第9話 和菓子屋さんちの倉橋さん

「おつまみも買ったし、後は水島さんを待つのみだけど……」


 買おうと思っていたおつまみを無事に確保して、商店街の外れに位置する公園に到着した私だけど、水島さんの姿がまだ見当たらないところを見ると、私の方が早く着きすぎたようだった。

 公園の端っこにちょこんと肩身が狭そうに咲いている桜は数日前に雨が降ったせいか花が散ってしまって少々葉桜になっていたけれど、お花見をするにはまだ大丈夫そうな量の花びらは残っていた。

 そのことにホッと安堵の溜め息をついて、私は購入したおつまみを載せた自転車の重みを両腕に感じながら、自転車を公園の敷地内へと進めることにする。

 おつまみ自体は特に色々なお店を吟味した訳ではなく、昔から母親の買い物で付いて行ったりしたお店で買った物や、父親の友人が経営している料理屋さんからテイクアウトした物等が中心で、何度も家族と通っている馴染みのお店だけで買ってきたので味の保証は折り紙つき。

 このゲームを思い付いた時点で既にこうして候補が頭の中に浮かんでいたので、後はそれらのお店を近い順番に回ってくれば良いだけだったので、それ程時間はかからなかった。

 購入したおつまみは自転車の前かごに入れてあり、私はとりあえず自転車を公園の敷地内にインして、風雨にさらされて所々にヒビが散見されるお墓の墓石に似た質感と色合いをした石のベンチをお尻を下ろす。おおおぉぉ、カチカチですなあ。


「ずっと座ってたらお尻がこりそうだな~」


 ゴツゴツした石の感触が何か落ち着かなくて、お尻の位置を時折変えてみたりして工夫してみるけれど、水島さんが来る頃には私のお尻が痛いよ痛いよになっていそうだ。

 こりゃいかん。水島さんが来たら痛いの痛いの飛んでけーをしてもらわねば。


「やってくれるかな……」


 私は顎先に手を当てて首をカクンと傾けながら、水島さんの姿を思い浮かべてイメージしてみる。ホワンホワンホワンと、回想ぽい音も脳内で再生しながら、水島さんが公園にやってきた辺りからスタートしてみるか。



『え~ん、水島さん、ベンチに座り過ぎてお尻痛くなっちゃった~。痛いの痛いの飛んでけ~、ってしてくれない?』

『もうしょうがないな~、木村さんは。ほら、お尻を出して。私がなでなでしてその感触を心ゆくまでたんの……ゴホン、ゴホン!! 痛くなくなるまで私がずっと痛いの痛いの飛んでけ~ってしてあげるから☆』



 駄目だ、私の尻が水島さんの魔の手に落ちる。

 延々とお尻をなでなでされる。


「いや、まあ流石にそれはないと思うけどね。どうなってるんだろう、私の心の中の水島さんは」


 河原で拾ったエロ本を大事そうに持ち帰ったり、体育の時に私のおっぱいが揺れるのを横目でこっそりと盗み見していたりと、えっちい子なのは確かだと思うけれど、私のお尻が彼女にお気に入り登録されていることはないと思うので、先程脳裏によぎった想像が現実になることはないと思う。

 だけどまあ、頑張っておつまみ探しの旅に出ている水島さんにすぐさまお尻を差し出してそんなちっちゃい子みたいなお願いをするのもどうなんだろう?

 一応こっちがお花見に誘った訳だし、なんか私の都合を押し付けるんじゃなくて、水島さんを喜ばせるような何かをしてあげたい。尻を生贄にする以外で。

 う~ん、水島さんの喜ぶこととこのお尻のジンジンとした痛みはどうしたものか。

 私は水島さんの笑顔と自分のお尻の両方を考えながら、体をメトロノームのように左右に揺らす。

 おっ、こうするとお尻が片方ずつ浮くからちょっと楽になる。

 そんな発見をするも、ちょっと勢いを付けすぎて私の体がコテンと左側に倒れる。

 コツンと硬い石の感触とヒヤッとした冷たい石の質感が側頭部に襲来し、「いてっ」と短い悲鳴を上げる。

 体をベンチの上に横たわらせたまま、なんとかなく起き上がるのも面倒だなあと起き上がることも放棄して、ヒンヤリとしたベンチにほっぺたが冷やされる感じがなんか気持ちいいなあと思っていると、視界に向かい側に立つお店の木製の看板が目に入ってきた。

 達筆な筆字で書かれた『和菓子の倉橋』の文字を目で追うと、ぼんやりとしていた思考が徐々にクリアになってくる。


「ああ、そうか。そういえば、春海の家ってこの公園のすぐ横だったんだ」


 ここしばらく足を運んでいなかった幼稚園の頃からの腐れ縁の友人の実家である和菓子屋の外観を視界に収め、今更ながらそんなことにも気付かなかった自分が、何度も見慣れた筈の和菓子屋さんのことも忘れてしまうぐらい水島さんが来るのを待ち遠しく思っていることを遅まきながら察して、ほっぺたが若干熱を持つ。


