【interlude】
interlude(030)
【interlude】
「こんな所で寝ては風邪をひく。起きなさい、パトラッシュ」
曇り空の真夜中。
大木の根元に縋りつくように眠る1匹の魔獣の姿と、1人の男の姿があった。彼に話しかける人物には見覚えがある。
それはパトラッシュがかつて木の主と呼んだ男。彼は季節が変わっても同じ装いのまま、わずかに残る地面の雪を払った。
「……最後に会話した時より、ずいぶんと小さくなってしまったね。そして今朝よりもっと小さくなった。君はそれでいいのかい」
木の主の呼びかけが聞こえていないのか、パトラッシュは鼻が詰まっているかのようにスピスピと寝息を立てている。
「とにかく、この村はやめておきなさい。どんな善良な者であっても、魔族を憎んだその直後に、温かく魔獣を受け入れるのは難しい」
木の主はパトラッシュを一度撫でると、少し考え込んだ後でフッと消えた。そして10分ほど経った後、今度はまだ燻っている炭を手の平に乗せて戻って来た。
「これで少しは温かいだろう。『火の主』に作らせた白炭だ、朝起きる頃までは熱を出し続ける」
子猫の姿のまま、道端で一晩過ごすのは命取りだ。木の主はパトラッシュが凍えないよう、どこかの木へと飛び、そこの木の太い枝を火の主に焼かせ、炭火を用意したのだ。
「まっすぐで脆い魔獣よ。明日からも旅を続けられるのかい。そんな小さな体で何処に行ける」
木の主は地面を見下ろす。
「君が消えるか、もしくは木々の養分になるか、そのどちらも惜しいと思ってしまった」
あと1か月の猶予があるだろうか。見たところ、パトラッシュにはもうそれほど時間が残されていない。
「必要とされない、そう落ち込んだ分だけ小さくなって、ご主人を探せない焦りで無理をして、子猫の姿まで戻ってしまったね。必要とされない事は悲しい。努力する事さえ叶わなくなるその日を知っている君は、そんな悲しい生き方を全うするのかい」
木の主は、時折枯れた木の枝を持って来ては、炭の上に置いて行く。パトラッシュの体は少し温かくなった。凍え死ぬことはないだろう。
「夜が明けると商人の馬車が動く。君にとって、恐らく今日が最後のチャンスだ。明日の君はもっと小さくなっている、そんな気がする。そろそろ起きて、馬車を探しなさい」
木の主はパトラッシュを優しくゆすり、目覚めを促す。老猫の時もよく眠っていたが、子猫になったパトラッシュも、やはりよく眠った。
目覚めたパトラッシュは小さな体で目一杯伸びをして、一度耳の裏を後ろ足で掻いた。
気付けばもう山の端に陽が見える。目の前に木の主がいる事に気付き、パトラッシュはちょこんと座って頭を下げた。
「ふあぁ……おぁ、おぁよ……お、おぁ?」
「ん? どうしたんだい」
「あ……あち、うみゃ……あぇえにゃ、あぇ、やぇぇにゃぃ」
「まさか。言葉を、話せなくなったのかい」
パトラッシュは少し口を開けたまま、ゆっくりと頷く。あまりにも小さくなり過ぎ、きちんと発音できなくなってしまったのだ。
「理解は出来るんだね」
パトラッシュはまた頷いた。そして、項垂れる。
恐れていた日。いや、一度は覚悟した日。
とうとう、主探しすらできなくなる日が来てしまったのだ。
「君に残された時間はもう僅からしい。生憎わたしは木の傍にしかいられない。木から木へと移ることは出来るが、生きている君を一緒に運んでやる事が出来ないんだ」
パトラッシュはよろけながら立ち上がり、右にフラフラ、左にフラフラと、実にたどたどしく歩き始める。
昨日よりも小さくなった姿では、体を上手く操れない。こんな調子で鳥や肉食の獣に見つかれば、確実に殺されてしまう。
活発に動けば数十分で急に眠くなり、そして1時間も2時間も眠る。面倒を見てくれる親猫がいる訳でもなく、自分で餌を確保する手段もない。ほんの100メータ進むだけでも何十分と時間が掛かる。
パトラッシュがわずか1キロメータ先の門に辿り着く頃には、もう太陽が一番高くなっていた。
