第15話 同日 深夜 帝都 皇居
床についた天皇の心は曇っていた。寝む時でも直立しているような真っ直ぐの姿勢で寝るのが習慣であったが、その日はその事に思いを致すことさえなかった。軽く寝がえりをうちながら前線にいる兵たちのことを思う。
そんな夜は良く眠れぬ。
戦争を始めたばかりの頃は
もちろん一応の数字は語られる。
失われた地域、失われた艦船や飛行機の数、失われた兵の命の数。敵と味方の双方であるが、それが正しいとは限らない。どうも敵方の数字は多めに、味方の数字は少なめに語られる気配があったが、それに疑いを挟むことはしなかった。どうせ、数字を少し作り直すだけであろう。
そもそも数字がすべてではない。勝っていた頃は前線での兵の様子、欧米の圧政の
即位してから間もなく
自分の意思は異なるところにある、と議員が勝手に憶測してものを言う方が余程不遜ではないか、と思いつつ、天皇は政府案を支持し条約を批准した。
しかし、条約締結半年後の昭和五年十一月、条約を推進してきた時の総理大臣、
以降、議会のみならず総理大臣でさえ陸軍・海軍の行動に口を差し挟むことができなくなった。政友会が主張した統帥権の干犯はすなわち、天皇と軍部が直結し、軍はそれ以外の一切の雑音を拒絶する根拠となったのである。議会は浜口と共に議会そのものの
思いもよらぬ形で戦争に関わる一切の責任を負うことになった天皇は背負わされた責任を几帳面な性格で解決することを試みた。すべての情報に目を通し、軍を自分の手で管理しようと考えたのである。
それから十余年、天皇は常にそれを心がけてきた。
軍は用兵を担う軍政と統率を担う軍令の両輪で成り立っている。実際の戦争は軍令を取り仕切る陸軍の参謀本部と海軍軍令部が遂行している。
長引く戦争が次第に不利になり始めると軍令を司る参謀本部、軍令部からの報告は思うに任せぬものばかりが増えていった。昨秋定めたばかりの絶対国防圏は日数もおかぬうちに
一方で、首相兼陸軍大臣であった東條英機は全てを事細かに天皇に奉答する几帳面な性格であった。天皇に対する忠誠も篤かった。東條が次第に力を増していくのは
その東條が軍政と軍令を一体化するために杉山と永野を追放して参謀総長に就任すると共に海軍大臣嶋田繁太郎を軍令部総長に推薦したのはこの春のことである。軍政と軍令が一体化することへの不安はあったが、戦局が好転することへの期待の方が大きかった。
だが、その期待は
敗因の本質は軍政と軍令の一体化でもなければ、軍令の不手際でもなかった。参謀総長や軍令部総長は圧倒的な物量差を背景に潰走する軍の惨状を天皇の耳に入れるのを
東條がマリアナ陥落の責任を取らざるを得なかったのは、自らの手でトラック島の敗戦を口実に杉山、永野を追い出した以上、致し方のないことである。
それでも東條を、と主張するには天皇は理性が勝っていた。だがその頃からこの戦争は勝てぬ、という思いが強くなった。
しかし・・・と自分の心を見つめれば日清・日露と二つの大戦を勝利した明治大帝が、無謀と言われつつそれに勝ち続けたことに
そんな思いが交錯する中で特攻の報せは舞い込んだのである。戦争の最前線に赴いたことはなく兵の様子は報告で知っていただけであるが、戦闘機に乗り敵艦に突っ込んでいく様は容易に想像ができた。どれほど恐ろしいことであろう、と胸が痛んだ。
神風特別攻撃隊・・・神風が吹かぬか、と思い悩んでいた自分の心の隙間を埋めるような命名である。
だが・・・。国民は特攻をいったいどう思うのだろうか。我が子が死ぬことを知りつつ兵器諸共に敵に突っ込んでいくかもしれぬ、その時の姿を思いどう考えるのであろうか・・・?
と言って、国民にここまで犠牲を強いて、戦局が悪いといって止めることは容易ではない。ドイツもまだ戦っている。止めると言えば軍は強く反対するであろう。いや、あるいは秩父宮を奉じて
手詰まりであり、上げた拳を下ろす方法はない。
深く重い闇の覆う寝所で、天皇は孤独な夜に苛まれていた。
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