タリーア村の修道女-04(024)
パトラッシュは乏しい猫の表情の中でも、目をまんまるに見開き、鼻を膨らませ、これ以上ない程に満足していた。パトラッシュがまさにそうだったらいいと思っていた教えが、ここにあったのだ。
「わたくし、この、えっと……失礼ですがこちらは何教とおっしゃるのでしょう」
「
「サシャ様。わたくし、神教が一番気に入りました。教えに賛同いたします」
パトラッシュの言葉に対し、サシャはニッコリと微笑んだ。当然のことだと思っているものでも、肯定されると嬉しいもので、仲間意識すら生まれるものだ。
サシャはパトラッシュにもきっと加護があると伝え、案内を続ける。
「そういえば、入り口にあるのは守り神とおっしゃいましたが」
「ええ」
「神様を守る神様という事は、神様の中でもかなり強く、偉いという事でしょうか」
パトラッシュの問いに対し、サシャは少し考え込み、そうではないと否定した。そして神という存在をまだ完全には理解していないパトラッシュに対し、説明不足だと詫びた。
「神様を守る、という訳ではなくて、この神社そのものを守っているのよ」
「なるほど、番犬という事ですね」
「そんなところかな。邪気が入るのを防いで、清い聖域を保ち続けているの」
「邪気とは、悪いものという事ですね」
パトラッシュは上辺だけでも理解できたようだ。サシャは本殿の脇の大木を見上げながら、清々しい笑顔で「そうよ」と答えた。
「邪のもの、地獄から来た悪い者達、それらは決して神には勝てないわ」
「絶対に入れないのですね。地獄とは、ジャンスター教では亡くなった方のうち、悪者が落ちると伺っております。亡くなっているのに、そこからいらっしゃる方がいるのですか?」
「ええ。地獄から来た者。それは魔物、魔族、魔獣。それらは罪人のなれの果てよ。他所の地方では悪魔と呼ばれているように、この世には実際に地獄の悪い連中が大勢いるわ」
パトラッシュはサシャの言葉を聞き、酷く驚き、落胆していた。
パトラッシュは魔獣。とても素晴らしい教えだと思っていたが、サシャの説明に当てはめると、パトラッシュは悪という事になる。
そして、悪を入れさせないという守り神は、実際には何も仕事をしていない。パトラッシュの侵入を許しているし、それをサシャや他の神職の者に教えてもいない。
「魔族の中に、自然を大切にする方がいらっしゃったら、恵みを頂けるのでしょうか」
「物や自然や神を大切にしないから魔族になってしまったのよ。地獄で改心して人や動植物に生まれ変わらない限り、あり得ない事だわ」
「……そう、ですか。ところで、今日は神様はお休みのようですね」
「どうしてそう思ったのかしら」
「なんとなく、そう思ったのです」
パトラッシュはサシャにお辞儀をし、先を急ぎますのでとだけ告げて神社を後にした。
神教において、パトラッシュは悪。どんなに教えに共感しようと、実践しようと、パトラッシュが神教で神の恩恵を受ける事はない。
* * * * * * * * *
「まったくひどいものです。良くありたい、清くありたい、救われたいと願う者を、持って生まれた種族や姿で門前払いとは。神様とはずいぶん狭量なようです」
パトラッシュはプリプリと怒りながら、尻尾を立てて歩く。
「こんなわたくしやご主人様を勝手に悪者に仕立て上げる、それこそ良くない事です」
タリーア村の中心部を抜け、パトラッシュは村の南東にある出口についた。人族ではないため、村を出るには何の手続きも不要だ。
「この村にとって、わたくしは……歓迎されない存在。さっさと次の村に行くとしましょう」
神様という存在を否定する気はないが、やはり会った事もなく、救うための条件がややこしいものを肯定する気もない。パトラッシュは振り返る事もなく、小走りで街道を行く。
やがて陽が落ち始めると、パトラッシュはモグラを1匹捕まえて平らげ、近くの木陰で丸くなった。
