第19話 1944年11月10日  フィリピン クラーク基地


「コッソル水道に敵軍の高速魚雷艇と飛行艇の基地がある。これを潰したいと考えている。どうだね、どんな攻撃が考えられる?」

身を乗り出して尋ねてきた大西の問いに

「低空度侵入、敵のレーダーをくぐって空爆ですかね」

美濃部は即座に答えた。レーダーは30度を下回る角度の侵入には急激に能力を落とす。とはいえ、30度を下回る角度から侵入するというのは相当の距離を低空で飛び続けるのをいることになる。

普通なら、重爆ですね、と答えるところだがそんな答えを求められているわけではないのは戦況から明らかである。まともに重爆など試みれば隊ごと海の藻屑もくずと消えてしまうであろう。

優秀なパイロットだけがその答えを知っている。だが答えるのにはためらわれる。次に飛んでくる質問は分かり切っているからだ。

「君の隊には可能かね」

美濃部正みのべただしは一航艦麾下一五三空に所属する戦闘九〇一飛行隊隊長である。一五三空は海軍における偵察隊でこの年台湾で新設されたばかりであった。南西方面艦隊第十三航空艦隊に属していたが、七月の改編で高橋農夫吉たかはしのぶきち大佐が司令になると共に一航艦の所属となる。その中で九〇一は零戦4機、月光3機の小隊、夜間輸送の障害となる敵魚雷艇を襲撃する任務を負っていた。

「もちろん」

胸を張って美濃部は答えた。跳弾爆撃の練習でも美濃部の隊は優秀な修練を修めてきた。

「それに前夜に仕掛けをします。その上で翌早朝に正規の爆撃をすればいい。敵は睡眠不足で対応が遅れるでしょう。あちらさんの攻撃はパターン化されている。夜襲の次は夜襲、自分たちがそうしているから相手も同じことをすると考えてしまう」

「夜間爆撃、か」

「その時は高空度から侵入させます」

30度を下回ると使い物にならないレーダーは60度を上回る真上からの侵入にも弱い。レーダーが察知する限界以上の距離から高高度で侵入すれば発見されない確率はぐんと高くなる。レーダー網がしっかりしているだけに米軍にも油断が生じている、と美濃部は考えた。

夜間ならば敵の邀撃ようげきにも対処しやすいし、敵側の高射砲も使いにくい。闇夜に鉄砲というのが実情である。

大西は頷いた。求めていたそこに答えがあり、求める答えを出す奴がいる。いや、それ以上かもしれん。

「分かった。それでやってくれ。月光を使え」

月光とは夜間用に開発された戦闘機である。

「月光ではだめです。零戦にしてください」

大西は目をいた。

「駄目だ、零戦は特攻に使う。月光でやれ」

「月光は斜め銃です。爆撃できるように改造しましたが命中精度がでません。地上目標ならなおさらです」

言い放った美濃部に

「うむ」

と大西は唸った。本来月光に備わった銃は後部下方から敵機を攻撃するために上に向けて角度がついている。艦船攻撃のために下向き銃を備えていたものもあるのだが思ったほどの効果が出ていない。大西が腕を組んで沈黙したのを見て美濃部は心の中で快哉かいさいをあげた。

新しい司令官は航空機をよくご存じだ。航空機の特性もよく理解していない将官は海軍にも山ほどいる。期待していた反応があり、期待していた将官がここにいる。

「大丈夫です。一機たりとも失わずに戻すことをお約束致します」

そう言い切った美濃部に大西は渋々頷いた。

「良かろう。一機も失うな」

「それと長官、ひとこと言わせてください。特攻、特攻とばかりおっしゃいますが、そればかりでいいのですか?」

美濃部は大西からたびたび特攻を申し入れられても自分たちは夜襲部隊ですからと、がんとして拒否していた。大西が飛行艇の基地を爆撃せよと命じたのは、その代わりという意味合いもある。

「なに?」

大西は美濃部を再び睨みつけた。

今まで大西に面と向かって特攻を批判してきた者など誰もいなかった。ただでさえ惜しむ零戦の使用許可を出しただけで腹立たしいのにまだ言うか?だが美濃部はおくすることもなく平然と大西を見返した。

