ジェミニ村の老夫婦-04(005)
「使い魔……」
「旦那様、魔族が従えているという話を聞いたことが」
「さようでございます。よくご存じで」
パトラッシュはゆっくり頷き、そしてちょこんと座った。魔族の使いとはとても思えない可愛らしさであっても、やはり使い魔という言葉は強烈だったようだ。
「わ、我々を襲う気か!? 俺達は何も魔族の機嫌を損ねるような事は何も!」
先程までパトラッシュを抱きしめて頬ずりしていたモーガンの目にも、恐れの色が窺えた。パトラッシュは危害を加えるつもりがない事を伝え、そして主を必要としていることを明かす。
パトラッシュにその気があれば、モーガンの喉を食い破り、肉を切り裂くことも出来た。
そうしなかったのは自分が人に仕えたいからであり、助けてもらった恩を感じているからだと告げると、ようやくモーガン達は安心した。
「あの、これから密猟者との商談に向かわれるのでしょうか?」
モーガンは言い難そうにガルシアとマーシャの顔を見つつ、3人で頷くとパトラッシュに視線を戻す。
「会話を全てを知られているのなら仕方ない。逃げたければ逃げてもいい。ただ、どうか口外はしないで欲しい。もし……我々の事を知りたいのならガルシアと共においで」
モーガンはそう言ってパトラッシュの頭を優しく撫で、屋敷から出て行った。とても毛皮の密売をしてるような者とは思えない、それはそれは愛情深い手だった。
* * * * * * * * *
町の門を出ると、モーガンは森の中へと入っていった。入口には密猟者が立っており、モーガンは小さく頷くと森の奥に向かう男の後に続く。
「おっと、すまない」
「どうした」
「帽子を落としてしまってね、気にしないでくれ」
モーガンはフェルト製のキャップを前後ろ逆さに被り直すと、フクロウの声が木霊する中をそのまま歩き続ける。常緑樹の森は鬱蒼として月明かりを遮るため、密猟者もモーガンも手にランプを持っている。
しばらく進むと、道を逸れて大木の間を抜けていく。その先には檻があり、麻酔を撃たれて眠る黒くて大きな熊が横たわっていた。
「殺してはいないな?」
「勿論だ。麻酔も針の矢で注入している。毛皮の状態に問題はない」
熊は眠っているだけで、息をする度に肩が僅かに動いている。
「そうか、それは良かった。しかしこの檻を1人で用意した訳ではないはずだ。他に仲間がいるだろうから、隠れずに出てきてくれ。闇討ちされてはたまらない」
「用心深いな」
「こうして数多の売人から買っているんだ、舐めて貰っては困る」
モーガンはジャケットのポケットに1丁、内ポケット左右に2丁、ブーツの中に1丁、更にもう1つ銃を持っていると告げる。密猟者としても受け取った前金だけでは稼ぎにならない。
闇討ちのつもりがあったか無かったかは分からないが、男は口笛を吹いて合図し、付近の木陰に隠れていた2人の仲間を呼び寄せた。
「檻はこの場で組んで仕上げた。そちらで必要ないなら持って帰る」
「ああ、そうしてくれ。こちらは中身以外に興味はない」
「さあ、現物を確認したんだ、これでいいな」
「勿論。これで安心できたよ、現場確認できなければ、私は何もできないからな」
モーガンは逆さに被っていたキャップを元のように被り直し、にこやかに銃を抜いて男に向けた。反射的に仲間の者達が猟銃を構えるも、モーガンの笑みは消えない。
「……旦那、どういうつもりか聞かせて貰えないかい。まさか金を払わずに熊を手に入れるつもりか?」
「ああ、勿論そのつもりさ。熊が無事でよかったよ。こちらも命がけで仕事をしていてね。ここで俺を撃ち殺したとしても、お前達に逃げ場はないんだ」
モーガンがにっこりと微笑むと、森の周囲から50人程の村人が現れた。その手には拳銃、猟銃、様々な銃を携えていて、中にはボウガンの者もいる。
その全ての銃口や矢が密猟者に向けられる。ガルシアの姿もあった。
パトラッシュは近くの木陰でその姿を見守っていた。ガルシアからは、このまま逃げても構わないとも言われている。