「……もう少しだけ、こうしてよっかな」


 もう少しこの頬の熱が引くまで、このヒンヤリとしたベンチで冷やしていこう。

 ……冷たいな。そして……あっついなあ。





「は~る~み~ちゃん♪ あ~そ~ぼ~♪」


「仕事中だ、バカ楓」


 速攻で斬り捨てられた。

 おかしい、私達は幼稚園来の友人の筈なのに。

 『和菓子の倉橋』の自動ドアを抜けて、元気良く声を掛けた私兼大切なお客様をドライに速攻でそう言い放ってきた友人にほっぺたを膨らませてプンプンと抗議するべく、私は冷房の効いた店内を進んで、色々な種類の和菓子が陳列されたショーケースの前まで足を進める。

 ショーケースの向かい側のカウンターに置かれたパイプ椅子に座っているのは、『大人気!話題の洋菓子スイーツ大特集』という雑誌を読みながら、「モンブランか。最近食べてないな。うちの店の栗饅頭じゃあ、代わりにならないし、私の代で洋菓子屋に転向させようかな……」と呟く女の子だ。おい、和菓子屋の娘。どこが仕事中なんだ。実家に謀反を起こす気満々じゃないか。

 背中の半ばまで伸ばした真っ黒な黒髪をピンクのシュシュでポニーテールにまとめていて、体つきは華奢でほっそりとしているけれどプロポーションも良く、容姿も整っているので、立派な看板娘になっていると思う。

 学校帰りですぐに店番を任されることが多く、両親が店の奥の厨房でお菓子を作っている間はこうして接客を担当してる。……私に対しては機能していないようだけど。

 ちなみに店番中はずっと学校の制服を着ていて、その上にお店の制服代わりになっている牡丹の刺繍が入った紺色のエプロンを身に付けている。

 本人曰く、「女子高生が制服姿で売っていること自体に需要があるんだよ」とのことらしい。中学生の頃も似たようなことを言っていたような気がする。きっと女子大生になっても言うだろう。だけど、近場には制服のある大学はないので、もし高校を卒業したらどんな格好でお店に立っているのか見に行ってみるのが楽しみだ。

 倉橋春海。

 幼稚園から高校までずっと同じクラスが続いている幼馴染。

 久方ぶりにやってきた同じ腐れ縁である私が小さい頃からこのお店にやってくる度に何度も言ってきた挨拶を華麗にスルーした、私と同じ制服を着た幼馴染は、雑誌から目を上げて一応店員としての対応をしようと腰を上げて、ショーケース越しに私と向かい合う。


「うちに来るなんて中学卒業して以来じゃない」


「いや~、ごめんごめん。高校に入るまでの春休みはちょっと家で色々と考え事したり、ごろ~んとしてたもんだから」


 私はポリポリと頬を掻き、苦笑気味な笑みを浮かべる。

 中学の卒業式以降、お店というか倉橋春海という人間(というか、春海が嫌というのではなくて、中学卒業後しばらくの間は中学時代にあったとある嫌な出来事を忘れる為に意識的に人と会うことを避けていた)に会いに来ようとしていなかったので、若干の棘を含んだ彼女のどこか拗ねたような口調の言葉にチクリとした痛みを感じる程度の感受性はあった。

 だけど、私が少しばつが悪そうにしたのを敏感に察してくれたのか、春海ははぁ~と溜め息を吐いてから、ショーケースに行儀悪く肘をついて私を困った奴めといった視線で見遣る。


「まあ、別にいいけどね。……たまには顔出しなさいよ」


「……うん」


 むう、気を遣われてしまった。

 自分の不手際というか不義理で生んでしまった微妙に空いていた距離感を相手方に埋めて貰ったという感覚にもどかしさというか、あ~なんか悪いことしたな、私。という実感が遅ればせながらやってきて、地震も起きてないのに軽い揺れみたいなものを足元に感じた。

 こういうのをなんて言うのだろうか。

 ああ、ええっと、う~ん。

 ……罪悪感ってやつなのかな。

 ……今度、学校で一緒にお昼でも誘ってみよう。

 だけど、私の幼馴染はそんな私の感情に気付かないのか、それとも気付かないふりをしてくれたのかは分からないけれど、自分の職務を全うすることにしたらしく、片手でショーケースの端から端からを順繰りに指差す。


「で? 今日は何か買ってくの? 私のオススメは和菓子のコーナーとは別に置いてある豆腐ドーナッツとか手作りマフィンとかなんだけど。買ってくれるともれなく製作者の私に売り上げの一部がお小遣いとして支給されるから、そっちの和菓子はとりあえず無視して」


 ナチュラルに両親の渾身の商品をスルーして、己の懐を肥やすことしか考えていない資本主義者が私の幼馴染だった。


「あっはっは、それじゃあそのドーナッツとマフィンも貰うね。あと、それから……」


 私はゆっくりと右腕を上げて、このお店に入る前から買おうと決めていたお菓子に指先を向ける。



「桜餅を2個くださいな」



 この後一緒に桜を見上げる、高校に入ってから出来たちょっぴりエッチだけどとても可愛らしい新しい友人と共に食べるデザートをお買い上げした。

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