「最初の内は確かに戦果を上げていましたが、敵も対策を立ててきています。艦隊は小さく分散し、ぶつからないで回避するようになってきているようだ。邀撃のために絶えず戦闘機を艦船の上に飛ばしている。死ぬことを恐れてはおりませんが、ただ死ねと言うのでは操縦士たちが可哀想です。戦果を上げてこその死です」

美濃部の決然とした口調にきょかれたかのようにあんぐりと口を開けたまま暫く大西は相手の顔を見つめていたが

「とにかく、コッソル水道を何とかしろ。話はそれからだ」

不機嫌そうに呟くと手を振って美濃部を追い払った。


ダバオ誤報事件の際、美濃部が浮足立つ司令部の中で単機、海岸を飛行して敵の侵入などないということを報告したのを大西は知っている。見どころのあるやつだと思っているが特攻を頭から否定されたのはやはりかんさわった。

だがその日のうちに言った通り夜間攻撃を仕掛けると翌日、美濃部は零戦三機を率いてコッソル水道まで飛び、基地を殲滅せんめつして戻ってきた。

「確かにお返しします」

基地に戻ってきた三機の零戦を指さして美濃部は大西に報告をした。大西は表情を押し殺したまま報告を聞き終えると、いのししのような太い首をぐるりと肩の上で回してから刺すような視線で美濃部を見た。

「美濃部君、君の考えている最善の攻撃方法とは何かね?」

大西の問いかけに美濃部は答えた。

「夜間攻撃です。敵の航空機はどんどん改良されてきています。白昼戦はどうしても分が悪い。だが夜間なら訓練すればとんとんに持っていけます。敵も対応して来るでしょうが、夜間攻撃は心理的にも圧迫を与えられる。効果は高いと思います。それに・・・」

「うん?」

「相手が空母であれば、最初の機を艦上に滑り込ませ機動を制すことができるばかりでなく、夜間に海上に明白な攻撃対象を浮かび上がせることもできます。まあ、特攻の一種と言えば特攻の一種ですが、その方が成功の確率が遥かに高い。敵の邀撃も夜間でなら効果が薄い」

むぅ、と大西は唸った。それから暫く沈思ちんしすると美濃部に告げた。

「よし、分かった。君の隊には今回の特攻に参加させん。そのかわり夜間攻撃を使えるようにしろ。内地に戻って訓練を開始するのだ」

は、と敬礼をした美濃部が、

「それでは、あの零戦も・・・」

と口走ると、大西もほとばしるような声で怒鳴りかえした。

「だめだ、ここにある零戦は特攻に使う。一機たりともそれ以外には使わせん」

肩を落として帰って行く美濃部の後姿に、だが大西は、次の世代の息吹いぶきを見たように思った。

「見どころのある男よ」

心のうちでそう呟くと海軍の人事部に宛て、美濃部の帰任の申請と共に十分に次の作戦のために協力してやって欲しいと補足をつけたのである。夜間襲撃に成功した四日後、戦闘九〇一飛行隊は夜間攻撃の研究を名目としてフィリピンを去り、日本へ戻ることになった。すべての飛行機を特攻に使い、全ての操縦士の命を掌握した大西としては異例の措置であった。

とは言っても美濃部が日本で歓待されたかというとそうではなく、手狭になった木更津基地から出るために自ら根拠基地を探さねばならなくなったり、生産が終了した「月光」の代わりの機材を探さねばならなくなったりとかいろいろな苦労が待っていた。しかし配下の「彗星すいせい」に搭乗する芙蓉ふよう部隊は、特攻のみに偏っていく他の部隊に比較して士気が高かった。

美濃部正は特攻への諫言かんげんを再三したため、特攻反対論者と言われるが必ずしもそうではない。ただ、効果のない精神論的な特攻を否定したのである。

それは他の者が考える「立派な死にざま」と必ずしも重なり合うものではないが、大西には美濃部の方法もまた一つの立派な考え方であるように思えた。

しかしその唯一の例外を除いて、大西は特攻を継続していく。

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