ハンターの少年‐05(020)



 カインとパトラッシュが屋根の上に出た。2階建てで連棟の住宅は、遠くまでずっと屋根が続いていて、そこから3階建ての集合住宅の屋根まで伝う事が出来る。


 軒先から2メータ先には外壁がそびえたつ。カインは小さな声でパトラッシュに話しかけた。


「昨日君に煤を撒いてもらったけど、どうだい」


「ここに手形が」


「やったね、大当たり」


「そのようですね」


 ヒトデナシはこの町の地理に詳しくない。どこに隠れられる場所があるか、どこから屋根に上がるか、殆どめぼしもつかないまま、限られた1時間の中で考え、行動しなければならない。


 ヒトデナシ刑の実態を直前まで知らなければ、どう逃げるかの方針も立てられない。短絡的な行動は当然であり、煤が付こうが足跡が残ろうが、とにかく逃げたいと思うだろう。


「人が多い中心部から、外に出られる可能性を考えて外壁側に逃げるのは容易に想像できる。この付近はね、家が増築されて屋根の形が変わったんだ」


「ずいぶんと外壁に近くなっておりますね」


「ああ。刑務所からここまで、全力で走って来ても40分。開始時刻までになんとかして登りきりたいだろう。登ってから次に取る行動は……」


「どうやって外壁を超えるか、ですね」


「その通り。同時に他の家の窓から見えない場所を探す。屋根の上の足音にも気づかれてはいけない」


「這って外壁側の傾斜に隠れて進む、という事ですね」


 1人と1匹の推理はどうやら当たっているようだ。煤の跡が帯状に屋根の上を東へと続いている。


 カインは靴を脱ぎ、滑りにくいゴム製のお手製靴下を履く。それから話をやめ、ゆっくり足音を立てずにしばらく進む。


 隣の建物の屋根に移り、3階建ての集合住宅の屋上へと辿り着いた。


 時刻はまだ8時30分。ゆっくりと顔を覗かせると、そこには先客がいた。


 腹ばいになり、屋根の外壁側で見つからないようにじっと動かない男だ。服装は上下ともに麻の灰色で薄手の長袖長ズボン、靴はごくありふれた運動靴。


 ヒトデナシだ。


「にやあーん」


「なっ……!?」


 ヒトデナシである事を確認し、まずはパトラッシュが近寄って気を逸らす。男は鳴き声に驚き、ボサボサの髪を掻き上げながら目をまんまるにする。


 猫のフリをしたパトラッシュは、まるで寝床を取られたかのようにじっとりと男を見つめ、注意を引きつける。


「猫か、ああ驚いた。シッシ、どっかに行け、見つかったら殺されちまう」


 パトラッシュは言葉の意味を理解していないかのように、ヒトデナシの頭のすぐ前に座り、暫くして更に東へと歩き出す。


「ハァ、猫が来るとは思わなかった。まだ見つかってないよな……」


 男がそう呟いた時だった。そのすぐ背後で乾いた破裂音が響く。


 青空の下、音で周囲の空気が震え、更には外壁で跳ね返った音が真下の家の窓ガラスをビリビリと鳴らす。


「はっ……痛え、いてえ!」


 男は海老反りになって手足を浮かし、痛みと驚きで静止する。男が右足のふくらはぎをそっと撫でると、その手はべったりと濃い血で染まる。


「くっ……あ、足、足が!」


 何が起こったのかを理解するため、男はおそるおそる後ろを振り返った。


 視界に入ったのは、リボルバーの銃口を向け、口元に笑みを浮かべた少年。金髪をかき上げ、深緑の瞳が優しく見つめる。


 ……いつもならそうだ。


 だが、今の少年、つまりカインの表情は違った。痛みに蹲るヒトデナシへの哀れみや同情など欠片もない。憎悪と喜びに満ちたその笑みは、睨みつけるようでもあざ笑うようでもある。


