ジェミニ村の老夫婦-05(006)



「クッ……魔獣使いか」


「ふふっ、まさか。皆さん安心して。この子は心優しくて私を助けてくれただけなのよ。ご主人を探して旅をしている使い魔」


「夫人、つまり魔獣って事かい!? いや、先ほどの様子は確かにただの猫ではない……」


「人族でいう動物、魔族でいう魔獣、どちらもやはり素晴らしい! 特にその毛並み! ああ、言われてみれば、どことなく美しさと神々しさを感じる……」


 ガルシアが穏やかにパトラッシュを撫でつつ、皆の恐怖心を取り除く。この村の者は魔獣を畏れつつも、信仰の対象のように思っているようだ。


 ひとしきりパトラッシュへの賞賛が贈られた後、片腕がもう使い物にならないと思われるリーダーも村人達に捕らえられ、他の2人と共に木の幹に括りつけられた。


 ガルシアはパトラッシュをしっかりと抱えており、パトラッシュは力を使い果たしたかのように眠っている。モーガンは金色の懐中時計を取り出すと、村人と共にまだ眠っている熊を檻の外に出した。そして後は大丈夫だと言って皆を村に帰す。


「俺……達をどうする気だ。国家憲兵に突き出すのか、それとも熊に食わせるつもりか」


「私は熊を手に入れる事が目的で、お前達がどうなるかまでは興味がない。この森にも周囲にも餌は沢山あるだろうさ」


「じゃあ何が目的だ! 何故俺達は捕らえられている! この事は口外しない、前金も返す、なんなら全財産を……」


「その必要は無いよ、それよりも大きなものが手に入るからね。さあ、熊に襲われては大変だ、檻の中に避難すると良い。そのままの方が良ければ無理にとは言わんがね」


 男達は歯ぎしりをしながら従い、檻の中に入った。モーガンとガルシアに銃を向けられ、逃げる事が叶わないと判断したのだ。


「昼前には水と食料を持って来てあげよう。安心しなさい、熊の餌にはしないからね」


 そう告げると、モーガンは檻の鍵を掛け、ガルシアはパトラッシュが噛み千切ってしまった男の腕の肉を、熊の目の前に投げた。


「お、俺の腕……」


「あら、皮を剥がれるよりはいいでしょう? 傷のついた個体は剥製の価値がありませんし、あなたは剥製にならずに済みそうね。フフフッ」


「動物を無意味に傷つけたり殺そうとするなんて、人族のする事ではない」


「まったくその通りだわ」


 ガルシアはニッコリと微笑み、そしてモーガンと共に優しくパトラッシュを撫でながら村へと戻って行った。





 * * * * * * * * *





「……はっ、わたくしは」


「気が付いたのね。ちょっと待ってちょうだい」


 丸1日が経ち、パトラッシュは心地良いミシンの踏み板の音で目が覚めた。ガルシアは何かをミシンで縫っていて、隣ではマーシャが白く毛足の長い生地を裁断している所だった。


「パトラッシュちゃん、奥様を助けて下さったようで」


「とんでもございません、無我夢中で何が何やら。わたくしこそ助けて頂いた身なのですから、お役に立てなければ恩返しが出来ません」


「十分ですよ、なんと頼もしかったことか。あなたを従えることが出来る人は幸運ね」


 パトラッシュはガルシアの優しい手の動きにうっとりしながら、無自覚に喉を鳴らし始めた。


「奥様、旦那様を呼んできましょう」


「ええ、お願い。でもパトラッシュさんは病み上がりなの、撫でるだけで我慢すると約束させて」


「畏まりました」


 マーシャが出て行ってしばらくすると、革靴の足音が響いてきた。リズムと振動から明らかに小走りしており、扉を開けたモーガンの顔は緩みきっていた。


「ああ、目覚めたか! 可愛く、そして勇敢でなおかつ可愛らしい! 可愛らしくて……ああ、本当に可愛らしい」


 パトラッシュはビクッとして体を縮ませた。また顔を押し付けて深呼吸されるのではと身構えてしまったようだ。モーガンは撫でまわすだけに留め、改めてパトラッシュに礼を述べた。


