6-4

 華美な装いが施された一室の中央で、四肢を痙攣させた男が這いつくばっていた。

 俯せになったままの小柄な男は、衣服のあちこちが擦り切れて、あろうことか失禁までして高価な絨毯を汚している。口の端からは泡を吹いたまま、白目を剥いて気絶しているその男は、ゲンプシーの部下の赤鼻の小男であった。

「いいように振り回された挙げ句、結局設計図レシピを取り戻せないとは。お前にはほとほと失望した」

 意識を失った赤鼻を見下ろしながら、ゲンプシーが残念そうに首を振った。その太い手には、神経鞭が握られている。

 トビーの言葉を信じて陸側の港を警戒させた赤鼻だったが、そこで待ち受けた船に乗り込んでいたのは、密貿易用シャトルに同乗する予定の女客ひとり。設計図レシピの行方を見失った赤鼻は、悄然としながら主人の屋敷に戻って報告した末に、神経鞭の滅多打ちを喰らったばかりであった。

 床に突っ伏した赤鼻の後ろで、震え上がりながらふたりの男が立ちすくんでいる。そのうちのひとりが、ごくりと生唾を呑み込みながらも口を開いた。

「ボス、実は……」

 その瞬間ゲンプシーの手首が鋭くしなり、神経鞭が発言者の肩に叩き込まれた。

「その呼び方はやめろと、何度言えばわかるんだ」

 呻き声を上げながらその場に膝を突く男に代わって、もうひとりの男が告げた。

「か、会長。我々もあの後、念のため埠頭に引き返したんです」

「なんのために? その設計図レシピを持つソリオとやらが、お前たちに捕まるまで悠長に待ってくれるとでも思ったのか」

 常の大物ぶった所作などとうに忘れて、ゲンプシーのこめかみには青筋まで浮かび上がっている。設計図レシピが手に入らなかったことも腹立たしいが、それ以上に彼の神経を逆撫でするのはソリオの存在であった。

 未だ会ったこともないその男が、『ロイヤルサロン』でザックが暴れ回っている隙にチュールリーを連れ出した男と同一人物であることを、ゲンプシーはしっかりと覚えていた。それだけでも十分だというのに、ソリオはあろうことか今度は設計図レシピまで、ゲンプシーの目の前から掠め取っていったのである。

 同じ男に一度ならず二度までも舐められて、憤懣やるかたないゲンプシーの形相に、男は冷や汗をかきつつ舌をもつれさせる。

「いや、その、ただ、保安官の車はまだ埠頭に残っていました」

「……トビーがいたのか?」

 男の報告に、ゲンプシーの細い目が一層細められた。車はこのメガフロート群の上を行き来するための、ほとんど唯一の移動手段だ。トビーが車を置いて遠くに離れるなど、通常はあり得ない。

「いえ、保安官は見当たりませんでした。ただ……」

「ただ?」

 苛立たしげに先を促すゲンプシーに、男が一層背筋を伸ばす。

「その、ヘリが飛んでいくのを見かけたんです」

 その報告を聞いて、ゲンプシーは不審げに眉をひそめた。

 この街、いや星でヘリを乗り回す者といったら、誰もがまず第一にトビーの顔を思い浮かべる。彼が龍を仕留めようと躍起になってることは周知の事実だし、住人であれば一度ならず、空を横切るトビーのジェットヘリを見上げた経験があるはずだ。

「それが、あの保安官がいつも乗ってるジェットヘリじゃありませんでした。もう少しでかい、多分四人乗りぐらいのヘリが、軌道エレベーター塔のヘリポートから飛んでったんです」

 軌道エレベーター塔の七階にあるヘリポートに格納されているのは、全て管理本部所有のヘリばかりのはずだ。トビーのジェットヘリも、そこから出入りする姿がよく目撃されている。

 だとすればその四人乗りのヘリを操縦しているのも、やはりトビーである可能性は高いだろう。そもそもメガフロート群以外にろくに明かりもないこの星で、夜半にヘリを飛ばそうなどと無茶をするのは、トビー以外にありえない。

「そのヘリはどこに向かった」

「おそらくですが、以前に龍が出た採掘坑の方向です」

 先日、穴底でとぐろを巻く龍が見つかった資源採掘坑と聞いて、再びゲンプシーの顔が曇る。

 被害に遭った採掘坑は比較的海岸に近い。そこから先に広がるのは、ゲンプシーが所有する鉱山がいくつも点在する荒野だ。トビーが駆るに違いないヘリの向かう先がその荒野とあって、ゲンプシーは心中にざわめくものを感じた。

「各鉱山の警備レベルを上げろ。ヘリが――」

 そこまで言いかけて、ゲンプシーは舌を止めた。

 トビーがヘリを出すなら、それは龍の出現と無縁ではありえない。ヘリが荒野を抜けて火山連峰に達して初めて安心出来るのは、いつものことである。

 だが今回についてはそれだけでは不足だ。複数搭乗可のヘリということは、当然同乗者がいるのだろう。そしてソリオとトビーは最近コンビを組むことになったと、ゲンプシーは当のトビーから聞かされている。

「なんとしてもヘリの行き先を突き止めて、待ち伏せしろ。もしかするとそのソリオも一緒かもしれん」

 ゲンプシーの推察通りにソリオがヘリに同乗していたら。その場合にはたっぷりと持て成してやらなければならないだろう。

 なにしろゲンプシーが今の地位にあるのは、受けた礼は何倍にもして返さなければならないという経験則を、その身に嫌というほど刻み込んできたおかげなのだから。

 口髭の下で唇を微かに笑みの形に歪めながら、ゲンプシーは尋ねた。

「そういえばあの、『ロイヤルサロン』でチュールリーを追って暴れた男はどうしている」

「ザックですか?」

 主人の唐突な質問に戸惑いつつ、部下が答える。

「あいつなら鉱山地区に連れ戻されたはずですが、あの野郎が何か?」

「いや、ふとあいつが哀れに思えてな。イカれた頭で愛しい女房を追いかけ回しているのかと考えると、手を差し伸べてやっても良いかもしれん」

「はあ……」

 意味がわかりかねるのだろう、曖昧に返事を返す部下に、いつの間にか鷹揚な態度を取り戻したゲンプシーが告げた。

「待ち伏せにはザックも連れて行け」

「あいつをですか? しかし――」

「お前の女房はソリオとかいう男が連れ去ったのだと教えてやるんだ。哀れなザックに、女房の行方を捜すヒントを与えてやろう。それがせめてもの慈悲というものだ」

 当惑する部下の顔を、ゲンプシーの愉悦の表情を浮かべて見返す。細められたその目の奥には、一片の慈悲の光も宿ってはいなかった。

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