6-2
航宙省に入省したソリオが、研修期間を終えて最初に配属されたバララト宇宙港施設管理部門で、彼の補佐役――実際には教育係となったのがマテルディ・ルバイクであった。
美しくウェーブしたブルネットの髪には目を引かれたが、それ以外には際立ったところもない地味な女。それがソリオにとってマテルディの第一印象であり、その印象は彼女から指導を受ける間も変わることはなかった。むしろ実際に会話を交わしてみれば、見た目以上に中身も面白みに欠ける、という思いが強くなるばかりであった。
そういう人種とのコミュニケーションの取り方も十分心得ているつもりの彼は、だからマテルディとも職場の仲間として友好を保つ以上に接することはなかった。
彼の女好きは自他共に認めるところであったが、その発揮しどころは彼なりに時宜を心懸けていた。同じ職場、しかもマテルディは役職上ではソリオの部下に当たるのだ。マテルディが興味の対象から外れていることに、ソリオとしてはむしろ感謝した。
だからそのマテルディが宇宙港爆発事件の容疑者と目されていると知ったときは、さすがにソリオも驚かざるを得なかったし、それどころか彼自身がマテルディの上司として監督責任を問われるとなったときには笑うほかなかった。
「そりゃね、俺が彼女の上司ってのは間違いない。実際、教育係やってもらってたのは最初の一年ぐらいで、後は普通にアシスタントだったし」
ソリオの言い分に、トビーが腕組みしながら訊き返した。
「それでエンデラに飛ばされてきたってことか。じゃあ上司の女房を寝取ったってのは……」
「ああ、それは本当なんだ」
けろりとして答えるソリオに、トビーの厳つい顔が歪む。
「本当なのかよ」
「それとわかったのは彼女と仲良くなった後のことだから、どっちかっていうと俺は被害者だと思うんだけどね」
そう言ってソリオが肩をすくめても、トビーに同情の念が湧くはずもない。
「どこまで本当でどこから嘘なのか、つくづくわからねえ野郎だな」
「俺は嘘はつかないよ」
「抜かせ」
その代わりに口に出してないことがあるとは、決して言葉にはしないのだろう。
「マテルディ・ルバイクを『処分』しろと、そう言い渡されたのか」
アイリンの事務的な詰問に対して、ソリオが若干口角を吊り上げる様は、苦笑とも鼻で笑っているようにも見えた。
「そんなストレートに命令されるわけがない。偉い人たちってのは、とにかく言質を取られないことには長けてるもんさ」
マテルディ・ルバイクに対する監督責任を果たせ、さもなくばエンデラに島流しのまま。それがソリオに下された指示だという。
「監督責任ったって具体的に何すりゃいいのかと尋ねれば、自分で考えろと返される。で、途方に暮れたまま退室する間際に、わざとらしく聞こえるように言うんだよ。『願わくば今後一切、彼女の存在が耳目に入らないことを祈るばかり』ってね」
その様子を思い出すにつけ不快感が込み上げるのか、ソリオの言葉には若干険がこもっている。
だがそこまで語られてもなお、アイリンの顔はまだ納得していない。
「それでお前は、この埠頭でマテルディ・ルバイクを『処分』したのか」
言い逃れの余地を与えない、アイリンの直截な質問に対して、ソリオは今度こそわかりやすく苦笑してみせた。
「まさか。俺は目の前で人死にを見るのは苦手なんだ。第一そんな血生臭い仕事、ほいほいと出来るように見えるかい?」
「じゃあマテルディ・ルバイクは」
「ぴんぴんしてるよ」
そう言ってソリオは肩越しに振り返って、倉庫の壁の向こうを見透かすかのような視線を送る。
「今頃はきっと、陸に着いた頃じゃないかな」
思わせぶりなソリオの言葉に、今度はトビーが反応した。
「さっきの船に乗り込んでたのは、そのマテルディって女か」
「ご名答」
