3-3

 辺り一面剥き出しになった岩ばかりが、時折り吹きすさぶ強風に晒され続けている。

 草一本生えない荒れ果てた荒野のど真ん中に、無秩序な直線によって描き出された巨大な穴。その縁に立てば、ほとんど垂直に近い斜面が何百メートルにも渡って地下に続く様が見下ろせる。

 あと一歩踏み出せばその足は宙を踏み抜き、自然落下する身体は岩肌にすり下ろされながら、底にたどり着く頃には原型をとどめないミンチになること請け合いだ。そんなぎりぎりの位置に佇みながら、トビーは穴底に視線を落としていた。

 露天掘りの採掘坑といえば、本来ならもっと緩やかな階段状のすり鉢型になる。だがトビーが縁に立つ採掘坑については、そもそも掘削の方法からして少々異なった。

 その方法とはまず大地に衛星レーザーで穴を穿ち、次いで差し込まれた掘削機械を使って、穴底から地上に向かって巨大なシャベルで岩壁を削ぎ取っていくという乱暴なものであった。通常の露天掘りは比較的表層の採掘にしか向かないが、この方法だと深層の資源採掘も比較的容易なのだ。

 一方でその運用が大雑把にならざるを得ないため、周辺環境への影響も大きい。だから採用されるとしたら、周囲を慮る必要がない、もしくは環境への配慮よりも採掘効率が優先される――つまり初期の開拓惑星で多く用いられる方法であった。

「この採掘坑も二十年以上掘り続けてるんだろう? いい機会だから、そろそろ穴埋めしちまわねえか」

 穴底を覗き込みながら思わず漏らしたトビーの呟きに、耳に引っ掛けた通信端末越しに応じたのは、タヴァネズの苛立たしげな声であった。

「ふざけるなよ、トビー。龍が暴れ回ったせいならまだしも、大出力レーザーで採掘坑をパーにでもしてみろ。補償するのは誰だと思ってるんだ」

「別に本部長が個人で弁償するわけじゃねえだろう。せいぜい馘首クビになる程度だ」

「お前のケツを拭くために馘首クビになってたまるか」

 タヴァネズは曲りなりにもトビーの上司であるはずだが、彼の行動に責任を持つつもりはさらさらないらしい。もっともトビー自身、彼女に捧げる忠心など鼻毛ほども持ち合わせていないから、そこはお互い様というものであった。

「安心しろよ。俺だって進んでゲンプシーの恨みを買うつもりはねえ」

 眼下に広がる資源採掘坑は、ゲンプシー所有の鉱山のひとつである。というよりも現在のエンデラでゲンプシーの鉱山以外に稼働している鉱山はない。

 彼の鉱山を潰すようなことでもすれば、ゲンプシーは手下を総動員してでもトビーを吊し上げようとするだろう。あのちょび髭面が浮かべる福々しい笑顔はただの上っ面であることを、トビーはよく知っているつもりだ。

「これ以上ないチャンスだってのに、仕方ねえ」

 そう吐き捨てると、トビーは再び穴の中を覗き込んだ。

 眇めたグレーの瞳が見つめる先では今、長大な龍の身体がずるりずるりと這い回りながら、穴底を埋め尽くしている。トビーは右手に持つライフル状の得物――衛星レーザー砲の照準装置ポインターを持ち上げて、その先を穴底に向けた。右目を当てたスコープの倍率を上げれば、赤黒い巨大生物が蠢くその隙間、平らかな穴底のほぼ中央に、どうやらさらに地中に続くと覚しき穴が見える。

「あそこから這い出てきたのか」

 スコープから目を外して、しばし考える。この採掘坑を掘る際、最初に衛星砲で穴を穿ったときの名残が、穴底のさらに下に残っていたということか。おそらく穴底を整地する際に、完全に塞ぐ労を惜しんだに違いない。中途半端に残っていた地中の通路をたどって、龍はこの採掘坑に姿を現したというわけだ

「おとなしくマグマ溜まりを泳いでいればいいものを」

 穴底でとぐろを巻く巨大生物は、トビーが初めて見たときから既に『龍』と呼ばれていた。最初にそう呼んだ奴はきっと、泥船を指して豪華客船と言い張れる脳天気なセンスの持ち主に違いない。

 あれ・・は龍という呼称の割には空を飛ぶことも、口から火を吐くこともない。鋭い鉤爪の生えた四肢を振るうこともなければ、雄々しい翼を広げることもない。地中をその頑丈な鼻先で突き進みながらマグマ溜まりを渡り歩く、せいぜい大蚯蚓ミミズがいいところだ。

 だが地の下を這い回るだけあって、その神出鬼没ぶりには際限がない。海底火山の火口から現れて軌道エレベーター塔に絡みついたかと思えば、採掘坑の底から躍り出る。ひとつのマグマ溜まりにとどまり続けるならまだしも、固い地の底も平気で突き破りながら、その移動速度は思う以上に速い。脅威の度合いだけで言えば、龍と呼ばれるのも納得せざるを得ない。

