タリーア村の修道女-05(025)
パトラッシュは自身が使い魔であると名乗ってしまった事に気付いた。動揺を隠す為か、しきりに肉球を舐めては顔の毛の手入れをする。
その動揺の理由が分かっていたのか、男は今度こそ声に出して笑った。パトラッシュはどこか自身の事を前から知っていたような口ぶりも、聞き逃してしまったらしい。
「いいよ、気にしないで。この世界において、君も、魔族も、魔物も、人族だって動物だって、木々や魚や虫や花まで、みんな在るべきものなんだから」
「わ、わたくしが使い魔、いや、魔獣である事を何とも思わないのですか?」
「ああ。肝心なのは、その心だよ。人族の姿でも、悪に染まりきった心がある。そして君のように、心の清い、まっすぐな魔獣もいる。魔族だから悪い、そんな考えは人族による決めつけに過ぎないのさ」
男はそう言って片目だけをパチッと瞑ってみせ、そして青黒くなり始めた空を見上げる。
「人族が、神々がどうあるべきかを決めつけるように、ね。更に言うとすれば、何が正しいのか、間違っているのか、それを決めたのも人族さ。価値観に左右されるものに、正しい価値などないんだ」
男は貫頭衣の袖をまくり、パトラッシュを優しく撫でる。今度こそ、今度こそ、パトラッシュは自分にとって心地よい考えを聞くことが出来た。
「すまないね、君の眠りを邪魔してしまった。ゆっくりおやすみ」
「あの!」
パトラッシュはその場で背筋を伸ばして座り、今こそ言わなければと心に決めた。ありのままを受け入れていれる者、それはまさに目の前にいる男だと思ったからだ。
「あなたは、わたくしの……ご主人様になって下さいますか! いえ、どうかわたくしのご主人様になって下さい!」
右前足を後ろに回し、左前足は胸元に当て、深々とお辞儀をする。しかし、男の返事は少し待ってもないままだった。
顔を上げると、男は少し悲しそうな顔でパトラッシュを見つめていた。受け入れる事は出来ないという事だろう。
「もしや、猫アレルギーでしょうか」
「いやそうじゃないよ」
「もう既に精霊か、使い魔がいらっしゃるのですか」
「いや、そうじゃない」
「わたくしは、従えるには相応しくない、と」
「そうではないんだ。これはわたしの事情なんだ。君を従える事が出来る者を羨ましく思うよ」
男はまた優しい手つきでパトラッシュを撫でる。男を見上げるパトラッシュの目は、明らかに残念そうで、見捨てないで欲しいと訴えていた。
動物好きならここで攫ってでも連れて帰りたい、そう思わせるあざとい表情だ。
「わたしは、人でもなく、魔の物でもないんだ」
「ああ、なるほど。とするとアンデッドの方でしたか。とてもそうは見えません、まるで生きているかのようです」
「ふふっ、君はとても面白いね。ああ、わたしはやはり間違っていなかった。君が森で暮らしていた時も、旅をしている時の木陰でも、いつも見ていたんだ」
男はそう言って少し幹から離れ、頭上にある枝に手を伸ばした。
「わたくしを……ご存じなのですか?」
「わたしは木と共にある。話がしたい時にはこの恰好で、よく旅の者から土産話を聞いているんだ」
「木と共に……ああ、植物でいらっしゃったのですね、どうりで生きているように見える訳です」
「ははは、違うよ。わたしは自身をそう呼ばないけれど、君が持つ言葉の中で、一番わたしを表すのに適しているのは、神という言葉かな」
パトラッシュは驚いて木の洞から出て、男と木を交互に見比べる。
「あなたは神様ですか!」
「人族が決めた概念に当てはめるとすれば、そうだね」
「しかし、村では神様を見た者はいないと」
「自分で自分を神だと名乗る事はないよ。神というのは彼らの定義だ。彼らの考え方次第で、わたしはきっと違う物になる事だってある。木の精霊だとか、人に化けたのだから化け物だとか」
男はパトラッシュをゆっくりと抱え上げ、また木の洞に入らせた。
「わたしは、木以外のものを司ってはいない。だから君を従える事もできない。自分の存在意義を曲げた時、わたしは消えるのだよ」
パトラッシュは悲しそうにうずくまり、そして小さく頷いた。男は……いや、木の神様は、木以外の神様にはなれない。パトラッシュにとっての神様、つまりご主人様ではないのだ。
「そういった事情をお持ちなら、仕方がありません。あなたは木々の主なのですね」
パトラッシュがそう感想を漏らすと、男は少し考えた後、優しく笑った。
「その考え方はとても素敵だね。木々の主、か。うん、大げさで型にはまった神よりも、ずっと良い響きだ」
「木々は、あなたが主できっと幸せでしょう。羨ましい限りです」
「有難う。君は木ではないけれど、色んな木を通じて、いつも君を見守っていよう。新たなご主人が見つかるまで、きっと。旅の途中で困った事があれば、木陰で休むといい」
「ご厚意に感謝を申し上げます」
パトラッシュは1つ大きなあくびをし、洞の中で丸くなった。
「おやすみなさいませ、木々の主様」
「おやすみ、パトラッシュ」
木々の主はパトラッシュが眠った事を確認すると、そのまま朝になるまで根元に座って星を眺めていた。
翌朝、この少し変わっていて、そして予想外の言葉をくれる猫魔獣は、どんな面白おかしな発見をくれるのかと微笑みながら。
【Ⅴ】タリーア村の修道女~God Bless you~ end.
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