大草原の小さな猫-03(014)
怪我をし、姿もボロボロ。疲れ果ててそれでもパトラッシュを撫でるその手は優しい。剣を扱うためか手の平は固く、お世辞にも撫で心地が良いとは言えない。それでもパトラッシュは男に好きなだけ撫でさせていた。
「この町はどうだい。君達にとって、生きていきやすい町かい」
首から小さな鞄を下げているため、おそらくは飼い猫と思われているだろう。パトラッシュは顔を上げ、その手をペロッと舐めてやった。
男は食事を摂っていないのか、腹が鳴っている。そのまま横に腰を下ろし、男は夜空を見上げた。
「明日からの事が、何も分からなくなる気持ち、分かるかい」
猫に話しかけたところで答えは帰ってこない。けれど男は寂しかったのだろう。パトラッシュを撫でながら、喋る事を止めない。
「ソルジャー(武器を扱う国家資格をもった旅人や傭兵の事)になれば、全て良い方向に向かうと……思ってたんだ、俺は」
ソルジャー試験は誰でも受かるようなものではない。けれど、魔族とのいざこざも少なくなり、魔物退治や護衛くらいしか仕事がなくなった彼らは、もう何十年も前から威厳を失っていた。
ゴロツキや野盗に成り下がった者も多く、そのような者達を捕らえるために、ソルジャーが派遣されることもあるくらいだ。残念ながら、大抵のソルジャーは、日雇い労働者よりも少しマシな生活をするだけで精いっぱいというのが現状である。
この男も日々の暮らしに苦労しているのだろう。だが、パトラッシュにとって、ソルジャーは天敵。魔物や魔獣は、ソルジャーにとって退治対象なのだ。パトラッシュは警戒も解いていなかった。
「1人じゃ厳しいと思って、仲間を募ったんだけどな。結果はこの通りだ。魔物が住む洞窟で置き去りにされ、命からがら戻ったら荷物は仲間に持ち去られていた。金も、思い出のものも、着るものも。典型的な盗賊だったのさ」
男がボロボロなのは、魔物との戦いの最中に仲間に裏切られ、財産を奪われたせいだった。この状態から新しく仕事を請け負うには厳しいだろう。それどころか、食べるものも、寝泊まりする場所さえない。
パトラッシュは仕方ないと思い、チキンの入った紙袋を男の前に差し出した。
「……くれるのか」
パトラッシュはちょこんと座り、ゆっくり目を閉じて見せた。
「有難う。情けない話だが、もう4日も水だけで過ごしているんだ」
男はパトラッシュに礼を言うと、骨が付いた大きな肉にかぶりつく。美味しさからか、それとも猫に食べ物を分けてもらうという情けなさからか、男の目からは涙が流れる。
「優しさって、沁みるよな」
男はそうボソリと呟き、また空を眺める。その時、男はふと足を投げ出すように座っている自身の腹の上に目線を移した。いつの間にか子猫が起き上がり、腹の上に乗っていたのだ。
「人に慣れているんだな。お前も寂しいのかい。親ならそこにいるだろう、俺はお前に何もしてやれないよ」
子猫はぐるぐると喉を鳴らし、男から離れようとしない。人に飼われていたのか、パトラッシュがそう思っていた時だった。
「泣くな、なんとかなる」
「……えっ」
幼い男の子の声が何処からか聞こえた。男もパトラッシュも、周囲を見渡す。
「俺だよ、あんた、仲間を見返したいんだろ」
「……子猫、お前なのか?」
子猫は男をじっと見つめ、そして頷いた。そして今度はパトラッシュへと顔を向けた。
「有難うな、ここまで連れて来てくれて。俺、本当はな、使い魔だったんだ。主人が野党に殺されて、もう1年近く彷徨ってたのさ。ああソルジャーさん、だからって俺を殺さないでくれよ」
まさか子猫が魔獣だったとは知らず、パトラッシュは内心やられた……と思っていた。いうなれば、ライバルのために今まで甲斐甲斐しく世話をしてやっていた事になる。
「魔獣……人の言葉を喋ると聞いた事はあるが」
