【Ⅶ】かつてパトラッシュと名乗っていた魔獣~Can stop dreaming~

かつてパトラッシュと名乗っていた魔獣-01(031)


【Ⅶ】かつてパトラッシュと名乗っていた魔獣~Can stop dreaming~



 ダイナ市の南西にある長閑な村。


 2頭の馬の蹄はポクポクと呑気な音を立て、木製の車輪が軋みながらゴトゴトと回る。パトラッシュを乗せた馬車は無事に村へと辿り着き、たった今停まったところだ。


 辺りはもう暗い。時間は既に20時だ。


 雪は降っていないものの、コートを着ていなければ震えで歯がガチガチ鳴る。空は雲が覆っていて月は出ていない。じゃがいもの名産地と言われても、そんな村はどこにでもある。


 いわばこれといって特徴のない、ありふれた村だ。


 そんな村の、これまたありふれた冬の夜、使い魔ロバートに心配されながら、パトラッシュはまだかろうじて存在していた。


「俺様も1、2週間遅かったらこうなってたんだぜ」


「そう言う事だな。パトラッシュもあの時はまだ大猫だったのにな。信じられない。それで、これからパトラッシュをどうするんだ」


 かつてパトラッシュに救われた魔獣、キジ猫姿のロバート。そしてそんなロバートに助けられて再スタートを切ったソルジャーのロビン。


 彼らは赤ん坊の姿まで戻ってしまったパトラッシュのため、この村を訪れていた。ロバートによるパトラッシュへの恩返し大作戦といったところか。


「とにかく、ロビンは子猫を飼わねえかと各戸を訪ねてくれ! 俺はパトラッシュさんを守ってやらなきゃなんねえ」


「一緒に来い、パトラッシュはタオルにくるんで持ってやる。その場で見せて、庇護欲を掻き立てた方がいいだろう」


「ああ。頼んだぜ」


 ロビンはパトラッシュをそっと抱き上げてタオルでくるみ、そして駆け足で明かりの漏れる家を訪ね歩く。


 もうパトラッシュと意思疎通を図るのは難しい。大丈夫かと声を掛けても、言葉が分かるかと尋ねても、つぶらな瞳でじっと見つめ、か細く「にゃー」と鳴くだけだ。


 明日か明後日には生まれたてと同じくらいに小さくなり、その次の日には生まれていない姿……つまり消える。赤ん坊の姿のまま踏みとどまるかもしれないが、ロビン達は、そんな可能性に賭ける気も、試すつもりもなかった。


「こんな時間にどなた……あら、何」


「すまない、旅の者だ。途中で子猫を拾ったんだが、生憎俺は連れて行けない。助けて貰えないだろうか」


「あー駄目駄目! うちは犬が3匹いるんだ、面倒を見てらんないよ」


 各戸を回るも、皆がパトラッシュに視線を向ける前に飼えないと言って断る。既に猫を飼っている、犬を飼っている、家畜の世話でいっぱい、世話に自信がない、動物は嫌い……。


 ロビンも自分は飼えないと言って任せる手前、強くは言えないようだ。


「まいったな。もう5軒に断られた。あまり断られ続けると良くないんだよな」


「ああ、まずい。くっそ!」


 パトラッシュを抱えたまま、ロビンは焦り、ロバートにも良い案はない。魔獣を従えないかと持ち掛けるのはリスクが高く、ロバートに危害が及んだり、本当の精霊が疑われる可能性もある。


 寒空の下、そろそろ宿を見つけなければ村の中で野宿する羽目になる。


「このまま寒さに凍えさせるよりは、一度宿に寄った方がいい」


「そんな時間はねえ! パトラッシュさんは、もう俺達が何を言ってるかも分かってねえんだぞ!」


「……誰か! 子猫が欲しい奴はいないか! 素直でいい奴だ、誰か!」


 ロビンが大声で叫ぶと、声は案外響き渡る。2度繰り返した頃、家々からは何事かと住民が出てきた。


「どうした! 何かあったのか」


「話を聞いてくれ!」


「死にそうな子猫がいるんだ! 誰か助けてやって……」


 ロビンに続き、ロバートが懇願するように叫ぶ。だがその声は別の村人の声に遮られた。


「何を騒いでるんだい! 静かにしておくれ! お産の邪魔だよ!」


 頭には三角巾、白いエプロンを着て白いタオルを持った女がロビンを叱りつける。


「もうすぐ子供が生まれるんだ、母親は頑張ってる! 命がけなんだ、集中させてやっとくれ!」


 助産師だろうか。理由が理由だけに、ロビンもロバートも拒否出来ずに黙り込む。


 もうすぐ生まれる新しい命。


 今まさに失われようとする命。


 どちらを優先するべきか、そんな天秤が目の前に置かれる。やがて助産師は家に戻り、住民も帰っていく。この場所を諦め、少し離れた場所の家々を回ろうか、そう考えた時だった。


