第8話
頭に登った血を冷まし一息つく。女神さまに従って避難場所を探す。だが安全に眠れる場所は自宅ぐらいしか考えつかなかった。騎士団が駐屯している場所からは出来るだけ離れたい。欲を言えば王国外の安全な場所に女神様を避難させ、私だけが残ってあの忌々しい騎士団を始末するのが理想。だが城壁が日に日に高くなっているこの国から出るには関所を通らなければならない。関所を通る際に女神様の身分証明が無いと考えるとかなりめんどくさいことになる。
「女神様、私の家に行きましょう」
「フィーの家……」
路地を出る前に私はフード付きの外套を女神さまに渡した。
「フィー?」
「私は多分他の人に見えてないから大丈夫だよ」
私の姿は女神様以外には見えていない、と思う。仮に私が見られても誰も気にかけない。私より目立つ女神さまを隠さないといけない。気品にあふれるような青いスカートに美しい白いブラウス。スラリと伸びる手足は女神を体現していて貴族でさえも引け目を感じることだろう。そう、私の女神様は美しい方なのだ。そして何と言っても女神さまの顔立ちはこの国の者とはだいぶ違う。一度見れば近隣で噂になり直ぐに騎士団が駆けつけてくるだろう。
路地を出ようと手をぎゅぅと握られそわそわし始めたのでなんだろうと思い口を開けようとした。けど口は女神様の手によって塞がれた。そして物陰に隠れ2人して丸まる。暗い視界の中で僅かな息遣いと衣擦れの音がはっきりと聞こえなんだかドキドキしてしまう。そんな私とは対照的に女神様は息を潜め怯えた顔で周りを確認している。
「あれあれ〜? ここら辺にいるって聞いたんだけどなー」
路地から誰かの声が聞こえた。男だ。
「いっちゃん帰るっきゃないかー、はぁ〜残念」
女神様は金髪のダラしない顔をした傭兵がウロウロしているのをジッと観察している。納得した。こういった輩は騎士団同様絡んでくるものだ。女神様のような美しい方になら恰好の餌食になるだろう。この地域はだいぶ他国の人間が入るようになったと感じる。昔、戦前は商人以外出入りすることを禁じられ余っ程の理由がない限りは入国出来なかった。
傭兵が消えたのを確認したのかはぁっと息をつく。
「もう平気よ」
「うん」
先程襲われた事もありかなり脅えている。女神様を守ってくれる存在が私以外いないのがやはり心細いのか。私にもう少し力があれば良いのに。
「行こう、フィー」
「うん」
だからせめて繋いだ手を強く握って離れないよう歩いた。たとえ不安を和らげるには心もとない小さな手でも。
路地を離れ自宅に着く。雑草が生い茂り鍵はかかっていない。この区画は今や私と近隣住人が数名程のしかいない寂れた住宅街になってしまった。戦争に殆どの住人が駆り出され残った妻や子供は食い扶持を繋ぐために身体を売っている人が多い。
「ここが……」
石造りの家は補修工事など入らず随分ボロが出始めていた。仮の宿くらいには丁度いいが人を招くにはみすぼらしい。あのスノードームの一軒家とは比べ物にならない程寂れた家だ。女神様の家はとても心地が良かったとつい想いを馳せてしまう。
女神様を比較的安定した椅子に座らせ私も座る。
「フィーはここに住んでいたのね」
「うん」
そうだ。確かに私はここに住んでいたんだ。机には汚れた水が残った花瓶が置かれている。この花瓶にもかつては花が入っていた。母が好きだったレヒートという黄色い花。それはとうの昔に枯れ果てた花びらの残骸が濁った水の上で浮かんでいる。
家に滞在する時間が少なかったせいで自分の家にあるものを見るのはひどく懐かしい。戸棚の方へ行くとパンや飲み物は食べられそうにない状態だ。この家にある食料は2年前からもう口に付けていなかったのとっくに腐っている。私は焦った。女神様に出せるようなものが何もない。
「どうしたのフィー?」
「家に食べるものがないの……なんにも出せなくてごめんなさい」
「ッ!……ごめんね……わたしがどうにかしてあげられたら」
