第19話 木村さんは救われる
雨が上がり、雲の切れ間から暖かな陽の光が中庭を照らしている。
園芸部の人達が日々大切にお世話をしている花壇の花の花びらや葉っぱに付いた雨露が太陽の光を反射して、宝石を散りばめたようにキラキラと輝いている。
屋内で自主トレに励んでいた運動部の人達が、意気揚々と外での部活を再開する為に廊下を駆けていく音やそれを「今日は職員会議があるから、もう部活動は中止だぞー!!」と注意する先生の声。
近々、近隣のショッピングモールの催事場ホールを貸し切って演奏会を開催するらしい吹奏楽部は特例で部活を継続しているみたいで、演奏の音色が雨上がり特有の涼しさと温かさを孕んだ空気を震わせてこの中庭まで染み込んでくる。
学校にいる人達はそれぞれのやりたいこと、やらないといけないことに一生懸命になっている空気感が確かに漂っていて、皆青春ってる感じだ。
部活に勉強に恋愛にそれぞれの青春にまっしぐらな人達の放つ、こうなんというか頑張るぜーオーラを如実に感じる。
皆、すごいなー。がんばってるなー。
私も昔は結構がんばってたと思うんだけど、今はちょっと無理っぽいんだよねー。
特に今とか。特に今とか! 特に今とかですよ!!
何故かというとそれは……、
「「……恥ずかしくて死にたい」」
私も雫もなんかもう一杯一杯で死にたくなるくらい顔が真っ赤でお互いの顔が見られないぐらい恥ずかしいからです。
渡り廊下のベンチの端と端にそれぞれチョコンと座り、かれこれ5分以上お互いに黙りこくってモジモジとしてた。
結衣は部活の友達を待たせているとのことで、「また今度話そう!」と真っ赤になった目をゴシゴシと擦りながら走り去ってしまった。
だから今ここには私達しかいない。
何か雫に言葉をかけないといけないと思う程何故かこう体がソワソワして落ち着かなくなる。
今言葉を紡げば絶対上擦った声が漏れる自信があった。
そして、肝心の雫も、「うわぁぁぁぁあああ、私超絶恥ずかしいこと言っちゃったぁぁああ。めっちゃ恥ずかしい。まともに楓の顔見れない」とブツブツと両手が顔を覆って撃沈していた。大丈夫、私も撃沈済みだから。
いつもなら、からかうと可愛い反応をしてくれるこの友達と一緒にいると楽しくてついつい意地悪しちゃうんだけど、今回はこっちも一杯一杯どころかコップから水がドバドバ零れまくっていてそれどころじゃない。
雨が上がって少しずつ暖かくなってきたけれど、それとは関係ない頬の熱が本当に熱くて、そしてその熱さを意識すると余計に頬の赤みが差す。
らしくない。
らしくないぞ木村楓。
お前はこういうキャラじゃない筈だろう。
自分が隠していた秘密を知られて、大切な人が目の前から幻滅して立ち去ってしまうんじゃないかって怯えて、「置いていかないで!!」なんて泣き出すような女の子じゃないだろう。
いじめられていたことを話せば遠慮させて距離を置かれてしまう。私から離れていってしまうと怯えて自分の傷に必死に蓋をして、心のどこかでビクビクしているような人間じゃないだろう。
「――そう思ってたんだけどなあ」
雫の顔がまともに見れず、中庭を向いたまま。