 突然、あーあーとも、ぎゃーぎゃーとも聞こえる威勢の良い声が響いた。赤ん坊の産声だ。


「……無事に生まれたようだな」


「おう。あっちは助かったか。でもパトラッシュさんは」


「仕方ない、こうしていてもパトラッシュには後がない。回れるだけ家を回ろう」


 ロビンがパトラッシュを大事そうに持ったまま歩き始める。冬の夜風は冷たく、小さな体を一瞬で冷やしてしまう。


 自らの手が冷たくなっても、ロビンはタオルの上からパトラッシュを温め続ける。だがパトラッシュの体は冷えていく一方だ。ロビンは立ち止まると、もがくパトラッシュをコートの内ポケットに入れた。


「こうすれば少しは温かいはずだ」


「おい、ロビン」


「なんだ、どうした」


 後方の少し離れた場所で、ロバートが先程子供が生まれた家を見ている。祝福に駆け付けた村人達の輪に入るのでもなく、ロバートは何かを思いついていた。


「ロビン、パトラッシュさんを!」


「どうした」


「いいから、早く! 今しかねえんだ!」


「おい! いったい……ああ、ちょっと!」


 ロバートがロビンのコートに爪を立てて登り、ロビンのコートの内ポケットからパトラッシュを咥えて飛び降りた。


「おい! パトラッシュが凍えてしまう!」


 ロビンの制止を気にも留めず、ロバートはパトラッシュの首根っこを咥えたまま、村人の間をすり抜けて家の中に入って行った。


「あいつ何を……」


 ロビンがロバートの思惑が何かを当てようと考え始めると、家の中から悲鳴が上がった。


「あいつ!」


 ロビンはたまらず走り出し、玄関に集まる村人を押しのけて家の中に顔を突っ込んだ。


 小さな家の玄関から中に入ると、土間の上に簡素な木製の食卓テーブルがあった。もちろん出産直後の母親の姿はなく、赤ん坊の姿も見えない。


 そこで見たのは、テーブルの上にパトラッシュを置き、いつかのパトラッシュのように二本足で立つロバートの姿だった。


 ロバートは胸に左前足をあて、深々と頭を下げる。


「俺様……いや、ちがう! わたくし、いても立ってもいられず、駆け込んで……しまいましたです。この子猫をぜひ見ていただきたく欲しい、です」


「何だ、何だこの猫! 喋ったぞ!」


「喋る猫だと?」


 突然現れて喋り始めたキジ猫を見て、その場に居合わせた者達が怯える。


「どうした! 今は静かにしてくれ、妻は疲れているんだ」


 この家の家長、つまり今生まれた赤ん坊の父親も母子がいる寝室から顔を出し、その場の光景に目を見開いた。


「しゃ、喋る猫が……」


 祝福に来たはずの村人の表情は引きつっている。家長もロビンに対し、不審に思う余裕も無いまま固まる。


 皆がロバートの挙動に注目していた。


「すまない! その猫は……ロバートは俺の精霊なんだ! 俺はロビン」


「精霊!? というか、あんた何なんだ!」


 ロビンが慌てて駆け寄り、皆の前に名乗り出た。ロビンに言われるまで精霊という単語が思い浮かばなかったのだろう、村人たちは金縛りが解けたように、一斉にロビンへと顔を向ける。


「旅の者だ。そいつは俺の精霊だ。家長、すまないがロバートの話を聞いてくれ」


「え? あ、あぁ……」


 突然現れた男と精霊に、家長の男はコクコクと頷く。あまり状況の整理が出来ていないようだ。


 とはいえ、ようやく皆が話を聞いてくれる環境が整った。


 ロバートは焦りを抑え、そして努めて丁寧な口調で用件を騙り……いや、語り始めた。

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