 それにしても最近の龍の活動は活発だ。常ならば数ヶ月、場合によっては一年以上も地上に顔を出さないことも珍しくないというのに、この一ヶ月は出現頻度が段違いである。

「他人事のように言うな!」

 トビーの感想に対して、管理本部席にふんぞり返っているはずのタヴァネズが、呆れとも怒りともつかない怒鳴り声を張り上げた。

「一ヶ月前といったら、お前がメンテナンスと称して衛星砲をぶっ放した、あの日だろう!」

「そうだったか? 最近、物覚えが悪くてな」

 惚けた声で応じながら、トビーは再び照準装置ポインターを構えてスコープを覗き込んだ。同時に空の彼方から音もなく注ぎ落とされた光線が、龍が出てきたと覚しき採掘坑の底の、中央に噴き出したかのような黒い穴を照射する。

「忘れたとは言わさんぞ。沖合で撃つ分には問題ないだろうとか抜かして、まんまと海底火山の火口にレーザーを叩き込んだのはどこの誰だ?」

 タヴァネズはまだヒステリックに喚き立てている。彼女の声はやや低くて腹に響くから、耳元で喋り続けられると集中が乱されて仕方がない。

「おい、あんまりやかましいと通信を切るぞ」

「おかげで火山が活発化して、つられて龍も目を覚ました。いいか、このところ龍が暴れ回っているのは、お前のせいだからな!」

 穴底の龍がまた蠢いて、照準光の照射先である黒い穴が、その岩のような肌に遮られる。本当ならこのまま出力を最大限に上げて、採掘坑いっぱいに衛星レーザーを叩き込みたいところだ。龍の生命力は尋常ではないが、最大出力のレーザーを浴びればさすがに塵と消えるだろう。

「いい加減にしろ、本部長。てめえだって最終的には納得して許可を出したんだろうが」

「お前の出鱈目にまんまと騙されてな! 出現ポイントも頻度もお前の予測は外れっぱなしだ。こう何度も龍が姿を見せることになると知ってたら、誰が許可するか!」

「うるせえ」

 ぞんざいに言い捨てて、トビーは通信端末の回線を切った。これ以上タヴァネズの文句に付き合う気はとうに失せていた。

「出鱈目どころか、ここまでは予定通りなんだよ」

 トビーは穴の縁に俯せになりながら、ほとんど垂直下の穴底に照準装置ポインターの先を向ける。照射される先の小さな光点は、ずるずると動き回る龍の肌の上をまるで撫で回しているかのようだ。あの長大な身体の下に隠れる黒い穴は、龍が躍り出た際には赤子を吐き出す産道のように無理矢理拡張されたはずだ。周囲の地盤もぐずぐずになっているだろうから、だとすればトビーがやることはひとつしかなかった。

 崖っぷちに頭と両腕を迫り出して、照準装置ポインターを抱えたままじっと待つ。不意に吹きつける横風にも、眉ひとつ動かさない。トビーは自分が短気であることを承知しているが、待つと決めたらどこまでも待ち続ける執念深さも、また己の特徴であると理解している。

 ここはお前との決着をつける場じゃねえ。いずれ相応しい舞台を用意してやるから、今日のところはさっさと俺の前から消え失せろ。

 トビーがまるで彫像の如く微動だにしなくなってから、どれほどの時間が経っただろうか。不意に彼の右手の人差し指が、照準装置ポインターのトリガーを引く。

 その瞬間、空をうっすらと覆っていた雲を吹き飛ばす勢いで、一筋の光条が採掘坑の底に突き立てられた。

 細く眩い光の槌は、龍を吐き出した穴を正確に貫き、さらに地中奥深くに突き当たって爆発を引き起こす。震動に反応した龍がその醜悪な頭部をもたげたのと、採掘坑の底が弾け飛んだのは、ほぼ同時のことであった。

 地中からの爆風に煽られて、まるで噴水のように岩土が噴き上がる。その勢いはトビーの予想よりも激しく、彼の身体のほんの一メートルほど横に、人の頭ほどの岩が落ちてくる有様だった。さらに小さな礫に晒されながら、トビーは崩落していく穴底と、その中に沈み落ちていく龍の巨体から目を逸らそうとはしなかった

 やがて底の見えない深淵に姿を消した龍が、崩れ落ちた土砂に覆い隠されたのを見届けてから、ようやくトビーはその場から立ち上がる。

「今度はもう少し邪魔の入らない場所で会おうぜ」

 未だ土煙が立ちこめる、すっかり凸凹になった穴底に向かって言葉を投げかけると、トビーは崖に背を向けて歩き出した。

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