 この家の者達はきっと仕えるに相応しい。パトラッシュの心はもう固まっていた。


「あなたさまは、わたくしのご主人様になって下さいますか?」


 パトラッシュは思いきってモーガン、ガルシア、マーシャの3人へと視線を向け、はっきりと願い出た。


 しかし、猫好きなら首を縦に振ってくれると思ったが、モーガンは悲しそうに首を横に振った。


「すまない。我々は動物が大好きで、本当に大好きで、もし招くことが出来るのならこちらからお願いしたいくらいなのだよ。だが、我々の村は動物保護を収入源としていてね」


「動物保護であれば、なぜわたくしを使役いただけないのでしょうか。もしや、わたくしを何かに従事させることで、虐待とみなされてしまう……」


「それもある。無論、我々も肉を食する以上家畜の飼育はやむなしだが、この屋敷は私の立場上、家畜も、動物を飼う事すらも許されない」


 モーガンの話では、パトラッシュを招くことが出来ない理由がよく分からない。動物保護を生業としているにも関わらず、毛皮の売買をしている事にも説明が付かない。


 パトラッシュが首を傾げたままなのを見て、モーガンは本当の姿を教えた。


「私は密猟者取締官なのだよ」


「えっ? しかし、その密猟者から毛皮をお買い上げなさると」


「買うと言って油断させ、捕らえるのが我々の仕事だ」


「で、では、廊下やお部屋の毛皮と剥製は……」


「すべて作り物だ。密猟者から購入するくらい毛皮や剥製を愛している者なら、戦利品を飾っていないと怪しまれるからね。よくできているだろう?」


 全ては密猟者を騙すためのものだった。よく見れば、ガルシアが縫っている生地は毛皮のようにも見える。


「ええ、大変お上手ですね。まるでのようです。生き物である動物を殺してはいないのですね」


 パトラッシュは悪事に加担せずに済むと安堵しつつ、なぜ動物の飼育を禁止されているのかを尋ねた。それに答えたのはガルシアだった。


「毛皮を剥いで飾るような残虐な者が、生き物を愛でるのは不自然でしょう? モーガンはよそ者に動物好きであると知られてはいけないのよ」


 ガルシアは、よそ者の前では「何も知らない剥製愛好家の妻」だ。夫に隠れて動物を助ける優しい貴婦人として、密猟者を油断させているのだ。


「旅の行商人などに、わたくしの無事を知られてはならないのですね」


「ええ」


 パトラッシュは納得し、そしてこの屋敷で仕える事を諦めた。


 動物好きなモーガンとガルシア、それにマーシャとの生活ならどれだけ幸せだった事か。けれど、自分が邪魔になる事は使い魔として最も恥ずべきことだ。


 パトラッシュはガルシアの膝から降り、ふらふらと2本足で立ち上がってお辞儀をした。そして自分の小さな鞄を持って来てもらうと、首から掛けて旅立ちの支度(毛繕い)を始める。


 モーガンは礼だと言って1万G紙幣を鞄に入れてやった。


「あの、密猟者はどうなさったのですか」


「ああ、心配はいらないよ、もう始末はついたからね」


「始末? ああ、『死に物』になさったのですね」


 パトラッシュは悪い事をすれば当たり前ですと、なんとも不穏な相槌を打つ。モーガンは笑いながらそれを否定した。


「はっはっは、違うさ。彼らは国家憲兵に確認してもらい、魔族に引き渡したよ。国からの指示でね、悪人と認められた者は生贄にするんだ。我々は報奨金を貰い、魔族から襲撃しない事を約束してもらう」


「なるほど! 自然を守り、村が潤い、安全も確保できる。なんと素晴らしいのでしょう!」


「悪人はコバエのようにどんどん湧いてくる。我々はこれからも悪人を許さず、動物を大事にしていくだけさ」


 モーガンは誇らしげに胸を張り、密猟者が最後の1人になるまで続けると語る。


 その時、家の呼び鈴が鳴った。マーシャが向かい、そしてすぐに部屋へと戻ってきた。


「旦那様、今度は毛皮商人が。絶滅危惧種のブラッドタイガーの毛皮があると」


「そうか! この国では売買が禁止されているはずだ、それは許せん。すぐに対応しよう」


「では、わたくしはこれで」


「ああ、元気で。よいご主人を見付けておくれ」


「元気でね、パトラッシュちゃん」


「はい、奥様。マーシャ様も、失礼いたします」


 パトラッシュは3人に頭を下げ、そして「打ち合わせ通り」に屋敷から飛び出ていった。ガルシアが大声で逃げてと叫び、モーガンはわざとらしく追いかけ、そして肩を落とす。


「ああ、逃げられたか! チッ、まあいい。ブラッドタイガーの毛皮が手に入るのなら猫の1匹くらいどうってことない。ところで毛皮商、そんな貴重な毛皮をどうやって手に入れたのかね」



【 I 】ジェミニ村の老夫婦~Gentle villagers~ End.

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