみたが、暖が言う通り、異常はなさそうだった。いつも通りの駅だ。



「なんかさ、日常でホッとしているんだけど、ちょっと残念というか複雑な気持ちだよね」


「あー……そうだな。平和なのはいいことだけど、早くあの男に近づきたい。そのためには平和をぶち壊す奴らを見つけないといけないなんて、なんていうか、な……。」


 二人の間に沈黙が流れる。

構内のざわめきが近くなり、壱晴は一度俯いてから顔を上げて暖の腕を引いた。




「もう少しここにいようよ。もし何かあったら嫌だしさ」


「ああ、そうだな」


 暖は苦しそうな顔をして笑った。


壱晴も笑ってみるが、上手く笑えなかった。



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