「俺の事を精霊と間違えて従えていた男がいてね、40年くらい一緒に過ごしていたんだ」
「40年? ずっと子猫のままなのか」
「いや、主人が死んだ時は老猫だった。それが1年でこのザマだ。あと数か月もすれば赤子になってそのまま死んでた。有難うな、パトラッシュさん」
子猫……いや、魔獣の子は衝撃的な発言を交えながら、パトラッシュに礼を言う。パトラッシュはその内容で自身の事を初めて把握した。この所体が軽いのは、若返っているからなのだ。
そして、このままご主人様が見つからなければ、やがて赤ん坊すら通り過ぎて消える。使い魔は主が死ぬと消える……その言葉の意味を、ようやく理解した事になる。
パトラッシュと言われ、男もパトラッシュへと振り向く。パトラッシュは男に害意がないと判断し、2本足で立ち上がるとお辞儀をした。
猫のフリをやめる事にしたのだ。
「挨拶が遅れ、申し訳ございません。わたくし新しいご主人様を探しております、元使い魔のパトラッシュと申します」
「驚いた……お前も魔獣だったのか。魔獣は人を襲うのでは」
「使い魔になった魔獣は人を襲いません。わたくしかご主人様に危害を加えられなければ、ですが」
男は身構えたものの、パトラッシュと子魔獣の事を信じ、討伐しようなどとは考えていなかった。何を信じていいのか分からない状況だったが、男にはもう何1つ残っていない。守るものが何もない。
だから最後にもう1度だけ信じてみようと思ったのだ。
「元使い魔、か。という事は、ご主人様は魔族だったって事か」
「いや、人族だったぜ。どうだ、俺を使い魔にしてみねえか? パトラッシュさんよ、悪いが俺には後がねえ。譲ってくれ」
「かしこまりました。当初からあなたの飼い主を探すとお約束しておりましたから。それに、あなたのお陰でわたくしも自身の事を知ることが出来ました」
子魔獣は男をじっと見つめている。だが生憎男に猫1匹を養う余裕はない。
「もっといい主が見つかるんじゃないのかい」
「あんたがそうなるんだよ。あんたがもっといいソルジャーになれ。手伝ってやる」
子魔獣は男に擦り寄り、粗暴な言葉遣いとは裏腹に、肩へと擦り寄って媚びを売る。男は少し考えた後、子魔獣に頷いた。
「そうだな、どうせ後がない俺だ、やってみるしかないよな。パトラッシュさん、あんたもどうかな」
「使い魔というのは1人に1体なのです。2体同時に従える事は出来ないと聞いております」
「そうか……」
パトラッシュは少し残念にも思っていた。しかしこればかりはどうしようもない。
「おいあんた、俺に名前を付けてくれ。使い魔を従えるには名前を付け、俺が受け入れなきゃならねえ」
「名前……か。そうだな……ロバート、どうだい」
「悪くねえ。意味は?」
「俺の名前がロビンなんだ。ロバートって名前の愛称の1つに「ロビン」がある。一蓮托生だと思ってね」
「ふん、悪くねえ。今日から俺はロビンの使い魔だ。まあ俺に任せておけよ」
子魔獣改め、使い魔のロバートは体一つ以外なにもないロビンに対し、何か秘策があるのだろうか。
「俺は育つけど、ロビンはもう大人だ。だから然程影響は無いと思うが……試しに剣でその木を斬ってみろ」
「えっ」
「いいから」
ロビンは寄りかかっていた木を見上げ、そして先の欠けた剣を構える。剣筋はいいようで、水平に振った剣は少しのブレもなく幹に当たる。
……そして大きな衝突音を響かせ、大木をなぎ倒してしまった。
「はっ……ははは、何だ、何が起こった」
ロビンは倒れた木を見つめ、自分の手の平を確認する。今までこのような力を発揮できたことはなかったからだ。
「使い魔を従えたらこんなもんさ。ほら、音で住民が起きてきた、逃げるぞ」
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