【Ⅵ】ムクチャカ村の村長~Courtesy costs nothing~

ムクチャカ村の村長-01(026)


【Ⅵ】ムクチャカ村の村長~Courtesy costs nothing~




 肌寒い季節の中、枯葉色の平原を進む子猫……のような魔獣がいた。


 少し進んでは休み、そしてまた立ち上がって数分もすれば、また座り込む。大きさで言えば、標準的な猫の生後半年くらいのサイズだろうか。


 その魔獣こそ、パトラッシュだった。


 比較的大型な猫の姿だったはずが、彼はとうとう旅の途中で出会ったロビンに並ぼうかというほど幼い姿になっていた。


「ベーコン、さっかな、あったかいミルク」


 魔獣とはいえ、ここまで幼くなれば威厳などない。動物たちもパトラッシュを怖がらなくなり、時には縄張りから追い出そうとされた事もある。


 枯れかけた草の中から街道へとひょっこり顔を出せば、野犬や空を飛ぶ獰猛な鳥に襲われてしまう。パトラッシュはいつしか街道を外れた場所を歩くようになっていた。


 かつてロビンがそうしていたように。


「早く着かなくっちゃです。ご主人様、早く見つけないとです」


 以前に比べ、口調も随分と幼くなった。馬車が通りかかった時だけ街道に飛び出し、荷車に飛び乗る。だが、それも体が小さくなり過ぎ、最近は上手くいかなくなってきた。


「地図もないですし、次の村はどれくらい先なのか、分からないですね。ああ、疲れた……」


 パトラッシュはトボトボと歩きながら、あまり前を見ていなかった。前の村を出てから2週間が経っていたが、もう日数など数えてもいない。そんなパトラッシュのすぐ先には、次の村の石垣が迫っていた。





 * * * * * * * * *





「やっと、やっと着いたです。不躾ですが、早速ゴミをあさるとしましょう」


 今のパトラッシュには、もう狩りをする事は難しい。したがって、旅の途中は虫などを取って食べていた。だがもうじき虫もいない季節が来る。あと1か月ほどで主を見つけなければ、消える前に飢え死にしてしまうだろう。


 そして困った事に、こんな子猫に旅をさせるようなご主人など、いるはずがない。パトラッシュは自身を誰かの精霊だと「勘違いさせる」事を手……いや、前足放さなくてはならなかった。


 よく均された土の道をしばらく歩いていると、石積みの一般的な家ではなく、煉瓦と白壁の上品な2階建ての大きな家が見えてきた。周囲の塀は人の背ほどもあって、庭も広い。この村で権力がある者の屋敷だろう。


「うう、高等な使い魔だったわたくしが、ゴミあさりとは。情けないものです」


 パトラッシュはその大きな家の庭に忍び込み、焼却炉の横におかれていたくずかごを漁る。幸いにも肉が少し残った骨や、魚の内臓などが捨ててあったため、パトラッシュは無我夢中でそれを平らげた。


 お腹がいっぱいになれば、眠くなる。パトラッシュは久しぶりに見かけた木の根元に座り、肉球を舐めてから顔を拭いた後で丸くなった。


 何かあれば木陰においでと言ってくれた、木の主の言葉を覚えていたようだ。


 そうして眠りに入ってから1時間ほど経った頃。


「ハァ、本当に明日は大丈夫だろうか」


「大丈夫ですよ、村長。今まで、この何もなかった村を繁栄させ、旅の者や商人が立ち寄るようになったじゃありませんか」


「そう言ってくれるのは嬉しいが、この程度の事は誰だって出来たはずなんだ。今までの村長がやらなかったに過ぎない」


 パトラッシュの耳には、中年の男と若い女性の声が入って来た。男は自信無さげで、女性はそれを励まそうとしている。


「だが就任以降、不幸な事件も続いて起きた。私は疫病神かもしれない。みんな優しく接してくれるが、きっと私が村長という立場だからさ」


「違いますよ。みんな村長に感謝しているんです。この村に医者が来て、診療所が建って、ダイナ市まで通う馬車だって来るようになりました。旅の食糧や消耗品を買ってくれるおかげで皆の暮らしも良くなったでしょう」


