タリーア村の修道女-02(022)


「その、イェーヴェ様とは、どなたかがお話をなさったのですか?」


「言い伝えではそうね。それに全ての人々を導くための経典を記し、それは今も受け継がれているわ。実際にその教えを守った私達は、こうして救済を受けて慎ましくも幸せに暮らしている」


「守らなかったり、信じなかった方はどうなさるのでしょう」


「冥界という、罪人や悪人が改心するまで苦しむ世界に落ちるの」


 パトラッシュは成程と頷き、そしてふと考えた。


「その、イェーヴェ様は人族の方々以外は導いてくれないのでしょうか」


「えっ?」


「その、動物ですとか、精霊や魔獣、魔族の方々は如何なさるのでしょう。先程の話ですと、わたくしが信じても導いて下さらないようですが」


 イリスは何を言われたのか一瞬分からなくなった後、パトラッシュの発言を整理しても、やはり返す言葉が見つからなかった。


 今までイリスは人の為に祈ってきた。それは人々が幸せになるため、困難を乗り越えるためのものだった。自然は主がもたらしてくれた恩恵であり、毎年の豊作や家畜の出産も全て主へ感謝してきた。


 だが、目の前のパトラッシュは人ではない。イリスは今まで経典を隅から隅まで何度も読んだが、精霊を人に遣わせるとは書かれていても、精霊も人と同様に扱う……とは書かれていないのだ。


「人を慕う飼い猫などは、どうなるのでしょう」


「そ、そうね。人が大事にしてくれるのなら、それは人の一部と考えていいと思うわ」


「人が大事にしなければ、わたくし達は救っていただけないのですね……」


「大丈夫よ、あなたはちゃんとご主人様がいて、大事にしてくれるでしょう?」


「わたくしは……」


 まさかご主人様募集中だとは言えない。パトラッシュはこのポスト教において対象外なのだ。それが分かったパトラッシュは居心地の悪さを感じ、イリスに礼を述べると教会を出た。




 * * * * * * * * *





「まったく。会った事もない方ではありますが、救済の対象外だと言われると腹が立ちますね。わたくしがご主人さまを見つけた暁には、ご主人様を信じない者は冥界に落ちていただきましょう」