「そんな……」
女神様は私がご飯を食べれない貧しく飢えに苦しんでいる子だと勘違いしてそうだ。実際には飢餓が来る前に自殺するようにしていた。餓死や殺されるより自分で死ぬほうが楽だったし女神様と美味しい食事が出来るのであれば大した事はなかった。
女神様はほろほろと涙を零し顔を手で覆った。もしかして上から自殺している姿を見られてたのかな。それとも無様に殺されるところでも見ていたのかな。だとしたら見苦しいところを見せてしまった。でも全然私は平気だった。だから居た堪れない、しかしそんな気持ちと同時にこの美しい女神様から目が離せず泣いている姿を見ていたいと思った。泣いている姿にすら惹き込まれるような私はおかしくなってしまったのか。座っている女神様に近づき涙を舐めたい。のどが渇いてないのに渇きを感じ流している雫は甘そうに思える。いやきっと甘い。花の蜜に誘われるように一歩一歩近付いて女神様の頬に顔を寄せて舌を伸ばそうとした瞬間だった。
「やっほー、しずちゃん。あれもしかして傷心だった?」
あの薄暗い路地で見かけた金髪の男だ。音も立てずに室内に入り込み軽薄そうな笑みで手を振っている。身なりは軽装で斥候、だがローグにも見える。どうやって入り込んだかわからず男に細心の注意を払いながら女神様の横に立つ。
「ぐすっ……丹波くんやっぱり付けてたんだね」
女神様は涙を拭い席から立って少し下がった。
「つけてた……いやー、しずちゃんにはごまかせないわー。てか別に取って食おうって訳じゃないんだからそんなに身構えんといてよ。俺だってこの世界に降りた時は結構ビビって何も信じちゃいなかったけどそれでも元仲間としては傷ついちゃうわ」
元仲間、ということはこの男は派閥のメンバーの一人だ。敵意は感じられないが警戒は緩められない。
「ねねっ、提案なんだけどさ。しずちゃん俺っちを仲間にしない? 俺っち今フリーなんよ」
「仲間に?……嘘ついてるよね。そもそも派閥とまだ連絡とってるでしょ。でなきゃこんな所に丹波くんがいるはずないよ」
「嘘……嘘ねぇ、確かにまだ派閥とはたまぁあに、てか林ちゃんとだけど連絡取ってるよ。でもそれはただの近況報告だから本当にフリーよ」
「じゃあみんな生きてるの?」
「ひぇー、答え辛いねその質問。派閥抜けちゃうとさ、誰が死んだかどうかわかんないんだよね。派閥を抜けたってのはホントよ? ほら、端末には俺っちは林ちゃんが管理してるアレイアスの国所属になってるっしょ?」
掲げられたのは女神様が使っていたスマホだ。
下記に記したように地上人として定めます。
姓名 タンバー・ユー
年齢(24)
所属国 アレイアス帝国 アレス人
派閥への干渉 可
「アードくんとは連絡とってる?」
「なんでアードきゅん? 」
「……アードくんと話がしたかったの」
「ふぅん」
金髪はよくわからないといった表情で女神様を見ている。少なくともアードが殺されたという事実はあちらに派閥の人間に気付かれていないようだ。
しかしアードという少年は何故あの時私に女神様を殺すと言ったとき協力したのだろうか。女神様は恨まれていた? 十分に有り得そうだ。もし派閥ぐるみで女神様を陥れようとしているなら私は容赦はしない。この男の事も殺す。
だから私の選択は正しい。アードと何かトラブルが起きていたら間に合わなかったかもしれないんだ。
「ところで丹波くんは地上でどうやって過ごしてるの?」
「俺っち? 興味示してくれるのは嬉しいねぇ。俺っちってこんな格好じゃん? だからね」
腰にさしてあるナイフを抜きくるくる回してナイフ捌きを見せる。腕の立ちそうな動きだ。
「ほっと、こうやって貰ったスキルを活かして傭兵みたいな事やって金稼いでるよん。最初はクソだりぃって思ってたけど派閥にいた頃より気楽に生きてけっから楽しんだよね。この世界? 国? まあどっちでもいいけどさ」
「でも死んじゃうかもしれないんだよ? 怖くないの?……」
