【III】大草原の小さな猫~Take me home~
大草原の小さな猫-01(012)
【Ⅲ】大草原の小さな猫~Take me home~
昼間というのに暗く、空は厚く黒い雲に覆われていた。大雨、雷、暴風によって街道も周囲の草原も水浸しだ。
晴れていれば周囲360度、見渡す限り青々とした背丈の低い草原が広がり、馬車旅などすれば心地よいひとときを過ごすことが出来るが……こればかりはどうしようもない。
遮るものは何もないと思われたが、良く見れば街道の脇に車輪が外れた荷車が放置されている。その下には濡れネズミ……ならぬ、濡れ魔獣が1匹隠れ、嵐が過ぎるのを待っていた。
パトラッシュだ。
「汚れたままの方が、可哀想だと思って面倒を見ていただけるでしょうか。それとも、綺麗に手入れをしてからすり寄った方が好印象でしょうか……悩みますね」
雨は凌げても、地面は濡れている。村に寄る度に撫でられ、美味しい食べ物をもらい、パトラッシュはすっかり元気になっていた。
まあ、そんな自慢の足取りも毛並みも、濡れ魔獣となれば関係ないのだが。
暴風の中、時折旅の者が肩をすぼめ、襟を立てながら剣や銃を携えて歩いていく。荷車の下にいるパトラッシュに気付く者もいるが、皆立ち止まる事はない。旅に「猫」を連れていく余裕はないのだろう。
パトラッシュもそこで拾ってもらおうとは思っていない。しばらくじっと嵐が過ぎるのを待っていると、風に乗ってどこからかか細い声が届いた。
「……声?」
雨音に掻き消されながらも、それは必死に何かを訴えようとしている。
パトラッシュが耳をピクリと動かす度に雨水が滴る。声の主はすぐ近くの草むらにいるらしい。パトラッシュは荷車の下から這い出て、声がする方へと歩いていく。
「猫でしょうか、困りましたね。わたくし猫語はさっぱりなのですが」
水が苦手という訳ではないのだが、風雨にさらされて喜ぶ性分ではない。時折体を震わせて雨を払いのけつつ、パトラッシュは重たい草を掻き分けて声の主の許にたどり着いた。
「にゃー、にゃー」
「猫でしたか。しかし、鳴いて誰かに来させるとはずいぶんと横柄ですね……成長したら地域のボスになれますよ」
目の前にいたのはキジトラの子猫だった。生後数か月ほどとみられる。
残念ながらパトラッシュには子育ての経験がない。更によく分かってもいない。子猫なのだから助けを求めて鳴き、成猫に頼るのは当たり前なのだが、パトラッシュはその鳴き声の意味を理解していない。
ずぶ濡れでほっそりしているが、鳴き声は元気だ。通常、動物は魔獣が近づけば警戒し、逃げる。子猫はまだ魔獣の存在を知らず、パトラッシュを警戒すべき相手だと認識していなかった。
「親猫とはぐれたのですか?」
「にゃー、にゃー、ニャーーア」
「ウェパペニャラ?」
「にゃー、にゃー」
「古代魔族語も無理なようですね。一緒に探し……」
「にゃー、にゃー」
子猫は何かを伝えようとしているだけで、パトラッシュの言葉に返事しているわけではないようだ。一生懸命に口を大きくあけ、必死そうではあるものの、パトラッシュは猫語を理解していない。
「わたくしが話しているというのに、猫って動物は……まったく」
猫が猫に対し一体何を言っているのか……とにかくこれでは埒が明かない。パトラッシュは首から下げている鞄から、器用に1枚のベーコンの欠片を取り出した。
「食べ物をあげますから、少し落ち着いて下さい。湿気ておりますし消費期限は保証いたしませんが、鼠の死肉をあさるよりは宜しいかと」
「にゃー! にゃー!」
「静かにするまで差し上げることは出来ません。いいですか」
「……にゃんー」
真剣なパトラッシュの表情で察したのか、子猫は口を閉じてパトラッシュがくわえたベーコンを置いてくれるのを待つ。
パトラッシュが倒れた草の上に置いてやると、子猫は一度匂いを嗅ぎ、すぐにかぶりつく。おなかが空いていたのだ。
「おなかが空いては冷静な話し合いが出来ないと、ご主人様が常々仰っておりました。如何ですか?」