 パトラッシュは尻尾を立てたまま激しく揺らし、プリプリ怒りながら畑の中の畦道を進み、村の中でも人が多い集落に辿り着いていた。


 木造の平屋が数軒分ほど隔てて点在し、どこの家の畑にも根菜、葉物が分け隔てなく植えられている。だが、よく見てみると、家々には明確な違いがあった。


 家の前に小さな祠がある家と、無い家だ。


 パトラッシュは一体それが何なのか分からず、前足を掛けて立ち、祠を覗き込んだ。


 木の板で造られた屋根の下に小さな木の箱、それに扉が取り付けられ、まるで家のようだ。その前には小さな食器、それに木の葉のついた枝が立てかけられている。


 2つの食器の一方には水が注がれ、もう一方には炊いた玄米が供えられている。


「こんな小さな家に、何が住んでいるのでしょう?」


 パトラッシュは興味本位でその扉を前足で開きそうになる。


「こら! そこの家のばばあに叱られるぞ!」


 ふと背後から急に怒鳴られ、パトラッシュはその場で背丈の2倍程も跳び上がって驚いた。尻尾は3倍程にも膨れ上がり、体中の毛が逆立っている。


 そのまま逃げるでもなく振り返ると、そこには1人の老婆が立っていた。恰好はイリスと似ているが、ローブの色は白い。頭にはフードではなく草で編んだ輪っかを乗せている。


「悪い猫だね、そこの家のもんに祟られるぞ」


 パトラッシュは何故怒られたのか理解できずにいた。勝手に水を飲もうとした、もしくはご飯を盗もうとした……そう思われているのなら誤解は解かなければならない。


 パトラッシュはいつものように2本足で立ち、そして足元がしっかり見えるまで頭を下げる。まだ尻尾は膨らんだままだが、まずは礼儀正しい事をアピールするのだ。


「失礼いたしました。わたくし、ご主人様から旅をさせていただいております、パトラッシュと申します」


「……へえ、あんた喋れるのかい! 変わった猫もおるもんだ。神様の使いか、それとも化け猫か……」


 今度は老婆が驚く番だった。流石に跳び上がったりはしなかったが、目をまんまるに見開いている。


「わたくし、生まれながらにこの通りでございまして、化けてはおりませんが」


「へえ、じゃあ神の使いかい」


「わたくし、別にお使いの途中ではございません」


 妙に真面目な口調だが、受け答えは何かがズレている。老婆は何を思ったのか、しばし考え込んだ後でパトラッシュに手招きをした。


「とにかく、こっちに。そっちのばばあは偏屈でね、関わらん方がええ」


 パトラッシュは老婆に連れられ、集落の端にある大きな建物に入った。白い漆喰が塗られた壁は、先ほどの教会とあまり変わらない。しかし、中は随分と様子が違った。


 全てが左右対称に並べられた丸い柱やアーチ、そして床には大理石が敷き詰められ、幾何学模様が描かれている。飾り気は一切ないものの、規則性を持ったそれぞれの模様や配置は、厳かな場所だと判断するに十分だった。


「ここは教会でしょうか」


「教会? 違うよ、ここはジャンスター教徒の礼拝堂。お祈りをする場所さ」


「教会でもお祈りをすると伺いましたが」


「さてはあんた、まがい物のイリスの所に行ったね。最高神フューラー様を差し置いて、唯一だの何だのと」


 老婆はイリスの事をあまり良く思っていないようだ。それどころか、イェーヴェの事を信じている様子もない。


「あなた様は、こちらの修道女なのでしょうか」


「ああ、まあそんなところだね」


「失礼ですが、こちらではフューラーという神様を崇めておいでのようですが、一体どのような神様なのでしょうか」


「フューラー様も知らないでこの村を訪れるなんて、ふてえ猫だね。フューラー様は正義と法、善と悪、全てを裁く最高の神さ」


「おや? わたくし、イェーヴェという方が唯一の神と伺ったのですが」


「唯一? 奴らポスト教徒が他の神を神と認めていないだけさ。いいかい、最高神のフューラー様の下に、イェーヴェなんかもいるのさ。フューラー様を否定するあいつらは冥界行きだろうね」


「失礼ですが、ジャンスター教では動物なども加護を受ける事が出来るのでしょうか」


「ああ、そうとも。皆がフューラー様の下にいる」


 パトラッシュは老婆の話を聞き、先ほどのポスト教よりは、ジャンスター教の方が気に入っていた。自分も対象となると分かったからだ。


「わたくし、会った事もない方は信じないのですが、その……失礼、お名前をお伺いしても」


「あたしかい。あたしはアムナだ」


 パトラッシュは会釈程度に頭を下げ、そしてアムナに対して質問を投げかけた。


「その、アムナ様は、神様とお会いした事があるのでしょうか」


「フューラー様は、1000年も前に亡くなったよ。この世の全ての善良なる存在の幸せと繁栄を願い、経典を残してね。昼夜を問わず皆の幸せを願っていたそうだ」


「とても良い方だったのですね。アムナ様がお慕いになるのも分かる気がします」


 神というものをあまり理解できていないせいか、パトラッシュは亡くなった自身のご主人様のような人だと思っていた。自分にとっては最高のご主人様であり、皆に優しい人だったからだ。


「わたくしも、ご主人様が大好きなのです。わたくしのご主人様は生憎フューラー様を存じ上げておりませんでした。ですが、きっと同じように……」


「フューラー様を知らなかった?」


「ええ」


 アムナはパトラッシュを憐れむような目で見つめる。どうやらまずい事を言ったようだ。


「フューラー様は全てを裁き、全てを統べるんだ。フューラー様を崇めていないなんて、この世の善なる存在への否定と同じじゃ。冥界に落ちることになるよ」

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