ハンターの少年-02(017)
パトラッシュは自分が何という森に住んでいたのか、近くの村が何という名だったのかを知らない。詳細を明かさないパトラッシュに対し、少年は訳アリなんだねとだけ呟いた。
「さて、僕はそろそろ家に戻らなくちゃ。特訓中なんだ」
「お忙しい中、わたくしを救って下さったのですね。何か恩返しが出来ればいいのですが、わたくしがお役に立てそうな事は何かありますか?」
パトラッシュは義理堅い。助けて貰ったなら、自分が力にならなければ気が済まない。少年は青空を見上げ、少し考えてからパトラッシュに1つ提案を投げかけた。
「それじゃあ、丁度いい頃だし、僕の手伝いをしてくれるかな。標的のものを捕まえるんだ」
「捕まえるとなればわたくしが十分お役に立てます。詳しくお聞かせ願えますか」
「ありがとう。生憎、新米の僕には助手が必要でね。じゃあ、説明するから僕の家に来てくれるかい。辺り近所に同業者がいるかもしれないからね、出来れば漏らしたくないんだ」
少年はパトラッシュに、自分の後についてくるように告げた。
「お家まで我慢なさるのですか」
「まあ、ここで言う必要もないからね」
「そうですか、あまり我慢なさってお腹が痛くならなければいいのですが」
「……何の話だい?」
少年は郊外から商店や3階、4階建ての集合住宅が立ち並ぶ中心部へと向かう。華やかな装い、色とりどりの花、この町は雰囲気も良く皆が笑顔だ。パトラッシュはこんなにも住みやすい町なら、定住しても良いとさえ思ってしまう。
「それにしても、笑顔の方が多いですね」
「そうだね。笑顔で、人や動物に優しい。ラフランド町の住民は、それでこそ人だと幼い頃からみんな教えられているんだ」
そう言う少年もまた笑顔で、見ず知らずの猫に対しても優しい。パトラッシュはこの町の秩序と慈悲を心地よく思い始めていた。
歩き続けるうち、馬車が行き交い、人もひと際多い区画に出る。少年はパトラッシュに、右手に見える石造りの神殿のような大きな建物を指さし、これが町の役所だよと教えた。
灰色の壁に、大きな窓が幾つも並び、3階には大きなテラスが見える。そのテラスの下には、1つの横断幕が掲げられていた。
「死刑制度廃止99周年……」
「ん? ああ、そうだよ。このラフランドは死刑制度を廃止したんだ。それで凶悪犯罪も減った。明日は記念祭だよ」
「死刑にならないのに犯罪が減るのですか。とすれば、死んだ方がマシだと思えるような、よほど恐ろしい拷問を受けるのでしょうね」
パトラッシュはもっともな考えを述べる。しかし、少年は歩きながら笑みを浮かべ、それを否定した。
「拷問なんて、そんな非人道的な事はしないよ。刑罰が無いとは言わないけれど、人権の尊重は当然の事さ。悪人だからって痛めつけていい訳じゃない」
「そうですか、わたくし早とちりをしてしまいました。みなさまお優しいのですね」
心優しい者が多いせいで、犯罪そのものが少なく、凶悪犯罪など起こらないのかもしれない。
ただ、ソルジャーや商人など、この町の外から来る者もいる。その者達はこの心優しい町民と同じではない。
何をしても許してくれそうな町民に対し、横柄であったり、無理難題を突き付けたり、暴行を加える事だって考えられる。
パトラッシュが考えながら歩いていると、少年は役所の前を通り過ぎ、2区画ほど先にある大きな屋敷の前でパトラッシュを手招きした。
「ここだよ」
「なんと……とても立派なお屋敷です。今までみたお屋敷の中で、一番立派に見えます」
「そうかい? 有難う」
大通りに面した屋敷は、玄関前に申し訳程度の庭があるだけだ。もっとも、他の家のように裏には立派な庭がありそうだ。背丈の倍ほどもある両開きの黒い扉を押し開け、少年はまたパトラッシュに手招きをした。
1階部分の外壁には白い漆喰が塗られ、2階より上は茶色いレンガが剥き出しとなっている。黒く塗装された木製のテラスや窓枠がとてもお洒落で、周囲の家よりひときわ映える。