綺麗に咲いている花にそっと優しく座っている雫を眺めながら、そっと、そんな言葉が自然と零れ落ちた。
もっと強いって思ってた。
もう全然大丈夫だって。
過去のことなんだから、もう大丈夫なんだって。
きっと大丈夫。
『置いていかないで!!』
「……全然そんなことなかった」
パキパキッと心のどこかでヒビが走るような痛みを感じながら、花の上で風に吹かれて不安定に身を震わせる雫を見詰める。
大丈夫なんかじゃなかった。
怖くて怖くて仕方がなかった。
結衣が、春海が、そして雫が自分から離れて行ってしまうことが。
だから蓋をしてなかったことにした。
見ないようにして背中を向けた。
だけどそれは、見ないようにしているだけで、私の後ろにはずっとそれがあった。
いじめられていたという事実。
走る度に思い出す私の足を引っかけて転倒させた同級生が浮かべていたニヤニヤという笑みと「ざまあみろ」という言葉。
急に視界がひっくり返って、その後に足に走った激痛と折れちゃいけない物がパキッと折れた感覚。
今でも消えないその光景と感覚が。
今も時々夢に見て真夜中に起きてしまうそれは、私を蝕み続けていた。
逃げられない。
ずっと消えない。
私はもう前みたいには走れない。
それを認めたくなかった。
だから見ないことにした。
周りの人達にも言わないようにした。
言えば背負わせる。
傷も痛みも苦しみも。
私の大切な人達はそんな人だから。
一緒に苦しんでくれる。
一緒に悩んでくれる。
そんな優しい人達だ。
だから言わない。
苦しませる。嫌だ。
悩ませる。嫌だ。
だから私は強くならないといけない。
笑うんだ。
いつも。
いつでも。
頑張るんだ。
頑張らないと。
……だけど。
……頑張るけれど。
……頑張ってきたけれど。
……もう頑張らなくていいのかな?
ゆっくりと腰を浮かせる。
そしてゆっくりと身を寄せる。
まだ恥ずかしい気持ちは消えないけれど。
こんなに真っ赤になってる顔なんて絶対見せたくない。
だけど、肩が触れ合うと相手の熱が制服越しに伝わって来る。
「ひゃあぁ!? か、楓!?」
熱かった。
私と同じぐらい。
それが嬉しくて強張っていた身体の力が少しだけ緩んだ。
私を超幸せにしてくれる女の子の体温を感じただけで、こんなにも落ち着く。
そして、ドキドキする。
「ありがとう、雫」
「ええっと、ど、どういたしまして?」
唐突な私のお礼に目を白黒させる雫の不思議そうな顔を見ているだけで愛おしさが込み上げてヤバかった。うわー、結構重症かな私。
みっともなく泣いてしまった私を抱き締めて、私を幸せにすると宣戦布告した友達に話す。
私の隠していたことを。
私の傷を。
全部
「ねえ、雫。私が隠してたこと聞いてくれる?」
うっ、結構声が震えた。
情けないなと縮こまりそうになる。
だけどその前に、雫は私の手をそっと握ってくれた。
「うん。聞くよ」
林檎みたいに熟れた顔で私を正面から見詰めてくる。
私がからかうと真っ赤になってアワアワしていることが多いけれど、今日の雫はなんか格好良かった。
……今日の私はよわよわだ。
だから、今日はちょっと甘えんぼになってみてもいいかな?