けれど、パトラッシュはまだガルシアに拾って貰った恩を返せていない。逃げる事など露ほども考えていなかった。
「……村人全員グルって事か」
「全員ではないさ。万が一でもお前さん達の仲間が人質を取ることを防ぐため、大人の半数と15歳未満の者は集会場に集まっている」
モーガンは微笑んだまま紳士の如く、とても丁寧で穏やかな口調を崩さない。密猟者がここでモーガンを撃ち、他の者を撃ったとしても、全員を撃ち殺すのは無理だろう。その間に自分達が撃たれて終いだ。
「……音信不通になる密猟仲間が時々出るが、その中にはどうやらあんたらにやられた奴もいるようだ」
「何を勘違いしている。我々は人殺しを生業としている訳ではないよ。お前達が大人しくしていれば、の話だがね。この国の多くの町や村の条例を知っているだろう? 町や村の外で悪人に襲われ、その者が武器を持っていたら」
「お咎めはなし、成る程な。降参だ」
リーダーの男の指示で、仲間の男2人が銃を地に投げ捨てる。その場から数歩下がった所で、村人達が捕える為近づき、縄で拘束した。ガルシアはリーダーの左にいた男の猟銃を拾って確保するため、しゃがみ込む。
ところが、まだリーダーの手には猟銃が握られていた。リーダーは飄々とした態度を崩さず、笑みを浮かべている。
「帰って来た者も、この話をした者もいない。つまり、ここで何をしようが俺達の命はないって事だろう?」
そう言うと、リーダーはすぐ隣でしゃがんでいるガルシアに銃口を向けた。モーガンの顔色は青ざめ、村人達はいつもの手筈通りだと油断していたのか、驚くだけで身動きが取れない。
「一度人族を狩ってみるのもいいと思っていたんだ。あの世への土産にするには年を取ってるがな」
「おい!」
モーガンが止めようと銃口を向けるよりも、リーダーが猟銃の引き金に指を掛ける方が早かった。
この至近距離で外すような腕前なら、そもそも熊を撃てるはずがない。
「ガルシア!」
ガルシアは銃口を見つめたまま、避ける事も叶わない。これで自分は死ぬのだと、ゆっくり目を閉じた……その時だった。
「うわっ!?」
リーダーがバランスを崩し、引き金に掛けていた指が外れた。リーダーが動いた訳ではない。何かがリーダーを襲ったのだ。
「ウゥゥゥ……ウゥゥゥ……!」
「使い……猫ちゃん!? パトラッシュ……」
リーダーを襲った正体は、パトラッシュだった。
「なんだ、なんだこいつはああああ!」
「猫……ちゃん?」
パトラッシュは穏やかで年老いている。それは間違いない。
けれど、使い魔は本来であれば獰猛な魔獣に過ぎない。使い魔にされた事で理性と穏やかさが身に着いただけだ。
元々獰猛で、自分が慕う者を守ろうとする本能が動物よりもうんと強い。となれば、ガルシアの危機にパトラッシュが動かないはずはなく、危害を加えようとする者が無事であるはずもなかった。
パトラッシュは毛を逆立てて目を赤く光らせ、体から黒い炎のような瘴気を放ち、リーダの男の腕を噛み千切らんばかりだ。
「痛えええ! 放せ! なんだこの猫はあああ!」
「もう大丈夫よ、パトラッシュちゃん、落ち着いて、もう大丈夫よ!」
魔獣は人語を操り、魔物よりも賢い事で知られている。そして、喰らうという本能で襲う魔物よりも残酷で、相手が苦しむ方法を良く知っているとされ、恐れられていた。
リーダーの黒いシャツは破れ、腕の肉が欠片となってパトラッシュの口から吐き捨てられる。ガルシアが放たれる黒い瘴気の中からパトラッシュを抱き上げて宥めなければ、次は喉を噛み切っていただろう。
使い魔は自分が守りたいと思った者が全て。その感情を操る加減が難しいからこそ、不用意に迎えられない。
主に忠実で有用な使い魔なのにすんなり受け入れられず、嫌われる事すらあるのは、この獰猛な一面も理由の1つだった。
所詮は魔獣も魔の物だと。
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