「あら、カインぼっちゃま! お外にいらしたのですか」
「ああ。ちょっと明日の為に色々と各地点を確認して来たんだ」
少年はカインという名前らしい。パーマの掛かった黒髪に白いカチューシャを付けた召使いの女は、カインが外に出ていた事を知らなかったようだ。
「カイン様とおっしゃるのですね」
「ああ、宜しく」
「さあ、我慢なさっていたのですから、わたくしに構わずどうぞ」
「……何の話だい?」
「おや? 漏らしてはいけないと仰っていたので、てっきりトイレに行かれるものだと」
* * * * * * * * *
カインから紹介を受け、パトラッシュは使用人達にも丁寧に挨拶をした。カインの手伝いとは何か、話を聞くために自室へと通された後、パトラッシュは美味しいご馳走をもらい、すっかり平らげた。
焼きサバのほぐし身を見た瞬間のパトラッシュの目の見開き方は、思わずカインも噴き出したほどだ。
カインの部屋の窓には黒い塗料が薄く塗られ、外から覗き見る事が出来ないように加工されている。白い壁には町内の地図が大きく貼られ、最新の情報に更新するための書き込みが幾つもあった。
机の上には法律や心理学の本が積まれ、勉強熱心であることが窺える。
パトラッシュが満足し、外でトイレも済ませたのを見計らって、カインは木製のシングルサイズのベッドに腰掛け、ようやく本題に入った。
「さて、僕からのお願いなんだけど、明日の記念祭で行われる狩りを手伝って欲しいんだ」
「何かを捕獲なさるというお話でしたね。ええ、喜んで前足をお貸しします」
パトラッシュは詳しく内容も聞かないまま、前足を貸すと告げる。
「有難う。うちは祖父の頃からずっと記念祭で成績を残していてね。本業は町内の物流会社なんだけど、今では記念祭での活躍の方が有名なんだ」
「誉れ高いご家庭なのですね。素晴らしい事です。ところで、わたくしは何を捕らえるのでしょう」
パトラッシュは前足を上げ、爪を出して見せる。若返った今では小鳥やネズミ程度なら、1度のひっかきで仕留める自信があった。そもそも魔獣なのだから、睨みを聞かせたなら動物は竦んでしまう。
ハンティングに関して言えば、魔獣を味方につけた時点で勝利が確定したも同然だ。カインはパトラッシュの正体を知らないせいか、地図を広げながら自作の行動分析表、自作の無線器まで取り出して説明を始める。
「ああ、よかった。君は知らないんだね。町の外では口外しないで欲しいんだけど、記念祭でヒトデナシを捕まえるんだ。生死は問われないから安心していいよ」
「ヒトデナシ? わたくしも人ではないので……まさかわたくしも狩られてしまうのですか!?」
「いやいや、ヒトデナシや魔族以外の生き物に危害を加えるなんて、人としてあり得ない行為だよ。家畜や釣った魚だって定期的な供養祭が必要だ。そうか、その説明からしてあげなくちゃいけないんだね」
カインは優しく微笑みながら、パトラッシュへと1枚の紙を見せる。役所から配られているという案内には、記念祭の事が書かれていた。
「記念祭は、来る時にも話したけど死刑制度廃止を祝うお祭りなんだ。人々の権利を守り、明るい町にするための素晴らしい決断だからね」
「ええ、わたくしもそのように思います」
パトラッシュは尻尾を振って同意する。
「みんな心に余裕をもって、微笑んでいられるなら、譲り合うことも出来るし、他人にも優しくできる。だから僕たちは笑顔を欠かさないんだ」
「素晴らしい心がけです。わたくしは笑顔という表情に乏しいので、羨ましい限りです」
代わりに尻尾を振って見せ、パトラッシュは笑顔のつもりである事を示す。
「けれどね。だからこそ、人の優しさに付け込んだり、傷つけたりする奴の恰好の餌食になってしまうんだ」
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