インフェルト村の少女‐05(011)



 メイジはそれらしいことを言うため、なかなか説得が難しい。この程度で納得してくれるのなら、マイヤー達が悩む事も無かっただろう。


「どうして帰りたいと仰るのですか? お山よりも村の方が色々と便利に思いますが」


「便利と言えばそうね。でもあたしは山が好き。好きな時間に好きなだけ草原を駆けまわって、自然の絵を描いたり、羊の世話をしたり。素敵な場所がいっぱいあるのよ」


 パトラッシュはメイジの話を聞き、ふと思い当たるものがあった。


 メイジは具体的に何に固執しているという訳でもなければ、お婆さんの事を心配だと口にする訳でもない。


 おそらく物心ついた時から自由奔放に生きてきたのだろう。無理矢理連れて来られ、縛られた生活を送っているという感覚から逃れたいだけなのだ。


「自然の中に身を置くのは気持ちが良く、開放的になる事が出来ますね。このお屋敷の中ではそうはいきませんが」


「村は確かに何でも揃うけど、したい事もないし、したい事をさせてくれる訳でもないし。あたしを放り出すと悪く言われるから連れてきたのよ」


 メイジは疎まれていると思い込んでいる。どれだけ自分に対し、屋敷の者達が至れり尽くせりなのかを理解していない。


 パトラッシュは丁寧にメイジの置かれた状況を説明し始めた。


「仕方なくであれば、早く山にお帰りいただくためにも、毒草など食べさせないと思いますが」


「体が弱くなったり、育ちが悪かったり、長く面倒を見ていた方が印象が良いもの。いっそあたしを毒で殺してしまうつもりなのかも」


「殺す相手に対し、お小遣いをあげるでしょうか。わざわざお屋敷にお招きするでしょうか。山にいればメイジ様は遅かれ早かれ生きられず死んでしまうのですから」


「どうして? お婆さんも集落の人たちも、あたしを殺したりはしないわ」


 メイジは山での暮らしの楽しい部分しか見ていない。過酷な実態から目を背けているのではなく、気付いていないのだ。


「お婆様はお体が悪いのですから、水汲み、家畜の世話、畑の世話、お食事の準備、お買い物までメイジ様が全てこなすのですよね」


「え?」


 メイジはパトラッシュの言葉を思わず聞き返す。幼いメイジは、やはり現実というものをまだ理解していなかった。


「お山で過ごすにもお金が必要です。食べ物を手に入れる為、働かなくてはなりません。メイジ様のお父様とお母様がお金を送って下さらなければ、誰が稼ぐのでしょう」


「あたしはまだ子供だし。お、お手伝いなら結構出来るのよ。水汲みだって、羊の番だって出来るわ」


「どなたのお手伝いでしょうか。自由に遊ぶ時間があるのは、仕事を代わりにして下さる方がいるからです。メイジ様がお山に戻った時、どなたが代わりにお仕事をなさるのでしょう」


「それは……」


 メイジはパトラッシュの問いかけに答える事が出来なかった。体の悪い祖母は、山の上の集落で他人の世話になっている。メイジが帰ればメイジが世話をする事になるだろう。


 食事、家畜の世話、畑の世話、それに掃除洗濯、麓まで羊毛を売りに行き、重たい生活用品を山まで持ち帰り、祖母の看病をする生活が待っている。


「……あたし、大きくなりたくない」


 メイジはようやく自分が子供として置かれている状況を理解した。マイヤー達は、そうならないようにとメイジを過酷な生活から救い出してくれたのだ。


「子供はいずれ大きくなるものです。少なくとも……8歳の時よりは」


「でも、できるだけ大人になりたくないわ! 大きくなりたくない」


 大人は働くものだ。メイジが知る大人は、老人になるまで毎日働いている。


 優雅な暮らしをする為には、この家の奥様のように、良家に生まれ、家同士の決め事でお金持ちと結婚するという手もある。だが大抵の場合、平凡な家庭に生まれたなら、うんと稼いでお金を貯めるしかない。