そして数分ほどうとうとした頃だった。
「たった1匹でこんなところにいない方がいいよ」
突然澄んだ男の声がし、パトラッシュは驚いて跳び上がった。腰が抜けたのか、後ずさりしつつ後ろ足を引きずっている。
物音や気配に敏感なパトラッシュだが、直前まで全く気配を感じず、何も聞こえなかった。眠りに落ちていたのではなく目を瞑っていただけ、そんなパトラッシュに忍び寄れるとは、只者ではない。
パトラッシュは自身が魔獣である事を隠すのも忘れ、目の前の男をじっと見上げた。
男はまだ若く、耳程までの長さの黒髪をサラサラと風になびかせ、新緑に似た色の貫頭衣を着ている。大木の幹の色をした袴を穿いて、白く瑞々しい色をした下駄を履いた姿でその場に佇んでいた。
一見すると、先ほど会ったサシャの姿にも近い。
「わ、わたくしは、た、旅をしておりまして」
「危ないよ、もっと木の幹に近寄って。この木には
男は優しく微笑み、洞を指さした。パトラッシュはどうにか足腰を立たせ、ご親切にどうもと礼を言って洞に入った。
もうじき暗くなるというのに、男はこんな動きにくそうな恰好で何をしているのか。
「どなたか存じ上げませんが、夜の草原は危ないのです。魔物、魔獣、野生の獣などがお肉欲しさにうろついているのです」
「ああ、知っているよ。大丈夫、心配ない。君はゆっくりおやすみ」
男は腕っぷしに自信があるのか、全く動じない。それどころかパトラッシュを気遣い、見張りをしてくれるようだ。
「こんな所で何をなさっているのですか」
「何を? そうだね。君に少し興味があったんだ。とても不思議な気を放っているし、タリーア村で、君は神様について色々と聞きまわっていたものだから」
「わたくしを見ていたのですか! 気づきませんでした」
男はニッコリと笑い、落ちていく陽を見つめている。
「君にとって、神とはどうあるべきだと思うかい」
パトラッシュは男の問いかけに対し、答えるまで少し時間が掛かった。
「少なくとも、考え方の違いでどうにでもなる存在であるべきではないと思っております」
「ほう、興味深い答えだね。そう思った理由を聞いてもいいかい」
「わたくし、神様とはお会いした事がありません。村の方々もお会いした事がないと」
「うん、それで?」
パトラッシュは男が何者か、信用しきっていた訳ではない。けれど敵意はないと判断していた。
「けれど、皆さまは神様はどんな方なのかご存じでした」
「そうだね、彼らは神が何か、確信している」
「ですが、皆言う事が違うのです。神とは何か、救われるのは誰か、本当は何も知らないようでした」
「なるほどね。つまり、自分達の都合の良いように作られた、それが神だと」
パトラッシュは失礼な話ですがと前置きしたうえで、頷いた。それは男にとって満足のいく答えだったのかは分からない。もしかすると、この男も何か別の教えに従っているのかもしれない。
出来るだけ穏便に言葉を選んだつもりだったが、パトラッシュは再度お辞儀で謝意を表した。
「ついでに言いますと、わたくしも、わたくしのご主人様も、救いが無いような言い方をされまして」
「……安心していい、君はちゃんと守られているよ。君のご主人様も、とても優しい方だった。だから君は、仕えるようになったんだよね」
「その通りでございます。わたくしは……あの方の使い魔で本当に幸せだったのです。あの村の方々の言う神様がご主人様を救わないのなら、生まれや知識で差をつけるのなら、そのような理不尽な存在は願い下げです」
パトラッシュは、今度はハッキリと言い切った。主への忠誠の為なら、使い魔は絶対に信念を貫く。だが、そのせいでパトラッシュは少々喋り過ぎたようだ。
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