ぱっと眉を開いたソリオにベープ管の先を向けられても、トビーの眉間には皺が寄るばかりだ。それどころか刺すような視線を放ちつつ、トビーがさらに口にしたのは、ソリオがこの埠頭を訪れた目的であった。
「てめえが倉庫でこそこそしてたのは、その女が船で発つのを見届けるためだな」
「……ちょうどホテルを出るマテルディを見つけたんでね。彼女が迷子にならないか、陰ながら見守ってたんだよ」
しゃあしゃあと答えるソリオの口元に浮かぶのは、既にトビーにも見慣れた薄い笑みだ。それはつまり、トビーの指摘が正解であることを暗に肯定していた。
「どういう意味だ。マテルディ・ルバイクが、なぜ陸に向かう。彼女の目的が亡命だとして、軌道エレベーターからわざわざ離れる理由があるのか」
ひとり事情が呑み込めないアイリンが、ふたりの間で黒い瞳を往復させる。彼女の疑問に答えたのは、仕方なしといった具合に口を開いたトビーであった。
「
「なんだと」
それまで冷静を保っていたアイリンの目が、トビーの説明を聞いてさすがに見開かれた。その脇でソリオはといえば、もっともらしいしたり顔で頷いている。
「やっぱりね。そんなことだろうと思った」
「てめえ、知ってたわけじゃねえのか」
「知らないよ。でもマテルディがわざわざ船で陸に渡ろうとするなんて、それぐらいしか理由が無いじゃないか。俺としちゃあそれで十分。何も本当に『処分』しなくたって報告さえ上げとけば、上の連中もわざわざ確かめようとはしないさ」
ソリオの言う通り、土地勘もない辺境の惑星を訪れた女が農場に鉱山しかない陸を目指すとしたら、相応の理由が必要だろう。それがバララト領からの脱出を目論んでいるだろう女であれば、彼の推察もそれほど難しいことではないのかもしれない。
それはともかくとして、ソリオがマテルディ・ルバイクの逃亡を幇助しているというアイリンの指摘は、やはり正解であったということになる。それが航宙省の指示ではなく、ソリオ個人の判断によるものであったという違いは、誤差のようなものだ。
ただアイリンにしてみれば、推理が当たったからといって喜ぶ気になれるわけがない。このまま放っておけば、マテルディ・ルバイクはまんまとローベンダールに逃げおおせてしまうだろう。それこそが重大事である。
「追いつく手段ならあるぜ」
思い詰めた表情のアイリンに、唇の端を吊り上げたトビーが告げた。
「言っておくが、今から船を出しても間に合わねえ。先回りしたいなら、俺の提案に乗るしかない」
「……条件はなんだ」
まだ出会って間もないが、トビーという男がこの状況で無償で協力を申し出るとは、アイリンも思っていない。案の定、彼女の問いかけにトビーがにやりと笑みを浮かべる。
「そこまでわかってるなら、言わずとも察しろよ」
「衛星砲詐取の件なら、私から報告を上げるのは控えよう。約束出来るのはそこまでだ」
「ふん。まあ、それで手を打ってやる」
どうやらマテルディを追うためにふたりが手を組むらしいと知って、ソリオが小さく肩をすくめる。
「後はシャトルの発射まで時間稼ぎするだけだったんだけどなあ。まあ、仕方ない。あんたたちが間に合わない方に賭けて、俺はおとなしく待ってるよ」
「何を言っている。お前はいざというときの重要な証人だ。逃げられると思うな」
当然のように言い放つアイリンをソリオが驚いた顔で見返していると、今度は頬の辺りにトビーの肉食獣めいた視線が突き刺さった。
「俺たちゃ相棒じゃねえか、ソリオ。つれねえこと言わずに、最後まで付き合えよ」
とてもではないが好意的とは言えないふたりの表情に見下ろされて、今さら選択肢などないことをソリオは痛感する。
「ですよねー」
彼に出来ることといえば、迎合するように相槌を打つのが精一杯であった。
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