第20話 1944年10月1日 茨城 百里原基地 

男の目の前にあるのはどうにも奇妙な乗り物だった。

飛行機にしてはノーズが異様に長く両翼が極端に短い。機体は後方で突然ぶった切られ、ぶった切られる直前に、申し訳程度の水平尾翼がついている。後ろから見ると、尾翼は潰された大文字のHのようである。

野中五郎のなかごろう少佐は、ふん、と鼻を鳴らした。

腕のいい飛行機乗りは一目見ただけで良い飛行機とそうでないものを見分ける。

野中は艦上攻撃機乗りとして九六式に搭乗し、陸上攻撃に移ってからは一式陸攻を駆っていた。掩護につく戦闘機にも当然関心がある。九九式にしても0式、いわゆる零戦にしても一目見ただけでなかなかいい飛行機だと思ったものだ。

だがこいつぁ・・・。見慣れねぇな。

どうも気に食わない。一式陸攻にぶらさげたら太ったコバンザメみたいじゃねえか。そう思ったが、口には出さず軽く頭を振った。

これからこいつらと付き合っていかなけりゃならない・・・。いわば連れ合いだ。

飛行機乗りにとって飛行機とは女房のようなものである。

野中自身はその乗り物に乗るわけではなく、こいつをぶら下げる母機の一式陸攻を操縦するわけだが、こいつと命を共にする者たちを引き連れていくわけだ。他人に女房の悪口聞かされたらくさる者も出て来よう。

案の定、一緒に見学している者たちの中には

「まるで魚雷みたいだなぁ」

と無邪気に感嘆の声を上げている者もいる。

「どうかね」

試作桜花を見学し終えた野中に、横を歩いている岡村基春おかむらもとはる大佐は探るような眼を向けた。岡村は新たに作られた第七二一航空隊の司令である。野中はその配下である付属陸攻隊、後の攻撃七一一飛行隊長をおおせつかったのである。

岡村の質問には直接には答えずに、

「重さはどれくらいなんで?」

と野中は尋ねた。

「これは練習機だが、実機は百二十番を積んで総重量は二屯にとんを少し超える」

「そうでっか」

百二十番とは1.2屯爆弾のことである。

重い。

小回りが利きにくいばかりでなく、速度が決して早くない一式陸攻にぶら下げれば、鮫とコバンザメと言う例えより、狼に狙われた親豚が腹にしがみついた子豚をぶら下げて走っていくという形容が相応ふさわしそうだ。

「これがマルダイでっか」

その感想を隠すかのように嘆息とも感嘆とも取れるような言葉を呟くと、野中は歩を止めて後ろについてくる、いずれ命を共にすることになるであろう兵士たちを振り返り

「ともかくやってみなけりゃわからない。つべこべ言っている暇はねぇ。早速訓練にへえるぞ」

そう怒鳴っただけだった。

命を受けた時、七七一隊と一応七番を付されているが陸攻隊とは名ばかり、特攻兵器を運ぶ係のようなものだと知り野中は正直迷惑な話だと考えていたのである。

野中もまた美濃部と同じく夜間攻撃を望むものであった。この頃、白昼戦では敵機と互角に戦えないと感じている飛行機乗りは自らの腕が存分に振るえる夜間攻撃に傾倒していく。一式陸攻が白昼戦に使えないというのは既に海軍の共通認識になって一年が経つ。

だが、桜花が搭乗員の視認によって突撃する以上、夜間戦闘という事はありえない。

通常魚雷一屯を担いでさえ鈍重だっていうのに、二屯かい。それで白昼戦となれば掩護機をたば程つかせなきゃならねぇ。

それが野中の率直な感想であった。


提唱者である大田の名前をとってマルダイ、或いは練習機の兵器番号K1からケーワンと呼ばれることもあったこの奇妙な形の乗り物は既に桜花おうかと言う正式名称を与えられていた。

ケーワンは訓練一回の事かい、と密かに苦笑する者もいたが、実機訓練(といっても爆弾を搭載していないのだから実機ではないが)は僅か一回、次の回は爆弾搭載の実機と運命を共にすることになる。

桜花という名が国民に浸透していくのは、その名が特攻を行う兵士たちの運命を的確に顕わしているからだろうか。だがその名を実際に乗る兵士が口にしにくかったのはあまりに情緒的な名前が面映ゆかったのかもしれない。

