かつてパトラッシュと名乗っていた魔獣-02(032)
「この子猫は精霊、そう言えば分かる、ます、か?」
「えっ……精霊?」
ロバートの言葉に、皆が半信半疑で聞き返す。パトラッシュを覗き込む者もいれば、本当にロバートが喋っているのかと、腕組みしてしかめっ面をする者までさまざまだ。
この村には、まだ精霊を持つ者が生まれた例がない。それはロビンとロバートが既に調査済みだった。だからこそ、なんとかなるかもしれないと思ってやってきた。
更には精霊を知る者でも、実際に見た事がある者は少ない。パトラッシュよりもまずロビンが疑われるのは仕方のない事だ。
「あーもう! 丁寧に喋ってんのに信じてくれねえのかよ。いいぜ、俺の事も疑っているようだし、この村にはとっては珍しくもねえし、喋る猫も他にいるって事だな? ん?」
ロバートは成猫一歩手前の小柄な体で、ふんぞり返るように座り、周囲の者を睨みつける。
「い、いや、喋る猫はいないが……」
「じゃあ、俺様が喋るって事はどういうことか、分かったよな」
「あ、ああ……」
村人たちはまだ疑っていた。しかし、確かめるすべはない。「精霊は動物の姿で喋る」という唯一の情報とも、100%合致している。
ロバートは自身の事を精霊だとは主張していない。パトラッシュの事も精霊だと断定していない。けれど、話の流れでロバートが精霊として扱われるのは十分だった。
そこで、精霊や使い魔とは違い、嘘をつける人族の登場だ。ロビンはロバートの思惑に気付いていた。
「間違いなくこいつは俺の精霊だ。その精霊が確信している。その赤ん坊の猫は……この家で今生まれた赤ん坊の精霊だ」
「えええっ!?」
「精霊!? どうみても猫なのだが……」
厳しく判断するなら、猫に見えても猫ではない。パトラッシュは魔獣だ。
「俺様の事も猫に見えるだろ?」
「まあ、猫そのものに見えるが……」
「この子猫を精霊だと信じないならそれでもいい。だが、主である赤ん坊に早く会わせてやらねえと精霊は消えちまう。そしたら……主である人族の赤ん坊もどうなるか」
「聞いた事があるぞ! 精霊と主は一蓮托生。どっちかが死んだなら片方も……」
ロバートの脅しに、家長の男も村人達も急にあたふたし始める。
そりゃあそうだ、どうみても赤ちゃん猫に見える精霊が、生まれたばかりの赤ん坊の命そのものだと言われたのだから。
「そりゃ大変だ! 早いとここの子猫を……いや、精霊を会わせてやらねえと!」
「で、でも、何故精霊をその、ロビンさん達が連れてきたのですか?」
「そ……それは」
生まれたと同時に誕生した精霊なのだから、赤ん坊のすぐ傍に出現するのが自然だ。ロバートはそこを突かれると上手く言い返せない。
「すぐ傍に生まれるんだが、この世に現れた時、真横に出てくる訳じゃない。おそらく生まれた赤ん坊のすぐ近くに家の壁があったのさ」
「すぐ傍とはいえ、同じ室内に誕生するとは限らねえ。壁を隔てた外に出てきたんだ。おかげでこの精霊は主を求めて道まで這ってた」
「偶然通りかかったロバートが、精霊の気配を感じて探すと落ちていた、ってところさ」
もっともらしい咄嗟の嘘に、大半の者は成程と頷く。ちょろいもんだと胸をなでおろしていると、厄介なことに今度は先程大騒ぎしたツケが早速回ってきた。
「あんたら、子猫がどうだと騒いでいなかったか」
そうだ。2人はパトラッシュの主を求めてすぐ家の前で叫んでいたのだ。
「それは……、主がどこにいるのかまでは俺達にも分からないからな。精霊だと言って、もし連れ去るような奴がいたら大変だ。だから分かる奴が名乗り出るのを待っていたのさ」
「なるほど……」
よくもまあこんなに次から次へと嘘を吐けるものだ。だがお陰で皆がパトラッシュの事を信じ、早く赤ん坊に会わせなければと急かし始まる。
その時だった。
「あなた! あなた! 大変、赤ちゃんが、赤ちゃんが!」
「どうした!」