 普段のラフランドでは見かけない表情に、男の口からは空気が漏れるような悲鳴が上がった。


「やった、仕留めた! パトラッシュ、やったよ! ああ、これで父や祖父も安心だ」


「おめでとうございます、狩りのお手伝いができて、わたくしもホッとしました」


「なんだ……なんだよこの町は! 人を狩るなんて正気じゃねえよ!」


 足を撃たれ、男はほふく前進をしながらカインを非難する。けれど、カインは軽蔑のまなざしをやめるでもなく、再び「ヒトデナシ」に銃口を向けた。


「気に入らないと言って定食屋の主人に暴力を振るい、逃げる途中で通行人から金品を強奪。民家に立てこもり、お婆さんを人質に。あなたこそ正気じゃない」


「悪かったと思ってるさ! だからおとなしく捕まった、罪も償う! 謝罪でも賠償でも何でも許してもらえるまでやる! こんな……殺されるような悪い事はしてない!」


「悪い事かどうかを決めるのは、当人のあなたじゃないよ。罪の重さは比べるものでもない」


 カインはそう言うと、念の為と言ってヒトデナシの太ももにも1発の銃弾を放った。ヒトデナシは悶絶し、叫びにもならない声を上げて呻く。


「人を……人をそんな、簡単に……撃てるなんて、お前の方がよほど悪人だ……くっ、痛え」


 カインはいつものような笑顔に戻ってふきだす。そして胸元から発煙筒を取り出し、火をつけた。ピンクの煙が立ち上り、町内には放送が鳴り響く。


『1体確保されました。残りは6体となります』


 その放送を確認し、カインは銃をベルトに差した。男はパトラッシュが猫型精霊だと気付き悔しがるが、もう遅い。


「あなたは人としてやってはいけないことをした。ヒトデナシだ。僕が撃ったのは人じゃない」


「詭弁ばかり……クッソ! こんな町だと知っていたら……俺は」


「知っていたら罪は犯さなかった? それこそ詭弁だよ。咎められなければ何をやってもいいって訳じゃない」


「ニコニコして近づいて、裏でこんな事をやって……人を陥れて、人を狩って、それが目的なんだろう! お前らこそ人でなしだ!」


 カインは「ヒトデナシ」が振り絞って紡ぐ言葉に対し、あまり反応をみせなかった。それどころか、新たな銃弾を補充してパトラッシュに次の目的地の説明を始める。


「次はどうなさるのでしょう」


「もっと先まで行った奴がいるはずだ。このヒトデナシは、向こうの外壁をしきりに気にしているからね」


「このヒトデナシはどうなさるのですか?」


「もうじき迎えが来るよ」


「その後はどうなるのでしょう」


「さあね。被害に遭った人達で殺すかもしれないし、人体実験に使うかもしれない。使えそうな臓器を待っている人もいる。報酬は明日の午後貰えるよ。君にも少し分けなくちゃね」


 平然と話すカインの言葉に、ヒトデナシは恐ろしさからガタガタと震え始める。


「た、助けてくれ……逃がしてくれたら金なら幾らでも、故郷に帰れば金は……」


「お金が全てじゃない。あなたに復讐したい被害者や、臓器を欲しがっている哀れな病人、人の為になる事をするべきだ。それに……」


 ふと外壁側が騒がしくなり、屋根の軒先に梯子が立てかけられた。


「優しくしなくてもいい相手を、僕達は待っていたんだ」


 カインの言葉に、「ヒトデナシ」はもう希望を持っていなかった。梯子を登って来る音がし、しばらくして刑務官が顔を覗かせる。


「おめでとう」


「ありがとうございます。ヴィーゼ家のカインです」


 カインは確認書にサインをすると、パトラッシュを呼び寄せて刑務官に後を任せた。ヒトデナシはもう顔を上げることなくうつぶせになっている。


 ヒトデナシ刑の刑期は残り20時間ほど。その間にこのヒトデナシはきっとカインが言ったような目に遭うのだろう。





 * * * * * * * * *





「君が僕の精霊じゃなくて本当に残念だよ」


「わたくしも、とても残念に思います」


 翌日の午後、パトラッシュは鞄に入るだけのお金をもらい、食べ物も沢山食べさせて貰ってからカインの家を出た。


 本音を言えば、このままカインに仕えたかった。けれど、パトラッシュは悪を許さないカインの前で、精霊ではないと告げて嘘つき扱いされるのは嫌だった。


「いつかまたおいでよ」


「はい。カイン様もお元気で」


「悪者に気を付けておくれ。町の外は無法地帯だからね」


 カインが優しくパトラッシュを撫で、もう紙袋に頭を突っ込んではいけないよと言って笑う。


「人には優しく。きっとその行いは君の未来を豊かにしてくれるよ」


「この町の皆様だからこそ言える、素敵な助言ですね。有難うございます」


 1人と1匹の会話の最中も、通りには商人やソルジャーの往来が戻っている。


「あれ見ろよ、死刑制度廃止99年だってさ」


「この町出身のソルジャーから聞いたんだが、刑期も短いらしいぜ、今までの最高は3年くらいだと。平和で人に優しい町だからってさ。悪人共が喜びそうな町だな」


「はっは、あのいつも笑顔の変なお人好しか。そんな町だからって悪さすんなよ?」


「へへっ、分かってるって」


 パトラッシュの背後では、ガラの悪いソルジャーが役所の横断幕を見ながら会話している。


 きっと来年もまた、カインはハンターになるのだろう。




【Ⅳ】ハンターの少年~Smile on the Outside~ end.

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