「診療所? 馬車? 他の村には既にあったものばかりさ。私の功績じゃない。そう言ってくれるのは嬉しいが、私の手柄ではないものを感謝されると、居た堪れなくなるんだ。次の任期こそ……次こそ何か、何か私が胸を張れる事をしたい」


「一緒にやりましょうよ。温泉のあるエーゲや、すぐ近いダイナ市に比べたらムクチャカ村は地味ではあります。でも移住のあっせん、宿場として発展、それの公約をみんな期待しています」


 話をしている男は村長のようだ。明日が次期村長を決める投票日であり、現村長は自分の再選に自信がない、そんなところだろう。


 パトラッシュはいつの間にか起きていて、その会話をずっと聞いていた。残念ながら今の姿で喋ることは出来ない。ただ、明日はきっと多くの者がどこか投票所に集まる。


 そこで猫と間違えて拾われ、そして飼われ、うっかり飼い主が主人になると寝言でも漏らし、名を付けてくれたなら、晴れてパトラッシュは使い魔に復帰できる。


「……ご主人さま候補を探す良い機会です。少し村の中をおさんぽしなくては」


 子猫にとって、外の世界は誘惑が多すぎる。紙袋が風で飛んで来れば、破れるまで遊び倒す。蝶が目の前を横切れば、飛び跳ねて追わなければ気が済まず、小さな穴を見つけたら入らずにはいられない。


 ご主人候補を探す間、無駄がとても多い。このせいでパトラッシュのご主人様探しはいよいよ難しくなっていた。


「村長の公約を見たか? 診療所の次は、年寄りが自力で生活できる自助園を作りたいそうだ」


「ああ、とてもいい案だ。迷惑は掛けたくない、他人の世話にはなりたくない。でも子供が町に出てしまったという老人も多いからな」


「診療所を2つに増やし、片方を自助園に建設するんだと。そうすれば日常的な訪問診療も出来る。財政も良くなっているし、医者だけでなく看護師や介護者も雇う目途が出来たと」


「安心して暮らせる環境を売りにして、移住者も増えるかもしれないわ! 私は絶対に今の村長についていく!」


「ああ、俺もだ。廃村寸前だったこの村がここまで復活したんだ、最後までやり遂げて貰おう」


 村長への信頼は厚いらしい。話題の乏しい村において、明日の選挙は一大イベント。ごく一部、今日の晩御飯の献立を話し合っていたが、道端で話し込む者達の殆どが選挙の事を話題にしている。


「村長の公約を実現させるため、何かこの村の特産品や名物を考え出さないとな。俺も妻も、畑や家畜の面倒を見ながら親父の世話をするのは不安がある」


「村の収入や税収を増やすということね。そうね……特産品と言えば葡萄があるけれど」


「葡萄酒は人気だが、わざわざ買いに来る程ではないし、温泉がある訳でもない……」


「そうだわ! 他所の市や町の人に、畑を貸し出すの! 日々の世話は私達でしてもいいわ。木1本単位でオーナーに貸し出して、好きな時に来てぶどうを摘んでもいいし、葡萄酒にしたいなら……」


「名案だ! 他所に自分の葡萄畑を所有しているなんて、ちょっとしたステータスだと思わないかい! 村の使っていない用地なら幾らでもある」


「しかも自分の畑で作った葡萄酒とくれば、振舞うにも自慢が出来る! ああ、さっそく村長に提案しに行かなくては!」


「そのための宿も、美味い食事も必要だ、観光地としての道が見えてきた!」


 村人の集まりが喜び勇んで村長の家へと駆けていく。この村では村長がよほど好かれているらしい。随分と雰囲気が良く、そして皆が温かく活気にあふれている。


 畑のひと口オーナー制度が本当に成功するかは分からない。ただ、村人は執念で軌道に乗せそうに思えた。


 けれど、どうやらその支持は一枚岩ではなかったらしい。


 パトラッシュが歩いていると、村長の家と似たような大きさの家を見つけた。そこではどうにも喜ばしくない、じめじめとした空気が漂っていた。

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