第10話 水島さんは翻弄される
商店街をさすらいながら、とりあえず物色したお店の中でお花見に合いそうなおつまみを確保して私が集合場所の公園に到着すると、木村さんが桜の木の根元で頭上に広がる桜の天井を見上げていた。
肩まで伸びた夜の暗闇のような黒髪がそよ風になびき、風で舞い散った桜の花弁がサラサラとした木村さんの髪にくっついている。
だけど、木村さんは自身の髪についた花びらに全然嫌そうな表情を浮かべることなく、髪をそよがせる風を受けながら片手を上げて、少し乱れた髪を耳元でかきあげるようにして整えている。
そして、「まだかな~。早く一緒にお花見したいな~」と、靴の先で地面に小さな丸をいくつも描きながら、ここで待ち合わせをしている誰かさんを口元を綻ばせながら楽しみに待っていた。
桜の木の下で、ヒラヒラ舞い散るピンクの花弁に彩られた黒髪の美少女が。
私の大切な友人が。
私が気になっている女の子が。
私が来るのをウキウキとした様子で待っている。
「……うあぁぁああああ」
そっと後ずさる。
気付かれないように。
足音を気付かれないように。
このドキドキに気付かれないように。
急速に熱を持った、真っ赤に熟れた頬を見られないように。
私は、ゆっくりと公園の入口のブロック塀に背中を預けて、ゆっくりと自分の慎ましい胸にそっと手を触れる。
心臓がドクンドクンッと早鐘を打ちながら、私の体中に熱さが行き渡らせていく感覚に溺れていくような奇妙な感じがした。
「……ああ、もうっ」
体中が沸騰したように熱くなって、私の体だけが夏の青空の下に放り込まれたような錯覚に陥る。
火傷してしまいそうなくらい火照った体。
深呼吸をしても、まるで全力でマラソンをした後のようにドキドキとした鼓動は止まらない。
だけど、彼女をあんな姿を見た時のドキドキは苦しさだけじゃなくて、胸の辺りからこうポカポカとした温かいものが体全体に染み渡っていくような感じがして……。
「はあ~。もう、私ってなんかちょろすぎないかな……」
背中に当たっているブロック塀のゴツゴツとした石の感触を感じながら、私は誰にも自分の顔が見られないようにその場にうずくまって、しばらくその場で待機することにする。
「可愛いなあ、私の好きな人は」
鏡を見なくても分かるぐらい、あの木村さんが可愛すぎて、好きすぎて。
私が来るのを。
私と一緒に桜を見上げることを楽しみにしていた。
私が好きな女の子の可愛さにもう、ドキドキが止まらない。
だから、少し休憩をしよう。
少なくとも、自分でも制御できないぐらい緩み切ったこんな顔では、とてもじゃないけれどあの友人の前には出れないので、ちょっと休憩なのである。
「あっ! 隊長! 水島さんを発見しました!」
「……ちなみに隊長はいずこ?」
「えへへへ、ついついノリで」
頬の熱がある程度しっかりと冷めてから、私が公園に足を踏み入れると、それに気付いた木村さんが両手を望遠鏡のようにして私を覗き込んでくる。むう、ちち近い。
今はやめてほしい。具体的には、そんな顔を見詰められるとほんのりとまだ残っている熱量に気付かれそうなので。
ここは気を逸らそう。
「ちなみに、木村さんは何の隊を結成していたのかな? 桜を見上げ隊? 桜の花を愛でる隊?」
木村さんの肩や髪に舞い降りていたピンクの花弁を摘んで取り除いてあげながら、木村隊員に所属部隊を尋ねる。
――こらこら、私が花びらを仕方がない子だなあという顔で取ってあげる度にどうしてそんな風にニコニコするの。質問しているのはこっちだぞー。もう、可愛いじゃないか。
「う~んと、私が所属しているのは水島さんと一緒にお花見を楽しみ隊であります!」
ピシッと背筋を伸ばして敬礼ポーズを取る木村隊員。
見事な敬礼だった。
そして、一片の照れもなく、私に向かってニコッと笑顔を向けてくる。
――。
「ふ、ふ~んそうなんだ。へええ~」
声が上ずった。
なんかもう、一杯一杯だった。
花見が始まってもないのに、もう今日の木村さんと過ごした時間だけで、もう一杯一杯だった。
とりあえず二階級特進しちゃいそうなぐらい。
折角引いた頬の熱がぶり返しそうになって、思わずそっぽを向くと、木村さんは一瞬キョトンとした表情をしていたけど、すぐにそれはニヤニヤとしたイタズラっ子みたいな笑みに変わった。あっ、やばい。
口元に手を当てながら、
「おやおや、水島さん。何やらお顔が赤いようですが、大丈夫ですか?」
「だだだだ大丈夫だもん!」
「もん?」
「だだだだ大丈夫です!」
「えええ~? ほんとかな~?」
「ほんとだもん!」
「もん?」
「大丈夫ったら、大丈夫! あと、もんについては触れないで!」
せめて前みたいに武士口調にならなかっただけでも褒めて欲しかった。
木村さんは私が照れたりすると、なんかこう意地悪じゃないけれどからかってくるので、頭の中が焦って焦ってこうぐっちゃ~っていう感じになって言葉遣いも影響が出ちゃう。木村さんの会心の一撃! ってエフェクトが脳内に浮かんだ。
私はそれ以上、木村さんに顔を覗き込まれないように顔を伏せると、木村さんも背を屈めて見詰めてくるけど、しばらくして私がプルプルと恥ずかしさで震えてくると、「ごめんごめん」と頭を撫でてくれた。
むう、そんな手で私が許すとでもふあぁぁぁああああ~。
「お~い、楓。お母さんが、アンタが久しぶりに店に来たって聞いてテンション上がって、苺大福差し入れて来いって言うから来たんだけど、アンタが友達とするっていう花見ってもう始まって……」
木村さんのナデナデに屈しそうに(いやもう屈してますが)なっていると、なんか隣のクラスの美少女、倉橋さんが苺大福の入ったプラスチックの容器片手にぶらりとやって来た。
「……」
「……」
しばしの静寂。
そして、
「……お邪魔しました」
「ちょっと、待ってぇええええ!!」
木村さんの掌の感触にふぁぁあああああんっとなっている場合じゃなかった。
なんかこのまま倉橋さんを帰らせてしまうと、なんかこう私のイメージ的なものに深刻な被害が出る!