掌を握り返してみる。
「ひゃぁあ!?」
……可愛かった。
可愛くてかっこいい雫さんに吐露する。
これから話す私の弱みをこの人に知ってほしいから。
「むかしむかしあるところに……」
「えっ、ちょっと楓さん!? 突然日本昔話が始まったんだけど、大丈夫なヤツなんだよね!? 楓の大事な過去にまつわるお話が始まるんだよね!? どんぶらこと楓が川から流れてきたりしないよね!?」
少しからかった導入から始めてみたら超ビックリしている友達を横目に、私は過去の顛末を話し始めた。
小さい頃から走ることが好きな女の子だった。
小学校の運動会のリレーではいっつも1位だった。
中学に上がってからはもっと走ってみたいという単純明快な理由で陸上部に入った。
部活内での人間関係も良好で、自分で言うのもあれだけど上手くやれていたという自負がある。
タイムも着々と縮まるにつれて、今まで一緒にいた春海といる時間も着々と縮まっていった。
走ることにのめり込めばのめり込む程、大切な筈の幼馴染との関係が薄まっていくのを感じていた。
春海自身は陸上にがむしゃらになっていった私に肩を竦めつつも、「まあ、程々にしなさいよ」と大人じみた笑みを浮かべて言った。笑っていたけれど、どこか寂しそうにも見えた。だけど、それに引っかかりを感じながらも私は陸上を優先した。
1年、2年と走り続け、3年になる頃には全国でも通用するぐらいの選手になっていて、その頃に地方予選の大会を通して結衣と出会って同じ陸上バカ同士仲良くなった。
順調だった。限りなく。
学年で一番モテる同じ部活の男子から告白され、それをバッサリ断って振るまでは。
その男子は学校中の女子達が色めくくらい容姿が整っていて、部活も勉強も出来る文武両道タイプだったけれど、私に振られてからはどっちの成績も落ちて部活のレギュラーも外されてしまった。
そのことが他の女子達の反感を買ったみたいで、それ以降部活に私の居場所はなくなった。
詳しく話すと結構胸がチクチクズキズキと苦しくなってくるので省略するけれど、泥だらけになった鞄とか教科書とか、ズタズタにカッターか何かで切り刻まれたシューズとか、トイレに入っていると上から水が降ってきたりとかそういうのを想像してもらえればいいかな…‥。そして、先生達もそれについては私は何にも知りませんよ関係ありませんよスタイルという感じで。
そんな調子で精神的に結構キテいたけれど、春海にもバレないように必死でニコニコ気持ち悪い笑顔を貼り付けて過ごしていた。
そして大会に向けて部活内でのレギュラー争いを賭けたタイム測定の時、顧問の先生が少し目を離した瞬間を狙って、私は足を引っかけられて派手に転んで骨を折った。
痛くて痛くて仕方がなくて、必死に足を押さえて地面に横たわっていた私を見下ろしながら、「ざまあみろ」とニヤニヤと笑う部員達の視線が私の心も折った。
……まあ、その後一部始終を見ていた下校途中の春海が今までに見たことないぐらいブチギレて、「私の友達に何してんのよ、アンタら!!」とグラウンド中に響き渡るくらいの大声を上げながら私を転倒させた女子部員の胸倉を掴み上げて容赦なく頬を張り倒して、私を嘲笑していた他の女子部員達にも容赦なく突っかかって行って殴る蹴るの大喧嘩に発展したのだけど、それが私にとって不謹慎だけどとてつもないくらい嬉しくて、担架で救急車に運び込まれて病院に着くまでずっと泣いた。
骨折による手術で足は治ったけれど、走る時にいじめられていた時のことが瞬間的に頭の中に蘇って来て吐いてしまうようになった。
部活も退部して、高校受験はしたけれど中学校は卒業式も出なかった。
高校が始まるまで家の中に閉じこもって、抜け殻みたいに過ごした。
妹の椛は私に甘えたくて仕方がないのに、グッと我慢して自室で勉強を頑張っていた。お姉ちゃん失格だった。
春海は病院にお見舞いに来た時に絆創膏やガーゼだらけのボロボロの顔で、「名誉の勲章」と一言だけ言って手作りの洋菓子をしこたま置いていった。それからは学校に来なくなった私の元には来なかったけれど、お母さん曰く、「春海ちゃん、お店の手伝いがない時にこっそり訪ねてきてたのよ。『楓、ちゃんとご飯食べてますか?』『あいつが立ち直ったらまた店に来いって伝えてください。それまでにもっと腕を磨いておきます』『あの子頑張りすぎたから、今はそっとしておきたいんです。きっと私が会いに行ったら、アイツまたへらへら慣れない作り笑い浮かべて『大丈夫、大丈夫』って言うと思うから。全然大丈夫じゃない癖に』って言ってたわ」と聞かされて、自分の心がもうちょっとまっすぐ立てるようになったらお店に行こうを思った。
そして、高校の始業式が始まる日に私は久しぶりに家の外に足を踏み出した。
怖くて仕方がなかったけれど、いつまでも繭の中に籠っているのは駄目だと無理矢理足を前に動かした。
「……そして、その日になんか上級生に絡まれてる雫と出会って今に至るのでした。は~い、お話は以上! ご清聴ありがとうございました」
パンッと柏手を打ち、話しが終わったとこを告げる。
木村さんの過去篇も何とか無事に終了致しました。
話している間は当時のことを思い出して胸が苦しくなったけれど、どうにかこうにか話しきった。
……同情されるだろうか?