子猫は餌を与えられたことでパトラッシュに気を許したようだ。食べ終わってからは一本調子に鳴くのをやめ、パトラッシュの挙動を見守っている。
「きゅーん……」
「何かお困りのような声ですが、何を言っておられるのか分かりかねますので、わたくしも困っております」
猫同士は会話をしなくても分かり合っているように思うが、パトラッシュはそうではないらしい。見た目でその人……もとい、物の中身を判断出来ないケースの良い例だ。
「親御さんはどちらに?」
「きゅーん……っくし!」
「この場を動いてどこかに連れて行き、猫界隈から誘拐だと騒がれたくはないのですが……くしゃみなさるようなら、ここでお待ちになる訳にもいきませんよね」
パトラッシュは大雨の中、子猫の近くに他の猫がいないかを探し回った。元気とはいえ痩せており、もしかすると親とはぐれたのは昨日今日の話ではないのかもしれない。
「あちらの荷車の下で雨を凌ぎましょう、如何でしょうか、無理にとは」
パトラッシュが声を掛ける。通じているかは分からないが、子猫はパトラッシュの後を追ってついてくる。
「もしも親猫に遭遇した時は、あなたからちゃんと誘拐ではない旨をお伝え下さい。近頃は親切に接するのにも勇気がいるのです。お分かりですか?」
「……」
「沈黙は肯定とみなすそうですから、お分かりいただけたという事で」
小さな体で雨に打たれ続け、子猫は心細く、そして具合も悪かったのだろう。水に浸らない場所を見つけて蹲り、小さく震えながらじっとしている。
パトラッシュは猫好きでもなければご主人様以外への興味関心も薄い。しかしここで子猫を見捨てたなら流石に「使い魔でなし」呼ばわりは避けられない。
そっと近寄って子猫の体を舌で綺麗に舐めてやり、少しでも乾きが早いように整えてやると、自身のお腹の下に入れてやった。
「あまりこういう時は動いてはいけません。うっかり風邪をひいてしまうと大変です」
「にゃんー」
「運良く押しているとは限りませんからね」
「にゃんー」
パトラッシュが人族の言葉を理解しているといっても、正確ではない。
引く、押す、という意味での風邪を引くではないのに、その間違いを指摘できる者がいない。子猫に人族の言葉が通じなくて良かったと言うべきか。
* * * * * * * * *
パトラッシュは雨が止むまでずっと子猫の傍にいてやった。夕方前から、結局朝日が昇るまで、半日以上一緒にいたことになる。
湿気たベーコンも仲良く2匹で分け、パトラッシュは凍える子猫を寒さと外敵から守り続けた。
子猫への愛情とか、育って大きくなったら食べようという訳ではない。なんとなく、自分が使い魔であった時を思い出したからだ。
無条件に信頼できる相手、守ってやらなければいけない相手は久しぶりだった。パトラッシュは少しだけ、自分の存在意義を肯定してくれる子猫に縋りたかったのだ。
ご主人を亡くしてから1か月以上が経つ。役に立つ自分でありたいという心を、子猫は満足させてくれた。
「子猫、お空が晴れてきましたよ。気分は如何ですか」
「にゃんー」
「よろしい、という事ですね。なんとなく、お顔がそのように見えます」
パトラッシュは荷車の下から這い出て、まだぬかるんでいる地面の上を歩く。今度は子猫の親兄弟を見つけてやらなければならない。
だが、パトラッシュはそこで考えた。
パトラッシュは魔獣だ。並みの動物であればパトラッシュを警戒し、姿を現すようなことはしない。つまり、親猫の捜索をパトラッシュが手伝う事は出来ないのだ。
「子猫、あなたは親兄弟のところに帰れますか? いつもどこにいらっしゃったのです?」
子猫はすっかりパトラッシュに懐いたようで、ゴロゴロと喉を鳴らしながらついてくる。付近を歩かせるも、親の許に帰ろうとする素振りはない。
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