そそくさと、ここは若い者に任せて退散しましょうかねえと、お見合いの席のお節介な親戚のオジチャンオバチャン風に退席しようとする倉橋さんの腕に縋りついて、強制停車させる。
「倉橋さん、なんかこうさっきは私が木村さんの魔の手に堕ちたような風に見えたかもしれないけれど、違うから!」
「いや、違わないでしょ」
「うん、違わないと思う」
「だから、違うんだってば! あとそこ! 少し黙ってなさい!」
ふふふっとなんか余裕そうな笑みを浮かべて余計な口を挟んできた木村さんに厳重注意を実施。
木村さんは、「は~い」と絶対分かってないでしょ!って言いたくなるような間延びした返事をしてから、お口にチャックをする仕草をしてとりあえずは大人しくしてくれる。
よし、あとはこっちだ。
「倉橋さん、確かに私が木村さんに頭を撫でられている場面だけを見たら、私が木村さんに篭絡されているような印象を抱くかもしれないけれど、私は別に木村さんのことなんか……」
「えっ? でも、水島さんが来るのを凄く楽しみに待っている楓を見て、苺みたいに真っ赤な顔になってブロック塀の影で撃沈してるのがうちの店の窓から見えてたから、『ああ~、あの子楓のことすげー好きなんだな』って思ったんだけど」
「あああああああああああぁぁぁああああ!! 見られてたぁああああああ!!」
「ほうほうほう、その話詳しく」
「木村さん! 過去最高のワクワクした笑顔した顔をしない!」
こん畜生!
ああああ、絶対しばらくこの件でからかわれるのが容易に想像できた。
思わず地面に膝を付きそうになるぐらいメンタルが手抜き工事のボロ屋並みにグラングラン揺れてダメージを負った感じがする。
というか、なんで倉橋さんがこんな所にいるの!?
だけど、倉橋さんはそんな私の心境は置いといて、何か楽しそうなことを見つけたぜと言わんばかりに架空のマイクを握った右手をズズイッと私にインタビュアーの如く向けて来た。この人容赦ねえー。
「ずばり、水島さんと木村さんの関係は何なんでしょうか?」
「ただの友人関係です!」
「と、水島さんは証言していますが、実際のところはどうなんでしょうか、木村さん」
「そうですねえ~、水島さんは私の――」
「ちょっと! その人にマイクを向けたらダメだって!?」
私がなんかゴシップネタを提供してほしそうな倉橋さんに潔白を訴えるも華麗に木村さんにマイクの矛先を向けた倉橋さんに、木村さんはふふ~んと何やらニヤリとした笑みを浮かべる。な、なんか、嫌な予感がする。
木村さんは私の側に歩み寄る。ち、近いよ。
私の友人は思わず後ずさりしそうになる私のドキドキを知ってか知らずか、ペロリと下唇を舐め(なんかすげーエロかった)、何を思ったか、私の腕に自分の腕を絡めて来た。
「きききき、木村さん!?」
当たってる! 柔らかい貴女の大きなアレが私の腕に当たってる。
制服越しだけど、マシュマロみたいに柔らかいのに弾力のあるそれを私にわざと押し付けて意識させて、それに動揺しまくる私のアワアワを楽しそうに、どこか愛しそうに鑑賞しているような気がする木村さんは、艶めかしいなんかエッチな手つきでより一層手を絡めてくる。
「水島さんは私の――」
片手で私の腕をロックしながら、もう一つの手の人差し指で私の唇をそっと撫で(この時点で悲鳴を上げなかった自分を超褒めたい)、そして私の下唇の中央に指先を押し当て、
「カ・ノ・ジョ♡」
一文字ごとに言葉を区切り、区切るごとに私の唇を色白の指先でトンットンッとノックして、過去最高のイタズラじみた――私の照れる顔を見たくて仕方がないという気持ちを隠す気なんて全くないぐらい楽しそうでいて、それと同時に私の心をグッと掴んで離さないぐらい魔女のような不思議な色気を纏ったとってもズルい表情をしていて――。
そして、冗談とは分かっているけれど、彼女の発した『彼女』という単語がグルグルと熱をもって私の頭の中に回り続けて――。
「お、お友達です……」
その一言が私の口から搾り出るまで、真っ赤に染まり切った私の顔は木村さんと倉橋さんにたっぷりと鑑賞されてしまった。
――あと、その後倉橋さんは「からかいすぎてごめんね」と謝罪を。
――木村さんは、「あははは、やっぱり可愛いなあ、水島さんは~。本当に私の彼女になる~?」と調子に乗っていたので、「えいっ!」とほっぺたを摘まんでやった。
「いひゃい、いひゃい」と言っていたけど、私はしばらく許してあげなかった。
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