儚いことを運命づけられ、花びらのように水面へ向かって散る定めにあるこの乗り物は、しかし名前ほど美しい形をしているとはいいがたかった。


それまで野中の率いてきた七五二空は海軍の中でも異色と言える荒くれ者の集団であるが、統率はしっかりとしていた。野中自身も勇猛で有能な佐官であった。

野中が発案した「車掛くるまががかり」という戦法は暗い中、単機陣で敵艦に忍び寄り、敵を見つけると一気に空中で輪を描く。できた円から次々に照明弾を落とし、その灯めがけて航空魚雷を発射するという、大時代的な名前のわりに合理的な戦法である。

視界の落ちた中、敵船は突然明かりの中に落とし込まれさぞかし慌てた事であろう。艦砲射撃に移る前に魚雷を撃ち込まれた船は何がおこったのか分からぬうちに海中へ沈んでいったのである。その戦功で感状を受けたこともある。

だが野中には一つの屈託があった。野中の兄、四郎は陸軍の一部将校が起こした二二六事件の首謀者の一人であり、蹶起けっきに失敗して割腹をした男である。兄弟が陸・海に分かれて入隊することは珍しいことではない。兄は兄、自分は自分と野中は割り切って海軍に入ったのである。陸軍皇道派りくぐんこうどうはであった兄が騒乱を起こしたと聞いたときも、初めは統率派とうそつはに対してよほど腹に据えかねることがあったのだろうとくらいにしか思わなかった。

だが、二二六事件が賊軍による反乱として鎮圧され兄が割腹自殺をしたと知らされたとき、こりゃあ、将来覚束ないな、と海軍での出世を諦めることにした。いくら系統が違うとはいえ、反乱軍の首謀者の弟である。いざとなればそれが経歴の汚点になることは明らかだった。その屈託が、南無八幡大菩薩なむはちまんだいぼさつとか非理法権天ひりほうけんてんと書かれた旗やらのぼりを立てるという奇矯な行動に繋がっているのは分からないが、整然さを尊ぶ海軍の中で野中の部隊は異彩を放っている。

「非理法権天」と太い字を抱いた幟が、兵廠の前で埃っぽい強い風をはらんでなびいている。ここでは非も理も法も権さえも天の下にある。


早々に訓練とは言ってみたものの当初、百里原基地ひゃくりはらきちにあった桜花は僅か一機であった。桜花の搭乗員もまだ集まっていない。五八六空からテストパイロットが二名選ばれてはいるが、その長野一敏飛曹長・津田飛曹の二名も無沙汰をかこっていた。

それでも暫くすると各地、主には台湾の練習航空隊から桜花の搭乗員を志願した者たちが集まってきた。

だが練習機はまだ来ない。

それどころか実はマルダイの最終性能も決まっていない状態だった。集まってきた志願兵たちは中古の零戦に乗り、空中でエンジンを切って滑空の経験を積んでいたが、陸攻の出番は暫くお預けであった。

三週間ほどして漸く木更津きさらずから出発した一式陸攻により相模灘さがみなだへの無人機投下実験が行われ、その一週間後に長野飛曹長による有人飛行が行われた。三千五百メートルの高さから桜花を射出するその実験は、幸いにも、或いは不幸にもと言うべきか、両方とも成功した。


マルダイの有人飛行実験が成功した二日後、遥か南洋のレイテで最初の特攻機が敵艦に突っこんだというニュースが百里原基地に届いた。桜花隊の隊員の中にはその話を聞いて切羽扼腕せっぱやくわんする者もいた。どうせなら、特攻一号として名を馳せたかったと考えた者たちである。だがその者たちはレイテでの悲惨な状況など思いもしなかった。

その後すぐ、基地を間借りしていた第七二一航空隊は神之池ごうのいけに移動させられた。各地から集まってきた兵員のために手狭になったのも事実だが、特攻が現実に実施されたことで特攻要員と通常要員を同じ場所においておくことへの懸念が生じたのであろう。百里原にいる別の部隊の者たちの中には好奇心から機材を見ようとする者たちもいたが、皆追い払われた。そんな好奇心をシャットアウトし、機密を維持するためにも引っ越しは不可欠であった。


新しくできた神之池基地の正面には「第七二一海軍航空隊」という正規の門札と共に「海軍神雷部隊」という聞きなれない名の看板が掲げられ、桜花最初の練習機が四十機余り運び込まれた。