 メイジは貧しい暮らしをしていたにも関わらず、金持ちの暮らしを手に入れた。大きくなれば山に帰る事になっているのだから、この生活には当然終わりがある。


「まずいわ、明日から牛乳を買うのはやめなくちゃ」


「それが宜しいでしょうね」


「その分貯めて、山に帰ってからのお金にするの」


「堅実で、良いと思いますよ」


 メイジはなかなか賢い子だ。そして意志が固い。貯金をすると決めたなら、誘惑に負けることなく小遣いを貯めていくだろう。1日50ゴールドではたかが知れているが、山の上の生活を考えたなら数年後はかなりの余裕が生まれる。


 メイジは計画的に村での滞在期間を延ばす為の手段を講じるはずだ。


 しかし、唯一それを阻害するものがある。


 成長に関して、メイジは最後まで誤解したまままだったからだ。


「よし、あたし今日からちゃんとご飯を食べる事にするわ」


「……はい?」


「毒草が入った食事ならあたしは大きくならない。たくさん食べて、大きくならないようにしなくちゃ」


 そう言うと、メイジは水筒のキャップを外し、そこにまだ残っていた牛乳を注ぐ。


「あたしは大きくならないから、牛乳はあなたが飲んでいいわ」


「はあ……有難うございます」


 この事をマイヤーに報告したなら、マイヤーは喜ぶのだろうか、それとも悲しむのだろうか。もしかしたら賢くとも視野が狭いメイジのため、家庭教師をつけてしまうかもしれない。


 物事は上手くいかない。パトラッシュは牛乳のお礼を述べると、旅に戻ると言ってメイジの部屋を出ていく。


 そして階段をゆっくり降り、大きめに猫の声真似をした。するとすぐに厨房に通じる扉が開き、マイヤーが出てくる。


「んまあ、猫と言われたら信じてしまいそうですわね。メイジとはお話して下さったのですか?」


「はい、どこまで分かって頂けたかは分かりませんが、今日からお食事を摂るそうです」


「んまあ! んまあ~パトラッシュさん有難うございます! いったいどんな説得をなさったのかしら」


「成長の大切さを少々」


 マイヤーの嬉しそうな顔は偽物ではない。きっと今日からはより豪勢な食事が出て、メイジはすくすくと育ってしまう事だろう。


「メイジ様は……お山に帰る事になるのでしょうか」


「ええ、私の肩まで背が伸びたら帰ると約束していますもの。あの子の母方の祖母も待っていますわ。この屋敷にいる間、しっかり教養を身に付けさせ、好きな事もさせるつもりです」


 メイジの母親は村での生活しか知らなかったが、突然山の暮らしに飛び込んだ父親は村での裕福な暮らししか知らなかった。


 すぐに父親は山の暮らしに音を上げ、かといって村に帰る事も出来ず、商人となって各地を回っていたという。メイジを連れての旅は難しいため、仕方なく預けていたというが……。


「旦那様の弟様は、結婚を素直に認めなかった親への反抗と恨みから、メイジにも村の事を悪く伝えていたようです。それを聞き続けていたメイジの祖母も、村を嫌っています」


「メイジ様は、村の事を好きになると思いますけれど」


「でも、学校も12歳までですからね。その後はあの子の人生です。山にいる祖母を放っておくことも出来ないでしょう。あの子も働かなくてはなりません」


 帰りたい少女と、帰らせたくない屋敷の者。それは今では帰りたくない少女と、帰らせる屋敷の者という構図になってしまった。


「パトラッシュ様はどうなさるのです? もう行かれるのかしら」


「はい、ご主人様を……いえ、もっと世界を知らなければなりませんから」


「そう。何かお土産に……そうだわ、確かまだベーコンが」


 そう言うと、マイヤーは厨房に戻り、よく油と塩を拭き取ったベーコンを数切れ、布に包んで鞄に入れてやった。


「たくさん食べて、栄養をつけて下さいね。旅のご無事を」


「有難うございます。わたくし、食べて大きくなる心配はございませんから」




【II】インフェルト村の少女~I shall return~ end.

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