寝室から母親の叫ぶような呼びかけが響く。
「急にぐったりして……ああ、どうしましょう! ネロ、しっかりしてネロ!」
「勝手に却下した名前で呼ぶな! 名前はもう決めただろ!」
「ああ……お願い! お願いよ、起きて!」
「起きろ! 息をしてくれ!」
赤ん坊に何かあったらしい。父母が揃って赤ん坊の頬を叩いたり、胸の音を確認したりしている。
皆で押し掛けて覗き込むと、赤ん坊は男の子だった。赤ん坊はピクリとも反応しない。産婆は「駄目じゃ……」と言って俯いていた。
「ったく、寝ろと言ったり起きろと言ったり、騒がしいな。だから言っただろ、早く精霊に会わせてやらねえと駄目だって」
ロバートの声で皆が一斉にパトラッシュへと視線を向ける。
平静を装っているが、ロビンもロバートも心の中では焦っていた。
ここまで言えば、もう引き下がれない。赤ん坊の精霊だと言ってしまった以上、じゃあ誰か代わりに主になってくれとは言えない。
パトラッシュにとってはラストチャンス。それに赤ん坊がこうなったのは1人と1匹のせいではないにしろ、こんな場面に立ち会うのは悲しすぎるし、重すぎる。
今まさに2つの命が風前の灯火なのだ。
ただ、ロビンにはもしかしたらという思いがあった。ロバートを使い魔にした事でロビンの身体能力が上がったように、赤ん坊の体にも影響するのではないか。
そうであれば赤ん坊を救うことができ、同時にパトラッシュは主を得られる。ロビンはなんとか精霊持ちとして振る舞い、皆に指示を出そうと真剣な顔で父親を指さした。
「早く! まずは赤ん坊の名を教えながら、精霊を赤ん坊の手で撫でさせて、主を覚えさせろ! そしてすぐ精霊に名前を付けてやれ!」
「間に合わなくなるぞ! ほら、この精霊もさっきより少し小さくなった! 時間が経ちすぎたんだ!」
ロバートも躊躇う暇がないと分からせるために煽る。
「ひっ……こっちに精霊を連れて来てくれ!」
もう父親は藁にもすがる思いだ。子猫が精霊かどうかなどどうでもいい。全ては赤ん坊が息を吹き返すかどうかに懸かっている。言われたとおりにやって助かるなら何でもやる。それしかなかった。
ロバートはパトラッシュの首根っこを咥え、ベッドの上の赤ん坊のすぐ傍にパトラッシュを置いた。
「ほら、まずは赤ん坊の名前を教えろ!」
「名前は、え、エインズだ」
「はっきり!」
「エインズ!」
「そしてこいつを撫でさせろ!」
出産直後で体中が軋む母親の代わりに、父親が赤ん坊の小さな手を優しく支えてパトラッシュを撫でさせる。
「エインズだ、お前の主の、エインズだ」
パトラッシュが僅かに頭を上げ、そしてエインズと呼ばれた赤ん坊の手を抱擁するように縋りつく。
「次だ! 名前を付けてやれ、早く!」
「ああ、あ……名前、名前、精霊の……」
「寝ろなんて付けるなよ、縁起が悪いぜ」
「あ、ああ、ネロは、そうだな、寝ては困る。ああ、ああ~名前!」
父親はもうパニック寸前だ。いきなり名前をと言われも用意している訳ではない。何でもいいと思っても、それらしい名前が思い浮かばないのだ。
目からは涙が溢れ、鼻をすすっても声が震える。内心、村人の誰もがもう駄目だと思っていた。
その時、母親はふと枕元に飾っていた男の子の人形が視界に入った。
服を着せられていない、まだ作られたばかりの木製の人形には、生まれてくる子が男の子だったら男の子の服を、女の子なら女の子の服を着せようと決めていた。
男の子なら、女の子なら、母親は人形の名前をそれぞれ考えていたのだ。
「決めたわ! チャッキーよ!」
「チャッキー? 分かった! おい、お前の名前はチャッキーだ、お前の主はエインズだ! 頼むチャッキー! エインズを起こしてくれ!」
【Ⅶ】かつてパトラッシュと名乗っていた魔獣~Can stop dreaming~ end.
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