……泣かれるだろうか?
……それとも秘密にしていたことを怒られるだろうか?
どんな反応をされるのか分からない。けれど、たとえ同情されても泣かれてしまったとしても怒られたとしても甘んじてそれを受け止めよう。
さて、雫はどんな反応を示すのだろうか。
おっかなびっくり恐る恐るギギギッと首を横に振って雫の表情を読み取ろうとした刹那、雫は唐突に立ち上がり、ズンズンと自販機の前までなんか男らしい足取りで進み、小銭をチャリンチャリンと突っ込むと何かの飲み物を2本購入して、また同じような足取りで私の横にドスンと力強く座り込んだ。
「ええっと、雫さん? ど、どうしたの?」
目的の読めない雫の行動に目をパチクリとさせていると、雫は買った飲み物の缶のプルタブに指をひっかけそれを開ける。
プシュッと爽やかな音が鳴った。どうやら中身は炭酸らしい。
雫はそれを一気にグビグビと呷り、ゴクゴクと喉を鳴らしながらそれを飲みきる。
「ぷはぁ! うん、やっぱり美味しい!」
「し、雫?」
「楓!」
「は、はい!」
炭酸を飲み干した彼女はグイっと私の胸元に腕を差し出してくる。
そこに握られているのは、先程彼女が飲んでいた炭酸飲料の缶だった。
おずおずとそれを受け取ると、クシャリと優しい力で頭を撫でられ、
「頑張ったね」
彼女はそれだけしか言わなかった。
その言葉だけ発してから、ずっと大切なものを労わるように私の髪を優しく撫で続けてくれた。
同情も、怒りの言葉もなかった。
ただ静かに一言漏らして、ただただ小さな子供をあやすように頭を撫でてくれている。
「――っ!? ……うん」
「頑張ったね」
「う、うん」
「すっごく頑張ったね」
「ゔ、ゔん」
「とっても頑張ったね」
「ゔゔ、ゔん!!」
とっくに雨は上がっていた。
だけど、しばらく中庭には塩辛い雨が降り続いた。
そして、雨が上がるまで二人はずっと雨宿りを続けていた。
ちなみにその後は、
「雫、ありがとう。ぐすっ、お金払う」
「いいってことよ」
「あ、あと買ってもらって悪いんだけど」
「うん? 何?」
「ごめん、私『シュワシュワ』苦手なの」
「……」
「他の飲み物は特に好き嫌いないんだけど、『シュワシュワ』は小さい時から苦手で……って、どうしてそんな愛玩動物を眺めるような微笑みを浮かべてるの?」
「いや~、楓って炭酸のこと『シュワシュワ』って言うんだと思って」
「えっ? これって『シュワシュワ』って言わないの? 私ずっとそう呼んでるんだけど?」
「いやいや、いいんじゃないですか『シュワシュワ』。そうかそうか、楓は『シュワシュワ』が苦手なのか~」
「むっ、その何か良い事聞いたぜ的な笑顔は何かムッとする」
「ふふふっ」
「何を笑ってるんだよぅ」
「なんでもないですよ~。やっぱり可愛い人だなって思っただけ」
「むぅ、なんか馬鹿にされてる気がする」
「そんなことないってば~」
「そんなことあるってば~」
そんな感じでした。
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