【Ⅴ】タリーア村の修道女~God Bless you~
タリーア村の修道女-01(021)
【Ⅴ】タリーア村の修道女~God Bless you~
農業の村、タリーア村の長閑な農道を歩く、1匹の猫型魔獣がいた。
足取りが軽く、時折虫を追いかけてみたり、土のにおいを嗅いでみたりと何もかもが楽しいようだ。
その魔獣はパトラッシュ。
旅立ちの頃に比べるとやや体は小柄になり、1歳ほどの体躯。パトラッシュはまだ自身の主を探し出せていなかった。
「ああ、虫を追っていたらうっかり人がいない道に入り込んでしまいました……若かりし頃を思い出します。あの頃は、ご主人様に拾われて間もなく……」
パトラッシュは若返った事で、少し好奇心が旺盛になっていた。足取りは軽いが、どうしても目的の為に真っ直ぐ歩くことが出来ない。
出発から半年ほどが経ち、乗り物にも頼りながら、もう1000キロメータ程は南下しただろうか。しかしここ1か月、パトラッシュは2つしか村を訪れていない。
「おや、大きな建物が。もしかしたら裕福なご家庭かもしれませんね。ソルジャーや旅の商人と出会う前に、まずは食べ物です」
パトラッシュの首には鞄がない。あちこちと興味本位で歩き回っている間、いつの間にか失くしてしまったのだ。
亡き主からもらった大切な鞄だったが、お金はおおよそ使い切り、探すことを諦めた。自分に残された時間の少なさも分かっていたからだ。
少し前までは、魔獣である事を告げ、自分を使い魔にして貰う事も考えた。ロバートのように、藁にもすがりたいソルジャーがいないものかと探し回ったりもした。
正直に「使い魔にして下さい」と伝えた事だってあった。しかし魔獣の頼みを受け入れてくれる者はいなかった。それどころか、捕獲しようと追われた事もある。
「大きなお屋敷ですね。屋根にあるのは……矢のオブジェでしょうか」
パトラッシュはレンガ造りの大きな平屋を訪ねた。真っ白い壁には、着色されたガラスを貼り合わせたステンドグラスが窓の代わりに取り付けられている。屋根は人の3倍も高く、三角錐型の塔には鐘が吊り下げられている。
パトラッシュは両開きの重い扉を押すが、少しも動かない。爪で引っ掻く事は憚られたため、いつものように下手な猫真似で人を呼んだ。
「にやああん、にやーああん」
屋敷は大きいものの、周囲に長閑な畑が広がるだけで、人の気配がない。人が住む集落はもう少し離れた所に見えるが、パトラッシュは疲れてしまい、もう今日はこれ以上移動をしたくなかった。
「にやあんんー」
少し待って、留守だと思い、パトラッシュは仕方なく扉の横の花壇の中で丸くなった。お腹が空けば、モグラやネズミを捕まえればいい。地面さえあれば、とりあえず休むことは出来る。
そこで浅い眠りに落ちようとしていた時、中からコツコツと木の床をヒールが打つ音が聞こえてきた。留め金が外され、扉が外側に開く。
鍵が掛かっていた上に、扉は引かなければならなかったらしい。
「猫の声がしたと思ったけど……」
扉から顔を覗かせたのは、足首まで隠れる黒いローブを着た若い女性だった。茶色の髪は襟辺りで揃えられ、頭にはフードを被っている。修道女だ。
華奢な女性は大きく優しそうな目で周囲を見回し、そこにいたパトラッシュに気付いた。
「あら、猫ちゃん……あなたが鳴いたの?」
パトラッシュは耳をピクリと動かし、修道女へと顔を向ける。主にするつもりがないのなら、喋れる事を隠す必要もない。2本足で立ち上がり、そしてしっかりと足元が見えるまで頭を下げ、丁寧にお辞儀をした。
「ごきげんよう。わたくし、ご主人様より旅の許可を頂いているパトラッシュと申します」
「まあっ! 素晴らしいわ、あなたは伝説の精霊!」
「わたくし、伝説になった覚えはございません」
「ああ、えっと……どうしたのですか?」
パトラッシュは行儀よく座り直し、その場で来訪の目的を伝えた。