木の主は心配し、瞬間移動のようにゆく先々の木の傍に現れる。けれどその移動はパトラッシュを連れて行う事が出来ないらしい。
人に縋りたくとも、村人は皆が集会所に集まり、村長の再任を待っている。集会所以外の場所にいるのは門番だけだ。
「村の外に木はない。人の足で1日もあれば最大の町に着くけれど、君には無理だ」
門の横には大きな木があった。木の主が手を貸せるのもここまで。この先はしばらく草原が続くため、パトラッシュは自力で主を探さなければならない。
木の主は最後の手助けだと言って、門番に声を掛けた。
「やあ、門番さん。とても忠誠心の高い猫がいるんだ。保護して貰えないかい」
「ん? 何だあんた。生憎猫は嫌いでね、すまないが他所をあたってくれ。無理ならあんたが飼ってやるか、その辺に逃がして自然に任せな」
「……そうだね。話を聞いてくれて有難う」
門番はにこりともせず村の外を見張る。
万事休す。木の主がパトラッシュへ哀れみの目を向けた時だった。
「この音……馬車が来た」
村の中から門へと向かってくる馬車の音が聞こえてきた。
何処に行くのかは分からない。けれど、村から安全に出るにはもうこの幌馬車しかない。馬の手綱を引き、颯爽と降りたのは1人の男だった。
「門番さん、いやあ参った参った! 魔族騒動で寝るのが遅くなって、寝過ごしたと思ったら今度は宿の主人が朝からいなくてね。チェックアウトしようにも荷物は預けているし。戻って来たかと思ったら、村長選挙の投票だと。出発が遅れてしまったよ」
「商人さんか。ああ、何もない村だからね、ジャビチュ村長の再任は決まっているが、それでも皆がウキウキしてるんだ。許しておくれ」
商人の男はつばの広い帽子を被り、整えられた顎髭を触りながら、寝過ごした自分も悪いと笑う。商人にしてはがっしりと体格が良い。他に御者がいる様子もないが、1人で行くのだろうか。
門番は記帳させるためにペンを渡し、たいして荷物の検査をする事もなく通そうとする。
「ダイナ市に向かうのかい?」
「いや、ダイナ市は何でも飛ぶように売れるが、売り物を持ち込むにも持ち出すにも税金が掛かるからな。このままいくつか村を回って仕入れをするよ」
「そうかい。エーゲ方面なら街道を北へ、ダイナはまっすぐ、他なら幾つか村が点在する南東だな」
「エーゲから来たもんでね。次は南東へ向かうよ」
「護衛はいないのかい?」
「ご心配なく。こちとら、元ソルジャーよ。精霊持ちに護衛は必要ねえさ」
男の傍にはキジトラの猫がいた。目つきは鋭く、その精霊は一言「猫じゃねえからな」とだけ呟く。
パトラッシュは会話を聞き、なんとかして馬車に乗ろうともがいていた。
だが、体は思うように動かない。おまけに車輪にしがみ付いたはいいが、馬が少し動けば車輪が回り、いつ轢かれてもおかしくない。
「しっかりおやり」
木の主がそっと手を差し伸べる。しかしその手が届く前に、精霊猫がパトラッシュを見つけた。商人は精霊に子猫の存在を教えられると、幌の中に押し込んだ。
次の村まで、馬車でどのくらいかかるのだろうか。
馬車で半日掛からないダイナ市よりどうか近くにありますように。パトラッシュはそう願いながら、馬車の揺れと蹄の音に身を任せた。
次の村に着いたら、適しているか、いないか、そんな事はもうどうでもいい。とにかく足に縋りつき、絶対に主になってもらおう。パトラッシュはそう強く決意する。
パトラッシュの旅は、間もなく終わろうとしていた。
小さな魔獣にとって、新しい主を探す旅はやや壮大過ぎた。その結末はどうなるのか。
そろそろ分かる頃だ。
「ったく、こんなになるまで無理しやがって。でもこれで借りを返せる。きっちり利子まで付けてやらあ。大丈夫、このロバート様に任せとけ」
「お前の恩返しのために馬車を調達してやったのは俺だぞ、ったくこれじゃどっちが主で使い魔なんだか」
「分かってるって。恩に着るぜ、ロビン」
【interlude】 end.
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