「最初ビビりまくりよ! でもねぇ、慣れるもんよ? ふつーの人間になるのは。しずちゃんもふつーの人間になったんだから命は大事にしなきゃいけねーよ?」
「女神様は死ぬの?」
私は女神様を見た。けど金髪男を見据えたまま私に返事をしない。
「でも私はこのゲームにまだ参加してる。危険は避けられないって分かってる」
「それそれ、それだよ、なーんで追放になったのにしずちゃんがまだゲームに参加してるのかよくわかねんだよなー」
「……」
「あれ? しずちゃんもわかんない感じ? てか一人で勝つって無理くね?」
「う、うん」
「そっかぁ……じゃあ気をつけないとなあ」
今私と一瞬目があった気がした。身構えて様子を見るが彼は視線を辺りに漂わせているので偶然目があっただけなのかもしれない。
「まーいいや! しずちゃんに会って話せて俺っち大満足よ! 派閥に誘ってくれるならいつでもウェルカムだから俺っちに会いたきゃフォート傭兵団に来てね!」
丹波は傭兵団のビラを渡し普通に扉を開けて帰っていった。嵐のような男だと感じ好き勝手生きているわけのわからない人間という印象が強いが今後気をつけたほうが良さそうだ。私はチラッと横にいる女神様を見る。女神様は眉を潜めもらったビラを見つめていた。
「女神様、絶対に行かない方がいいと思う。あれ罠だよ」
「行く気は無いわ、丹波くんが信用に値する人物では無いし何よりまだ派閥と繋がってることが怪しいわ」
「他派閥の神様は全員敵?」
「敵……になっちゃうのかもね」
「何回死んでも女神様は私が守るよ」
「そんなこと言ってほしくないけど……私はなんて無力なのかしらね。フィーの傍にいてもフィーに良いことなんてひとつも無いのに」
「女神様は私に希望をくれたんだよ。私は女神様のそばにいるだけで幸せだし、女神様以外は何もいらないよ……本当だよ?」
「ありがとうね。なら私もフィーが苦しまないように頑張らなくちゃね」
抱き寄せられ頭を撫でられる。あぁ、やっぱり女神様は優しい。温かな日だまりのような匂いが私の脳髄をくすぐる。
この人の為なら何でもできそうだった。
防音性の高い傭兵団の個室で丹波はスマホに手を伸ばした。
「あー、もしもし林ちゃん? 俺っちだよー」
「林堂と呼べこのボンクラが。で報告は」
厳しそうな青年の声が丹波に向けられる。
「はいはい、しずちゃん見っけたよ。やっぱり新しい派閥の頭はしずちゃんでしたー。でもこの国はしずちゃんの派閥じゃないみたいだしウチらの世界から来た勇者っちはいなかったなー」
「勇者がいない? それにあの国は一体誰の管轄なんだ?……」
「つーかこの国にスパイは居なさそうだけど、最近王室宛への手紙が多い気がするんよ。アレって林ちゃんが出してるわけじゃないでしょ? 多分だけどさ」
「虫族派閥か」
「うーん、そうだよね」
「こちらで確認できない以上無闇に手は出せない。寝返ったら潰すのは簡単だけど僕の兵力をそっちに割くとなると都合が悪いな。イオアンカの勇者でも借りたいところだが……アイツどこに行ったんだ?」
「あっ、ねぇねぇアードきゅんいる?」
「いるがどうした」
「しずちゃんが話したいって言ってたの伝えといてちょ」
「却下だ。以上か?」
「え? あー……そうね、あと俺っちしずちゃんのこと監視してて良い?」
「情でも移ったか?」
冷たい声が端末越しから突き刺さる。
「いやいや、傷心中だから宥めて懐柔させちゃおっかなって、まあ、あわよくば俺っちの彼女さんにでもね」
「猿が、好きにしろ」
小馬鹿にしたように捨て台詞を吐き林堂から通話が切られる。
眉を下げやれやれと手を挙げ持っていた端末はブロックノイズがかかり消える。
「じゃあしずちゃんの覗きしに行こーっと!」
丹波はそう言って部屋を後にした。
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