「旅をしてきたのですが、少し疲れたので休ませていただけないかと。立派なお屋敷が見えましたので」
「そうなの。生憎ここはお屋敷じゃなくて、教会なの。でもいらっしゃい、今晩はここに泊まってもいいし」
「協会、ですか。ソルジャーの方がよくお見えになる場所ですね」
「違うわ、神様にお祈りを捧げる方の教会よ。さあ、いらっしゃい」
修道女に手招きされ、パトラッシュは教会の中へと進んだ。
* * * * * * * * *
教会に入ると、奥の祭壇には神を模したと思しき彫刻が飾られ、フロアには背もたれのついた5人掛けの木製の長椅子が並んでいた。十数列はあっただろうか、村の規模にしては多い。
右奥の扉を開けると狭い住居スペースがあり、修道女はそこが自分の部屋だと言った。1人用のベッドと、簡素な木製の1人用のテーブルとイス、キッチンには鍋を1つかけられる窯が1つ。
トイレと風呂は部屋の外にあるというが、質素倹約を是とするにしても、ずいぶんと狭く、物が少ない。それを気にする事もなく水と鶏肉を貰い、パトラッシュはすっかり満足していた。
「あなた、名前がパトラッシュ? それともパトラッシュという種類の精霊なのかしら」
「はい、名前でパトラッシュと申します」
「私はイリスよ。宜しくね、パトラッシュ」
「わたくし、あまり教会というものに詳しくないのですが、ここに住まれているのですか」
「教会を知らないの? まあ、信じる神への祈りはどうしているのかしら」
イリスは驚いて目を丸くする。精霊は神が使わせたものと考えられているのに、当事者……当事物のパトラッシュが祈りのための教会を知らないとは、思ってもいなかったのだ。
「さあ、どうしているのでしょう。神という方にはお会いした事がないのです。会った事もない方を一方的に信じるのもおかしな話かと」
「んー。もしかしたら、精霊であるあなたにとって、主は私達が考えているものとは違うのかもしれないわね。もっと近いのかも」
「主とは、ご主人さまのことでしょうか。であれば、わたくし誰よりも厚く、強く信じておりますよ」
「そうか、あなた達精霊にとって、主といえば、つまり神と言えばご主人の事になるのね、納得。貴重な意見を聞くことが出来て嬉しいわ」
イリスはパトラッシュの言葉を早とちりし、パトラッシュもそれを否定しなかった。神という存在をよく分かっていなかったせいでもあったが、パトラッシュにとっては確かにご主人様が絶対であり、信じて当たり前の存在だ。
「イリス様にもご主人様がいらっしゃるのですか」
「私達の場合は、ご主人様と言わずに、
「どのような方なのですか? わたくしもお会いできますか」
「残念ながら、私達の前に現れる事はないかな、住む世界が違うの。唯一にして永遠なる神、生命や正しさ、優しさ、力や知恵など全てを備えているとされるわ」
「どなたかがお会いしたのでしょうね。話を聞けば信じるに足る気もしますが、わたくし、自分で確かめていない事は鵜呑みにしないのです。噛まないと味は分かりません」
魔獣が神という存在を理解するのは難しい。自分にとって絶対であるという感覚は分かるが、唯一、永遠、全てを備えるなどという概念の理解が出来ない。
ご主人様はいつか死ぬし、精霊にはそれぞれご主人様がいるため、唯一ではない。
ご主人様は魔法を使う事は出来ても、畑仕事は苦手だった。晩年は足腰も悪く、何もかもが出来なかった。全てを兼ね備えてなどいなかったし、自身もそうは言っていなかった。
けれど、パトラッシュにとって、イリスの言うところの神はご主人様だ。どこの誰なのか、何が違うのかは分からないが、パトラッシュはそれ以上の追及を諦めた。
自分に置き換えた時、神、つまりご主人様の否定となれば、それは何よりの無礼だと思ったからだ。
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