すぐに訓練が開始された。

爆弾こそ積んでいないが、同じ重量の水を積んだ桜花は三千五百米の高さから射出されると、着陸寸前の高さでその水を放出することになっている。

水の放出後機体は陸上への胴体着陸を強いられるが、それを聞いて無茶だと蒼ざめ訓練死を覚悟していた隊員たちは着陸が案外スムースに行くのに驚いた。機体は変に浮いたりしないし、デッドスピードでの着陸も思ったほどの衝撃は来ない。要はグライダーのようなものである。

とはいえ、想像したよりましと言う程度であり、訓練を終えた直後はてのひらにびっしりと汗が滲み、報告を書く指は暫く震えが止まらない。

滅多に起こらない事故であっても実際には起こる。回天の事故が沈鬱なものであったのと逆に、桜花の事故は訓練生たちの目の前で起こる、目をおおうような悲惨なものであった。

バラストの放水に失敗し錐もみ状態に陥り隊員の目の前で墜落死した操縦士もいる。その後、水の放出は中止されたが不慮の事故はその後も幾度か起こった。

機体と肉体が地面に叩きつけられるようにして墜ちると同時に葬儀の準備が始まる。それを横目に訓練生たちは黙々と訓練を続けた。

練習中の事故は桜花に限った話ではない。だから続けるしかないのだが、訓練中の惨事はやがて必ず自分の身に運命づけられた死への前奏曲のようであった。うまくいって、「死」なのである。失敗すればそれに無駄がつくだけだ。事故が起こるたびに隊員たちの口数は少なくなっていった。


そんな中で、野中は訓練を重ねるほど桜花に疑問を深めていった。やはり桜花を積んだ一式陸攻のスピードが決定的に足りないのである。

そもそも一式陸攻の定格速度は魚雷なしでもフルスロットルで時速四百キロ程度である。一トンの魚雷をつめば巡航速度で三百キロを下回る。その上桜花を積めばそこから十は落ちると伝えられた。十ときいたからキロかと思ったら、ノットである。キロに換算すると二十落ちるのである。

一式陸攻丁の一屯魚雷積載時の最大荷重は十五屯余り、従い魚雷と桜花の荷重差の一・五屯は燃料を減らすのだがそれでも速度は落ちる。その上、燃料の消費は単独飛行に比べて1.5の係数が必要、すなわち50%増しは必要であった。燃料を減らさねば飛び立てないが、消費量は格段に増える。

実際に野中も積んで飛んでみたが、遅いというだけではなくひどく重いと感じた。直線の飛行は良いとして空気抵抗が増すせいか、旋回せんかいも思い切り鈍い。燃料計の針は今まで見たことのないような速度で下がっていく。

桜花は重いだけではない。一式陸攻に懸架すると、親機と桜花の間に空気摩擦が発生する。一一型のずんぐりとした体形は単独での風洞試験ではともかく、懸架されると予想以上の速度低下を招いた。

定員の八名乗りを減らすことを考えたが、何が起こるかわからないので操縦士には主操とサブはどうしても必要である。偵察は編隊を組むことを前提にサブを置かないことにして一名減らすこともできるがそれがぎりぎりの所である。

向かう先の敵艦の周りには小回りがきいて最高時速六百キロを超す足の速い戦闘機がうようよいる。戦闘機同士の戦いで圧倒的に優勢であればともかく、零戦も今では足も攻撃力もF4FやF6Fの後塵こうじんを拝しつつあるのだ。その中に練習機並みの速度で突っ込んでいく。その段階で自殺行為である。

「こいつぁ、だめだな」

心の底ではそう思い始めているが訓練に明け暮れている訓練生の前ではそんなことを言いだせなかった。

訓練が進んでいた頃、東京からお偉いさんが視察に来るという話を小耳にはさみ、野中はふと率直に自分の見立てを申し出てみようかと考えた。

だが、来るのが連合艦隊司令長官豊田副武と知って諦めた。豊田の陸軍嫌いは有名である。自 分が陸軍皇道派による二・二六事件の首謀者の一人、野中四郎大尉の弟だと知っているに違いない。野中自身、特攻隊の指揮を執ることになったのは兄の不始末に対する懲罰ちょうばつなのかと疑ったことさえあるのだ。その直後に海軍大臣が視察に来ると聞いた時には野中の心はもう動かなかった。

諦めざるを得なかった野中の屈託はその分、航空本部からやってくる担当者にぶつけられることになる。

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